40 アーシリア河東岸の戦い 5
ムスタファは後ろを振り返り、ニタリ――笑おうとして愕然とした。顎が外れんばかりに大きく口を開き、驚愕の表情だ。
なんとなれば敵将のゾフィーは、猪突猛進と聞いている。それが適度な所で追撃を止め、馬首を返そうとしていた。
「――ちょ、待てよ! お前、そんなに行儀がいい将軍だったのかよッ!」
うっかり、変な声が出た。眉根を寄せて、ちょっと泣きそうだ。このままでは作戦が台無しになる。
ムスタファは慌てて馬首を翻すとゾフィーの部隊へ向けて反転し、追い縋り攻撃に移るのだった。
「敵を逃がすな、追えッ! 何としてもこっちへ引き摺り込むんだッ!」
サマルカード軍の方が馬足は速い。だから、ゾフィーの部隊に追いつくことは容易であった。
けれどムスタファの目的は敵を艦砲の射程距離外へ引き摺りだし、窮地に陥らせて敵本隊を誘い出すことだ。となれば再び逃げ出して、何としてもゾフィーに自分の後を追わせねばならなかった。
だがしかし、ゾフィーはヴィルヘルミネに良く言い含められている。でなくとも元来から頭の回転とて速い子だから、ムスタファの浅知恵などとっくにお見通しだ。
つまり沈着さを欠くことさえ無ければゾフィーは決して、猪突猛進の将などではない。だというのに今までの戦いによる評判から、彼女の評価は短気な猪武者となっていた。
だからゾフィーに追いついたムスタファは、左手に持つ曲刀をブンブン振り回しながら吠えている。
「おい、狂犬ゾフィー! お前は食い付いたら離れない、そういう将軍なんだろう!?」
「――は? 猟犬だが……」
「どっちでもいい! ワンコならもっと、ご主人の為に頑張れよ!」
「わたしが、ワンコッ!?」
ゾフィーは自分の首輪に繋がった紐を引っ張るヴィルヘルミネの姿を妄想し、キュンキュンした。「それ、イイ!」と思って口元に笑みが浮かんでいる。
「どうだ、ワンコって言われて怒ったか? え、怒ったかッ!?」
「え、いや……それ程でも……わたしはミーネ様のワンコだから……」
「ええッ!? お前、もっと立場に誇りを持てよ! 王妹だろ!?」
「うむ、しかし……」
「だから、頑張れって! 頑張って、俺様を追えよ! この首、欲しくはないのかッ!?」
「うん、まあ――欲しいと言えば、欲しい」
「だったら、追ってきやがれッ!」
「それは、断る」
「何でだッ!?」
「うん、ワンコだから……あはっ」
何故かとても良い笑顔を浮かべるゾフィーに、ムスタファは半狂乱だ。両手に握る曲刀をブンブンと振り、いよいよ金髪の少女に斬り掛かる。
だがゾフィーは左手のマンゴーシュを巧みに動かし、敵の斬撃をスルリ――いなしていた。
「――おい避けるな、ゾフィー=ドロテアッ! 同じ二刀使いとして、勝負を申し込むッ!」
「嫌だ、断る」
「お、お、お前に将軍としての誇りはないのかァァァァ!?」
「ワンコだもん」
「自分で自分をワンコだなどとッ!」
茶番のような会話を二人の二刀使いがしていると、いつの間に彼等の後方に別の騎馬部隊が現れた。エルウィンとライナーがそれぞれ五百ずつ騎兵を率い、左右から回り込んだのだ。
「ワンコの使命は主の命令に忠実であること。そしてわたしの主は、言わずと知れたヴィルヘルミネ様だ」
「まさか――……俺様が貴様等の術中に嵌っただとッ!?」
「そういうことだ。これだけの騎兵に囲まれては、いかにサマルカード騎兵が優れていようと、どうにもならぬ。潔く降伏せよ」
「や、やかましいッ、小癪な手を使いやがってッ! これが勇将と名高いゾフィー=ドロテアの戦い方かッ!?」
