39 アーシリア河東岸の戦い 4
艦砲の射程距離ギリギリの位置で陣を構え、羊肉を齧っていたムスタファは小躍りした。ゾフィーが五百の騎兵を率い、向かって来る様が見えたからだ。
といってもムスタファの手元にある兵力は三百の騎兵だから、このまま激突すれば不利である。だというのに彼はニンマリと笑い、全員に騎乗を告げるや自身も悠然と馬腹を蹴っていた。
「ハァッ! ――ありゃあヴィルヘルミネの妹で、猟犬と呼ばれる小娘だなァ? ヤツを誘き寄せて、敵本隊を釣り上げるぞ! いいな、テメェらッ!」
「「「おうッ!」」」
そもそもサマルカード軍と言えば、エイジア最強と名高い奴隷戦士騎兵が有名だ。であればムスタファは味方の数が劣っても、なおダランベル連邦軍とは互角だと考えていた。
だからニヤリと笑い、骨だけになった肉を馬上から捨てる。そして腰の二刀を抜くや、自身は金髪の少女に狙いを定めるのだった。
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太陽は西の地平へ沈みかけている。
ゾフィー率いる五百の騎兵は大地を揺らし、疾駆していた。目指すは前方の奴隷戦士三百であり、これを破砕すべく突き進んでいる。
女王の命令は「追い散らせ」とのことだが、ゾフィーは敵に情けを掛ける気など無い。状況が許せば悪鬼の如く蹂躙し、一人残らず殺し尽くす気概を持っている。敵将を討っても良いと、許可もあるのだ。躊躇いなど無かった。
「襲歩――……抜剣ッ!」
腰の鞘から軍刀とマンゴーシュを抜き、ゾフィーが叫ぶ。部下達も雄叫びを上げて軍刀を抜き、眼前の敵を制圧すべく拍車を入れた。馬の足が一段と速くなる。
「「「「おおッ!」」」
ヴィルヘルミネの猟犬と名高いゾフィーの下、第二近衛師団の精鋭は一糸乱れぬ統率を誇っていた。
そもそも第二近衛師団は竜騎兵師団とも呼ばれており、騎兵による集団戦法を得意としている。だから白兵戦が主体で個人の武勇を尊び、特殊部隊を内に含む第一近衛師団とは毛色を異にしていた。
また、第一近衛師団が女王の警護を主任務とする守りの部隊だとすれば、第二近衛師団こそ攻撃の要だとの自負が彼等にはあった。だからゾフィーをはじめ彼等の誇りは、「ダランベル最強の矛」たること。
ゆえに今も五百の騎兵は矢のような陣形で突き進み、大地ごと砕けよとばかり、サマルカード軍に迫るのだった。
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ムスタファは一糸乱れぬ敵の動きに目を細めつつ、端正な口の端を吊り上げた。
「おお、怖いねぇ。ありゃあ普通のヤツが真正面から当たっちゃあ、いけねぇヤツだぜ。はは、は、は、は」
ムスタファは西日を眺めて「やれやれ、予定は変更だ」とボヤきつつ、馬首を北へ向けた。西から迫るダランベル連邦軍を、北へ向かって躱そうというのだ。
流石の自信家と云えども自軍より数が多く、しかも強敵と思える相手に対し、西日に目を焼かれながら戦うほど相手を軽んじてはいない。
だというのに部下達は「閣下! まさか逃げるんですかッ!?」とか「あんた、サマルカード一の猛将じゃねぇのかよ!」とか――いろいろと文句を言っている。
挙句の果てには、「アンタ、何の為に剣を二本抜いたんだ! やっぱり馬鹿なんだなッ!?」とまで言われていた。
「う、うるせェ、テメェら。このまま戦ったら、西日が眩しいだろうがよ。逃げる訳じゃねぇから、さっさと付いて来い。俺様がサマルカード随一の名将だってことを、しっかりと見せてやらァ」
ムスタファは言うなり馬腹を蹴って、北へと向かう。部下達も何だかんだと言いながら北へ向かい、こちらも一糸乱れぬ統率を見せている。
ゾフィーは眼前で左へ逸れていく敵騎兵を睨み、逃がすまいと全軍に告げた。
「逃がすな、突撃せよッ!」
太陽を背負う有利を活かそうと思えば、このタイミングしか無かった。
「ま、そうだろうさ。だがな、お前らの鈍重な馬が――このサマルカード馬に追いつけるかよッ!」
ムスタファは拍車を入れて、馬の速度を更に上げる。それは余りに速く、ダランベル連邦軍の兵たちは目を疑った。両軍ともに同じく騎乗しているのに、距離が見る間に離れていく。
ゾフィーは眉根を寄せて、眼前から遠ざかる敵の騎兵を目で追った。敵を追おうと思えば馬首を翻し、同じく北へ向けなければならないだろう。
むろん金髪の勇将に迷いは無く、馬首を北へと向けていた。けれど、追いつけない。馬の速度が足りないのだ。時速で言えば、たぶんニ十キロは遅い。
こういうことが起こるのも、サマルカードによる研究の成果であった。様々な品種の馬を掛け合わせ、改良に改良を加えて生み出した馬は、今や速度においてエウロパ産の馬を大きく上回っている。
これが奴隷戦士をして、エイジア大陸最強と云われる所以であった。けれどこの事実を、ゾフィーはおろかヴィルヘルミネさえ知らなかったのだ。
――西方人は自分達が何でも、世界最高のモノを持っていると思っていやがる。それが甘いって話だぜェェッ!
