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41 アーシリア河東岸の戦い 6


「火薬の量はそのまま、もう少し仰角を上げて――遠ざかる敵を狙い撃ちます」


 エルウィンとライナーが二手に分かれて開けた空間に、ムスタファ率いるサマルカード騎兵が突入した。しかしながら、そこは既にしてヴィルヘルミネが大砲の狙いを定めた場所である。


 砲撃は過たずサマルカード騎兵へ降り注ぎ、人馬を共に地獄の沼へと沈めていった。血と肉片がアーシリア河の恵み豊かな大地を汚し、悲鳴が藍色に染まりつつある大空に木霊する。


 そんな中にあり全体の指揮を執るミネルヴァはニコリ、笑っていた。

 いまや本当に戦争の天才となった女王に、ムスタファごとき浅知恵で対抗できる筈も無い。なんとなれば彼女の周りでも幕僚達が驚き、あるいは慄いているのだから。


「あれほどの機動力を誇る敵騎兵を、かくも容易く狙撃地点へ誘導してしまわれるとは……」


 イルハン=ユセフは望遠鏡から目を放すと、唖然とした様子で隣のジーメンスに語っていた。


「何を驚くことがあるのかね、ユセフ。もともと、これがボクたちの女王陛下ではないか。政戦両略の天才にして絶世の美女――そして将来はボクのお嫁さ――モガモガ……」


 フフーンと鼻高々に頷き僚友にドヤ顔を向けるジーメンスの口を、童顔の巨漢、鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)連隊長となったシュミットが塞ぐ。

 

「ジーメンス閣下。ユセフ准将の前だけならいざ知らず、ここには他の師団の参謀連中もいるんですから、大人しくしていて下さいよ。ブルーノさんが生きてたら、ブン殴られますからね――……ったく」

「――ぷはッ! 分かっているよ、ブルーノさんに恥を搔かせる気なんてない! けれどね、ボクに言わせれば堂々と陛下に対する愛を謳うことも出来ない連中が、女王陛下の騎士を気取ろうなんて片腹痛いってモノなのさ。そうじゃないかい、ねえ、イルハン=ユセフ!?」

「騎士であることと陛下の夫になろうとすることは、まったく違う。俺もシュミット大佐の意見に賛成だ。だからな、友人として忠告するぞ。直言してくれる部下がいることの幸福を素直に喜べ、ヴァルダー=フォン=ジーメンス准将」


 一方で敵将ムスタファに恐怖を覚えていたレオポルドはヴィルヘルミネの圧勝を見て、無邪気に手を叩き喜んでいる。


「おお、流石はヴィルヘルミネ様! あの神出鬼没、縦横無尽なサマルカード騎兵をかくも容易く手玉に取るとはッ! 感服いたしましたぞーッ!」

「いえ、怪我の功名とでもいいますか――……わたくし自身も、敵があれ程とは思っていませんでしたから」

「ですがほら、この砲撃でムスタファの部隊が壊滅しそうですよ!? あはは、あはは!」

「壊滅というか、まあ――三分の二程度は減らせるでしょうね」


 ミネルヴァは肩を竦め、微笑を浮かべて言った。


「その中にはムスタファも含まれると思いますか? いや――……そうしたらもう、この戦いはダランベル連邦軍の勝利と言っても過言ではありませんよ!」

「さあ? 敵将が生きていようが死んでいようが、どちらでも良いです。結局のところ今日の戦いは、明日への布石に過ぎませんから……」


 太陽が西の地平に沈み切った頃、女王は砲撃を切り上げた。

 サマルカード軍はミネルヴァの予想通り、出撃した三分の二に当たる二百名の兵を失い、這う這うの体で陣営へ戻っている。


 だがレオポルドの願いも空しくムスタファは、様々な体液を垂れ流しつつも帰還した。だから生涯最初の敗北という苦杯を舐めた美貌の将軍は、お尻をふきふき恐怖と屈辱に顔を歪めたのだった。

 

 ■■■■


 三月十三日早朝、ダランベル連邦軍はついに動き出した。アーシリア河に沿って南下し、サマルカード軍に近づいたのである。

 むろん構築した陣地を破棄して内陸へ向かっている訳だから、これは明らかにサマルカード軍を挑発するような行動であった。


 昨日、涙、涎、及び糞尿を垂れ流しながらも命からがら帰還したムスタファは、「くそッ! 昨日は今一歩のところまで、かのヴィルヘルミネを追い詰めたというのにッ!」と自らの記憶を改ざんし、左の掌に右拳をぶつけている。


「ともあれ敵が艦隊との連携さえ欠き南下するというからには、あちらはあちらで焦れているのだろう。なんとなれば俺様を、倒したくて仕方がないのだ。どころか昨日の戦勝により、ダランベルの連中め、調子に乗っていやがる! これは今日こそ、勝利を収める絶好の機会だぞッ! はは、は、は、は!」