「いや。このような作戦は、わたしも聞いていない。わたしの任務はあくまでも貴様を一度だけ追い散らす――それだけだ。であればこれは、まさにヴィルヘルミネ様の神算鬼謀と言うべきであろうな」
「ふぬぅぅぅぅうう! 赤毛の小娘めッ! だが、まだまだ甘いッ! いかな神算鬼謀と云えども、サマルカード最強の名将である俺様に掛かれば――……ええい、こうだッ!」
言うなりムスタファは曲芸のように馬体から身を乗り出して、極小の円を描き馬を反転させた。どころか彼に付き従う部下達も、同様の機動で反転する。
となれば彼等の前方には迫るエルウィン、ライナーの両騎兵部隊がいる訳で――……。
「作戦は失敗だ! しかし者ども案ずるな、俺様は負けちゃあいない! どころかこれは、ダランベル連邦軍にサマルカード騎兵の強さを見せつけてやる機会だぞ! さあさあ、全軍突撃ィィィィィィイイ!」
こうしてムスタファは怯むことなく、ダランベルが誇るエルウィン、ライナー両将が率いる部隊に突撃を敢行するのだった。
■■■■
エルウィンとライナーの両将は、ムスタファの突撃に備えて中央を開けた。そこへ一丸となり、矢のような陣形のサマルカード軍が突き刺さる。
となると両軍激突の状態を俯瞰で見れば、見事にダランベル連邦軍が中央突破をされた形だが――しかし、彼等はもともと二つの部隊が合流しただけのこと。これが再び二つに割れたからと、ダランベル連邦軍に困ることなど一切ない。どころか、そうなることまで含めて作戦の内だった。
「さて、これでゾフィーの部隊から敵軍を切り離したが……あの敵将も災難なことだ」
後ろへと遠ざかる敵軍を肩越しに見て、エルウィンは苦笑する。
サマルカード騎兵の予測を上回る機動力を目の当たりにした女王が、これに応じて作戦に手を加えた結果が今の機動であった。
もちろんライナーの用兵が見事なものでなければ、あんな合体、分離のような機動は成立しない。だからエルウィンはピンクブロンドの髪を揺らし、賞賛の眼差しを友軍へと送っている。
「にしても、これ程の短時間で敵の特性を理解し、完膚なきまでに打ち破る戦術を考案なさるのだから――まさに天才の所業と言うべきか」
ゾフィー、ライナーの部隊と合流し、エルウィンは背後を振り返る。
ドドドドドォォォン! ドドドドドドドドォン!
大地を穿ち、空を斬り裂く砲声が轟いた。
ムスタファ率いるサマルカード騎兵の中程から、無数の砂柱が立ち上っている。
「な、な、なんだッ!? 砲撃だとッ!? 閣下、どういうことっすかッ!?」
「閣下ッ! まさか艦砲がここまで届いているってことですかッ!? だったら敵に引き摺り込まれたのは、俺たちの方じゃねぇですかッ!」
騎馬で駆ける最中、いきなり喰らった砲弾の雨に、サマルカード軍の兵士は狼狽えた。
「ばか言えッ! 艦砲は絶対に届かねぇッ!」
驚愕の表情を浮かべるムスタファは、部下の疑問を素早く否定した。艦砲の性能は十分に検討し、安全な距離を測り挑発を仕掛けている。今も絶対に艦砲の射程内には入っていない、そういう自信が彼にはあった。であれば必然、これは艦砲ではなく――……別の地点からの砲撃であろう。
「だったら――……いったい何処から?」
ムスタファは背筋に冷たい汗を感じながらも、周囲を見回している。
見れば爆炎を上げて砲声を轟かせているのは、随分と前進させた砲兵陣地のようだ。
ムスタファは頭を振って後ろから視線を切り、唇を戦慄かせ……。
「全速で逃げろッ! 砲撃はあの女――……ヴィルヘルミネが自ら敷いた、砲兵陣地からだ! ちくしょうッ!」
動物的な勘が知らず、ムスタファを叫ばせる。
森の中で虎に出会ったとき、草原で獅子に出会ったとき――そういう根源的な恐怖が、彼を深奥から突き動すのだった。