そう思うからムスタファは曲刀を高く掲げ、雄叫びを上げていた。
「さあ、サマルカード騎兵の恐ろしさを、無知な西方人に教えてやるぞォォォ! 突撃ィィィィ!」
ムスタファは馬首を百八十度返し、南から追い縋るゾフィーの部隊へと向けた。
対するゾフィーはムッと細眉を吊り上げて、敵の意図を計りかねている。そのまま時計回りで逃げればよいものを、わざわざ向かって来る理由が分からない。
だが、どちらにせよ相手はムスタファだ。戦って悪いということはなく、すれ違いざまに打撃を与えれば良いだけのことだった。
両軍の距離は見る間に縮まり、馬蹄の轟きが地上を圧していく。双方共に突撃の構えをとって、真正面から激突した。
ゾフィーとムスタファもすれ違い、馬上で二対の刃が交差する。
「猟犬ッ! 大人しく巣穴へ帰り、主人を呼んで来いッ!」
ムスタファの刃が黄金色の髪に触れ、夕闇迫る中空に鮮やかな金糸を舞わせている。
「騎馬の優位が、決定的な差ではないと知れッ!」
ゾフィーは敵の刃を紙一重で躱し、カウンターを合わせてムスタファのターバンを斬り裂いた。側頭部で編み込んだ黒髪が溢れ出し、背中に踊っている。
ムスタファはお気に入りのターバンを失い、あんぐりと口を開いた。ブチギレそうだ。いや、ブチ切れた。イケメンが台無しだった。
「あああああああああ! 俺様のターバンッ! おい、猟犬、弁償しろォォォォォォオオオ!」
盛大に吠えながら、ムスタファが東へ遠ざかる。なぜなら彼の目的は敵に自分を追わせ、艦砲の射程内から敵本隊を引きずり出すこと。であれば、ここでゾフィーと一騎打ちに興じる余裕など無い。
そのように頭では理解しているから身体をきちんと操り、そのまま駆け抜けて東へと馬首を返したのだ。けれど心がどうにも落ち着かなくて、ムスタファは何度でも吠えている。
「弁償ォォォォオオオオオ! 弁償しろォォォォォォォ!」
「――ん……いや、弁償って――……あっ、結局逃げるのかッ!?」
ゾフィーは叫びながら遠ざかるムスタファを肩越しに眺め、首を傾げていた。だが考えてみればアレは敵だと思い出し、「追えッ!」とすぐに叫んでいる。
ともあれ両軍の突撃は数分で終わり、結果は互角であった。であれば数に劣るサマルカード軍の方が、個人の武勇においては勝っていたのかも知れない。
少なくともゾフィーは、そう解釈をしている。だからギリリと奥歯を噛み締めつつ、ムスタファの後を追っていた。
一方ムスタファは、僅かに馬足を緩めている。
瞬間的な速度に勝るサマルカード馬も、スタミナが無いと思わせる為だ。そうして距離を稼ぎながらゾフィーには追いついて貰い、再び少しだけ戦ってみせる。
その後、頃合いを見て味方の伏兵を登場させれば、嫌でも彼女は援軍を呼ばざるを得ないだろう。
「はっはっは。何という完璧すぎる俺様の作戦。流石は俺様、キレッキレだな!」
自画自賛するムスタファは嬉しそうに後ろを振り返り、追い縋るゾフィーを見ては「今回だけは弁償するのを勘弁してやろう、特別だぞ! はっっはっは!」と笑うのであった。