 参謀のナセルは、「ああ、この人は糞尿塗れの下着と一緒に、昨日の記憶まで燃やしてしまったのだな。昨日なんて『うわあああああん! 超怖かったぁぁあああああ! ぼきゅもう長官ベイやめゆ~~』とか言って帰って来たくせに、一晩寝たらコレかよ」と、ある意味見直した。過去の恐怖を乗り越えるというのも、良将の資質に違いは無いからだ。


 とはいえ、言うべきことは言わねばならない。何せナセルは元来がテペデレンリの部下なのだ。であれば、ここでムスタファの軍を維持することこそ本分である。


「しかしムスタファ閣下ベイ、罠ということも考えられます。一見すれば、敵陸軍の動きは艦隊との連携を欠いた拙速と思えますが、実は何らかの方法で艦隊を急速に動かし、陸軍に追いつく方法を用意しているのではありませんか?」


 ムスタファに馬を並べ、馬上から移動するダランベル連邦軍を睨んでナセルが進言をした。肩越しに後ろを見れば、自軍も陣を畳みつつある。であればムスタファは、既にして追撃命令を発したらしい。

 参謀の自分に何の相談も無く――とはナセルも言わない。それがムスタファの操縦法だと心得れば、なるべく彼の自尊心を擽ろうと考えたからだ。

 

「ナセル――……それは、どう考えても不可能なのだ。ふふ、ふ、ふ、ふ。知将ムスタファ様が、そこのところをよぉく説明してやろう」


 むふんと胸を張るムスタファに、心の中で「恥将じゃあないか」と毒づきながらもナセルは頷いた。


「は、是非にもご教授頂きたく」

「このアーシリア河はな、春から夏にかけて上流からの雪解け水が大量に流れ込むのだ。それによって夏になれば河は氾濫し、大地に豊かな恵みを齎している。それこそが数千年前、メンフィスへ文明を齎した神々の恵みであるのだが――……。

 しかるにこの時期、大河アーシリアは遡上するだけで一苦労。しかもだ、春先の事ゆえ未だ水位が上がり切らず、戦艦が通るには浅いのである!」

「……まさか」


 ナセルはムスタファの博学に、まさかと目を瞬いた。が、当のムスタファは「まさか」違いで話を進めていく。


「ああ、まさかさ。陸の奴等がこのまま進めば、海軍はいずれ追いつけなくなるだろうよ。たとえ櫂を漕ぐ人員が何人いようと、船底が川底に付いてしまえば、どうして戦艦が進めるものか! ははははは、あーははははは……げほ、げほッ!」


 ムスタファは高笑いをしすぎ、ウッカリ咽た。馬が僅かに顔を後ろへ向けて、ぶるる……溜息を吐く。


「だ、大丈夫ですか、ムスタファ閣下ベイ! やはり昨日のショックで体調が優れないのですね! でしたら仕方がありません。ダランベル連邦軍など放っておき、天幕へ戻りましょう。また糞尿を漏らしたら、馬も大変です! 長官が病とあらば、進軍などできませんよッ!」


 何としても軍を動かしたくない参謀のナセルを、ムスタファはジロリと睨んでいた。戦争を知らぬ上辺だけの小僧に、いったい何が分かるのか――と思っていた。

 お漏らしなど戦場では、よくあることだ。敵と殺し合いの最中、何かを漏らしたからと恥ずべき事など何一つない。どころか、そんなものに気を取られて自分が死んだら、本末転倒だ――とさえムスタファは思う。


 出撃した三分の二の兵力を失ったことは、将として恥じ入るばかりだ。しかしムスタファは、その中にあり生き残ったことに価値を見出している。何であれ、死んだら終わりなのだ。

 もしもナセルにそれが分からないのであれば、ムスタファの敵ではない。だから――……。


「あのなぁ、ナセル。これは、あのヴィルヘルミネを倒せる千載一遇の機会なんだよ」

「あるいは、そうかも知れません。しかし――……」

「俺様がヴィルヘルミネさえ倒せば、お前の大好きなテペデレンリだって大助かり。ムハンマド陛下はメンフィス奪還という悲願を達成され、大王と呼ばれるだろう」

「だから閣下ベイ大将軍アル・パシャになり、めでたし、めでたし、という訳ですか?」


 ムスタファはニンマリと笑い、腕を組む。


「ま、今までテペデレンリだけに微笑んでいた運命の女神が、ちょっと俺様に浮気しただけのことさ。どうあれサマルカードの上にこそ、栄光は輝くってモンよ!」


 こうしてムスタファは全軍を動かし、同日十四時――両軍合わせて十四万の軍勢が激突するのであった。

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