43 アーシリア河東岸の戦い 8
アーシリア河東岸沿いを南方へと進み、ダランベル連邦軍は徐々にだがサマルカード軍との距離を詰めていた。
対するサマルカード軍としては、これを放置すれば距離を詰められた挙句が、側面を衝かれる事態となりかねない。
とはいえ僅か半数の兵力でダランベル連邦軍が攻撃を仕掛けてくるというのなら、サマルカード軍は随分と舐められたもの――ということになる。
「だから、挑発だと言っている。奴等は新たに陣を敷き、我らを誘き寄せるが目的なのだ」
「あくまで艦砲を頼りとして、しかし――頼みの戦艦はアーシリアを下れない」
「そういうことだ、ナセル。ゆえに、今が攻め時よ」
全軍を西方へ向け、ムスタファはダランベル連邦軍の迎撃を命じていた。隣で馬に揺られる参謀のナセルは半ば納得、半ば不満といった面持ちである。
「であれば、放置しても良いでしょう。あえて挑発に乗ることはありません。だいいち、こうして敵を引き付けている間にも、テペデレンリ将軍がエスケンデレイへ迫っているのです」
「だからこそ俺様がここでヴィルヘルミネめを倒せば、テペデレンリとて労せずエスケンデレイを手に入れられる、というのが分からんか」
「負ければ、何とするのです? それこそ、テペデレンリ将軍の苦労が水泡に帰すのでは?」
上官の自信過剰を窘めて、ナセルがジロリと睨んでいる。
「負けん。敵は確かに一方で、俺様の力を侮っている。であれば地の利があり敵の策を封じ、あまつさえ兵力に勝る今、敗北などあり得ない」
「それはつまり、糞尿をまき散らして逃げ帰った昨日の負け戦ゆえですか?」
「ぐぬぬ……おいナセル。お前、やっぱり俺様のことを馬鹿にしているのだろう?」
「いいえ、まさか。閣下の深謀遠慮には、感服するばかりでありますよ」
「そうだろう、そうだろう。まさかアーシリアの水深まで知り抜き敵の作戦の裏を掻くなど、俺様以外には出来ぬこと。
つまるところ戦とは最後に勝てば、それで良い。となれば昨日の敗北とて、敵を油断させる一助になったのだから、これも一つ、俺様の周到な作戦というものだ。わはは、わはは、わ、は、は」
「はぁ……ですね(わざと負けた訳じゃないくせに)」
「ん、何か言ったか?」
「別に……」
ナセルはムスタファに頷いて、けれどやはり釈然とはしなかった。
あのヴィルヘルミネが半数の兵力で戦いを挑むなら、ただ艦砲だけを頼りにするであろうか。或いはもっと悪辣な罠が、あることだって考えられる。
しかしナセルに確証は無く、であればムスタファを説得できる術も無い。また一方で、野戦におけるムスタファの強さは本物だ。そのことはテペデレンリですら、「やつとは互角の兵力で、やり合いたくはない」とまで評する程なのだから、こちらも容易く負けたりはしないはず。
ナセルは様々な思いを抱きつつムスタファの後に付き従い、釈然としない行軍を続けるのだった。
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ナセルが悶々とする最中にムスタファは、いよいよ全軍をダランベル連邦軍の正面に展開した。正攻法と言うべきか、中央に歩兵七万を置き、両翼に騎兵を一万五千ずつ配置した合計十万の大兵力だ。砲兵は未だ近代化されきっていない軍隊らしく、歩兵大隊の間に申し訳程度に配置されている。
他方ダランベル連邦軍は歩兵、砲兵を中心としたヴィルヘルミネの第一近衛師団とエルウィンの第三師団が中央に陣を敷き、騎兵を中心としたゾフィーの第二近衛師団が右翼、ライナーの第四師団が左翼へ展開した。
辺りは綿花畑やトウモロコシ畑の広がる平坦な地形だから、堅固な陣地が敷けるとは思われない。とはいえ水路が縦横に走る複雑さは、騎馬突撃をある程度は阻むことが出来るだろう。
だからとヴィルヘルミネは――というよりエルウィンは、全軍を横陣に展開させてはいなかった。ゆえに各連隊、大隊ごとに塹壕陣地を構築し、敵の襲来に備える構えを取っている。
「なるほど。短時間でありながらも、地形を利用した見事な陣を敷く。まぁ――でなければ、軍事の天才などとは呼ばれんか。しかし、ふむ……どうも数が少ないような」
馬上から敵陣を望遠鏡で眺め、ムスタファが言う。
エスケンデレイに上陸したダランベル連邦軍は、五万だと聞いていた。しかし見た所、多く見積もっても四万程度に見えるのだ。
「エスケンデレイの治安維持や、南方から迫るであろうテペデレンリ様に備えているのではありませんか?」
ナセルも望遠鏡を眺め、敵兵の少なさに違和感を覚えていた。といって伏兵を置けるような地形ではなし、兵がいないとすればエスケンデレイに留め置いたとしか思えない。
参謀の意見に頷いて、ムスタファは早速部隊に前進を命じていた。ことここに至れば、迷う時こそ惜しいのだ。
「うむ――……では、砲撃を開始せよ。砲の援護を得つつ、各歩兵連隊は四列縦隊にて前進。左右両翼の騎兵旅団は、まだ動かずともよい。まずは正面に敵の意識を向けるのだッ! 進めッ!」
ムスタファは煌めく陽光に曲刀を翳し、号令を発した。今日に限っては指揮に専心するらしく、見晴らしの良い小さな丘へ馬を進め、幕僚十数名と共に陣取っている。
開戦から一時間、サマルカード軍はダランベル連邦軍を押しに押していた。
七万の歩兵が一斉に前進し、僅か二個師団が守る正面の防御陣を攻撃するのだ。これでは誰が防御を担当しても、押しまくられるに違いない。
それでも簡易の塹壕によって、寡兵で良く守っているとムスタファは思う。まさにヴィルヘルミネは名将であろう。
――しかし、ここまでだ。
ムスタファは頭上に掲げた曲刀を、一気に振り下ろした。朱に掛かった太陽の煌めきを反射して、曲刀が半月の弧を描く。
「左右両翼の騎兵旅団へ伝達。総攻撃を開始、ダランベル連邦軍の横腹を喰い破れッ!」
サマルカード軍の虎の子――合計三万の騎兵がダランベル連邦軍の左右両翼に襲い掛った。
「「「「「オオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!」」」」」
広い戦場全体に、騎兵の雄叫びが響き渡る。
ダランベル連邦軍の側面が、見る間に陣形を崩していった。慌てて方陣を組もうにも、突進が速すぎて間に合わない。
全軍の中央に控える赤毛の女王は涙目で、ギュッと下唇を噛みしめ硬直している。けれど恐怖が脳を突き抜けて、相も変らぬ無表情だ。
もちろん、何か対応策を思い付くでも無い。ヴィルヘルミネは静かにフルフル、フルフルと、手綱を握る手を震わせているだけだった。




