50 アーシリア河東岸の戦い 15
イルハン=ユセフとジーメンスの防御陣が突破されると、エルウィンは静かに振り返った。
「陛下――……身辺をお騒がせ致しまして、誠に申し訳ございません」
敵の力量が自らの予測を上回ったことは、認めざるを得ない。或いはジーメンス達が若さに相応しい迂闊さを発揮し、敵の突破を許したとも考えられる。
だがどちらであれ、今からエルウィンに出来るのは防御を固めることだけだ。作戦は進行中であり破綻をきたした訳では無く、これを凌ぎ切れば勝利は目の前なのだから。
とはいえ、天才ならざる身の無様さをエルウィンは感じていた。
今も前方を無表情で見つめる女王なら、きっと敵を撃滅する手段など無数に思い付いているはずだ。でなくとも優雅に戦いを指導し、味方を危地に陥れるなどあり得ない。
――けれど僕は作戦に綻びが生じないよう、防御に徹することしか思いつかないなんて……。
エルウィンは悔しさに拳を握りしめて、女王に及ばぬ自分の無能を呪う。けれど現実のヴィルヘルミネは、「ふぁぁぁぁぁ、敵、超怖い!」と慄いているだけだった。
「これより小官が指揮を執り、本営を固めます」
一言断りを入れ、エルウィンは近衛連隊に厳重な方形陣を命じた。それから自らの第三師団には外側で三重の横陣を敷かせ、敵の突撃に備えている。
エルウィン自身は万が一の際に女王の盾となるよう、なおヴィルヘルミネの正面で軍刀を構えていた。
女王は表情に険があるでもなく、無言で敵を見据えている。エルウィンは「ヴィルヘルミネ様は怒っておいでか……」と考え、胸が苦しくなった。失望させたと思ったからだ。
――でも、仕方が無い。ヴィルヘルミネ様がお膳立てまでしてくれたのに、僕ときたら作戦の最終局面で本営まで、敵の侵入を許したのだから。
エルウィンは突撃の先頭に立つ敵将ムスタファに目をやり、彼が防御陣を突破してくることを確信した。そういうことが出来る将だと、ある意味でムスタファを高く評価したのかも知れない。
やがて前方から発砲音が聴こえ、次いで悲鳴が上がる。闇の中で砂塵が濛々と立ち上り、大地を響かせる馬蹄の轟きが間近に迫っていた。
――認めよう、ムスタファ……君は良将だよ。
エルウィンほどの男が、乾いた唾を飲んでいる。相手の強さを認めたが故であった。
それでも、ヴィルヘルミネは微動だにしていない。というかもう、恐怖の余りとっくに気を失っていた。魂が口から抜け出している。
「ぷぇ~~~……」
けれど闇の中で毅然として胸を反らし敵を睨み据えているように見えるから、不思議な女王様なのであった。
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「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッ!」
雄叫びと共に現れたのは、ムスタファとナセルの二人であった。彼等はエルウィンが敷いた防御陣までも突破し、いよいよ女王の眼前に迫っている。
彼等に続く勇者も、百や二百ではない。やはりサマルカード騎兵は強い――エルウィンはそう断じ、声を限りに叫んでいた。
「女王陛下を守り参らせよッ!」
自ら馬腹を蹴り、エルウィンはムスタファへと斬り掛かった。
乾坤一擲――ムスタファは左手の剣でエルウィンの斬撃を躱すと、女王に向かって突進した。させじとエルウィンも馬首を返すが、しかしが横からスルリと黒い影が飛び出して、ピンクブロンドの髪色をした名将に曲刀を突き付ける。
「女王を討ち取って下さい、ムスタファ閣下ッ!」
参謀長のナセルもまた、驍勇であった。エルウィンの武技に対して一歩も引かず、二合、三合と撃ち合っている。二人の間から戛然たる音が響き渡り、朱色の火花が散っていた。
「――チッ! 雑魚では無いと思っていたが、これ程かッ!」
エルウィンは思わぬ伏兵に舌打ちし、曲刀を払い退けつつ背後に抜けたムスタファを見る。
「ヴィルヘルミネェェェ! 覚悟ォォォォォ!」
ムスタファの双刀が、ヴィルヘルミネの白く細い首筋に迫っていた。エルウィンは強引に馬首を返し、女王の下へ駆け出した。けれどナセルが曲刀を突き出して、エルウィンの脇腹を斬り付ける。
「ぐッ!」
苦痛の呻きがエルウィンの口から洩れて、驚いたヴィルヘルミネはようやく意識を取り戻した。
「エルウィン?」
ヴィルヘルミネは闇の中、苦痛に呻くピンクブロンドの髪色をした青年を見た。由々しき事態だ。しかし苦しんでもイケメンはイケメンなので、アリじゃな――と思う。それに戦っている敵兵――ナセルも中々にイケメンだから、妄想なら捗った。
「ヴィルヘルミネ様! お逃げ下さいッ!」
だが寝起きで妄想を暴走させた女王に、鬼気迫るエルウィンの叫び声が響いた。なんとなれば必死の形相をしたイケメンが、二本の曲刀を翳し迫ってくるではないか。
夢? と一瞬だけ首を傾げた女王は、実のところ大ピンチなのだった。
――あれ? でもあの男、見たことあるのう。ああ、そう言えば以前、自分をめっちゃ褒めてくれた敵将じゃ。
ヴィルヘルミネはドキドキした。奴隷にして結婚するなんて言われた相手だ、どうしよう。
――でもでも、余、奴隷になるわけにはいかぬ、結婚も考えられぬ。しかし好意を示してくれた相手じゃからして、して。
考えあぐねた女王は思わず照れて口元に笑みを浮かべ、いつものクセで金髪の親友を呼ぶ。寝惚けていたから彼女が近くにいるなどと、決して知る由も無いのだが――……。
「ゾフィー、客人じゃ。もてなしをせよ」
ヴィルヘルミネが言葉を発した瞬間に、疾風の如く現れた騎兵の一隊がいた。と同時に闇の中、黄金色の光が乱反射する。
「はっ、御意のままにッ!」
凛として澄んだ声が聞こえた刹那、ムスタファは馬の制御を失い落馬した。なんとなれば突如として現れた騎兵――ゾフィーが自身の馬の鼻面をムスタファの馬の横面にぶつけ、横転させたからである。
「サマルカード騎兵、この程度で死んだ訳では無かろう。ヴィルヘルミネ様の御前である、さっさと跪け」
崩れる馬からひらりと降りて、ヴィルヘルミネを庇うように前へ立つ。双剣を抜き放ったゾフィーは星明りを金髪に反射させ、蒼氷色の瞳でムスタファを見据え、静かに言うのだった。




