44 アーシリア河東岸の戦い 9
ヴィルヘルミネは眼前に迫る歩兵に慄然とし、左右から押し寄せる騎兵に愕然としていた。
――ナニコレ、負けそうじゃ!
心が焦る程に、彼女の表情は固まっていく。だからと常より冷静に見える赤毛の女王は、引き攣った笑みを浮かべていた。いっそこれが酷薄な冷笑に見えるから、周囲の部下達は主君の泰然自若とした雰囲気に、どうしたって尊敬の念を禁じ得ない。
「本営を後方へ下げますか?」
酒を断ち、ナイスミドルな雰囲気を醸し出すスヴェン=ゼーフェリンクが馬上のヴィルヘルミネに問う。今や彼はヴィルヘルミネの護衛として、無くてはならない存在だ。
銃撃に優れた技量を有するスヴェンのこと、彼は胸元に構えた拳銃で、女王に万一あらば即座に応戦する。そういう戦い方ならば鋼鉄の薔薇でも、彼が随一の存在なのであった。
「……む」
柳眉を吊り上げ不満顔のヴィルヘルミネも、身近に無敵の護衛が居ると思えば少しは安心する。なので本当は「てったーい!」と声を大にして叫びたかったけど、恥と外聞が本音という名の扉に鍵を掛け、しっかりピッタリ閉ざしてしまったらしい。
「慌てるな。まだ――……敵の砲弾が届いた訳でもあるまいに」
なので虚栄心からヴィルヘルミネは、ドンっと大言壮語を吐いていた。「だって余、女王じゃもの! 逃げちゃダメじゃ、逃げちゃダメじゃ!」と内心に思うから、精一杯の強気発言である。
だけども部下の誰かが「危険です、お退き下さい!」というのを期待して、周囲をぐるりと見回した。
しかし女王の望みは叶わない。ヴィルヘルミネの引き攣った笑い(冷笑に見える)を見た幕僚達は、「なんと豪気な……」と感嘆の声を上げている。特にくすんだ金髪の若き将軍など、女王に輪をかけて大言壮語を吐いていた。
「流石はヴィルヘルミネ様、このような時でも余裕でいらっしゃる! いいえ、実際に余裕なのですよ! 何故ならエリートであるこのボクが、敵を押し戻してご覧に入れるのですからねッ!」
ムフンと馬より荒い鼻息で、エリートを自任するジーメンス将軍がのたまった。
「んむ――ではジーメンス将軍、頼む」
女王は藁にも縋る思いでジーメンスを見た。泣きそうだから目がショボショボして、少しだけ潤んでいる。
だから若き将軍ジーメンスは女王の気持ちをありったけ勘違いし、「ああ、ボクの無事を陛下が祈っておいだでだ!」と感無量で出撃するのだった。
とはいえお調子者のジーメンスも、一皮剥けば優秀な軍人だ。なので彼はエルウィンの作戦をしっかり理解しているし、ましてや率いる部隊は王国最強の呼び声も高い鋼鉄の薔薇である。
ならばと女王はジーメンスに、十分過ぎる程の期待を寄せていた。
「何としても敵を押し戻し、今日の日没まで耐えねばならぬ! 鋼鉄の薔薇よ、女王陛下の御為だ、ボクに力を貸してくれッ!」
ささやかな訓示を終えるとジーメンスは千二百の鋼鉄の薔薇を二列縦隊に編成し、最前線へ駆け出すのだった。
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側面に騎兵突撃を喰らったゾフィーは立て続けに聞こえる部下の悲鳴に、グッと眉根を寄せていた。陣形が大きく凹み、歪な形になっている。無様だ。
「方陣防御! 敵騎兵を中へ入れるなッ!」
「前列は着剣して膝立ちッ! 後列は急ぎ弾を込め、敵騎兵を撃てッ!」
「だ、大隊長、間に合いませ――ギャアアアアアッ!」
側面に配置していた各大隊が、敵の突撃に対処しようとして狼狽えている。といってこれは予測し得ない事態では無く、どころか十全に配慮し、敵の突撃を躱す為の陣形を敷いていたはずなのだ。
「それでも――……か」
馬上にあり、ゾフィーは頭を振った。やはり自分が動かなければどうにもならないと、ある種の諦観もある。
――戦場を俯瞰して微動だにせず勝利を得る、というのは出来ないか。やはりわたしはヴィルヘルミネ様に、遠く及ばない。
ゾフィーは内心で勘違いを加速させつつ、後頭部で黄金色の髪を纏めていた。自らが剣を取り出撃するならば、サラサラとした金色の髪は邪魔になる。
そして凛とした声音で、砲兵隊に新たな命令を下していた。
「歩兵が崩れた地点に対し、砲撃をせよッ!」
「し、しかしそれでは、味方も巻き込まれてしまいますッ!」
「敵に蹂躙され続ければ、結果として兵は死ぬ。ましてや我らは第二近衛師団ッ! 女王の剣たることこそ、誇りであろうッ! 構わん――やれッ!」
余りにも苛烈な命令に、第二近衛師団の幕僚が鼻白む。けれど女王の剣たる誇りと言われれば、否とは決して言えなかった。
ましてやゾフィー=ドロテアという人物は、あらゆる局面において最も危険な場所にいる。であれば彼女は自身が居たとしても、そこへ躊躇いもなく砲弾を撃ち込むであろう。すなわち死を恐れるようでは、第二近衛師団を名乗れない。
こうした命令は的を得て、敵も突撃の足を鈍らせた。それだけではなくゾフィーは予備兵力の歩兵も投入し、彼等の銃撃によって敵騎兵の機動をある一点に集約していった。
そこでようやく、ゾフィーは両手の双剣を掲げて言う。
「今だッ! 敵騎兵を我等の陣より叩き出せッ!」
ゾフィーは直属の騎兵三千を率い、誘き寄せた敵騎兵一万五千の側面に敢然と突撃を仕掛けていく。
「「「オオオオオオオオオッ!」」」
突如として本営から湧き出した騎兵に、サマルカード騎兵は驚いた。慌てて馬に拍車を入れ、駆け抜ける速度のままに逃げようとする。けれど今まで散々にダランベル兵を蹂躙したつけか、疲労の蓄積した馬は思うように動かない。
ゾフィーはサマルカード騎兵を中央から分断し、散々に追い立てる。彼我の損害は同程度であったが、それでもエイジア最強のサマルカード騎兵に対し、ダランベルの各兵科を混合した師団は十全に機能したと言って良い。
「――だから、速度の差が力の差では無いと思い知れッ!」
ゾフィーは後頭部で纏めた金髪を解き春風に靡かせながら、逃げ去る敵に吐き捨てるのだった。




