38 アーシリア河東岸の戦い 3
三月十二日夕刻――ヴィルヘルミネは幕僚達を大天幕へ集め、緊急幹部会議を開いた。集められた人員はエルウィンを筆頭に、ゾフィー、ライナー、ジーメンス、イルハン=ユセフとレオポルド伯爵だけである。アンハイサーは別任務により、現在は行動を共にしていなかった。
それにヴィルヘルミネの記憶が混濁している、という事実は極力外部へ漏らしたく無い。であれば招集する人員が必要最小限になるのは、やむを得ないことであろう。
とはいえレーナは例外で、ヴィルヘルミネの側に控えている。女王の容態を見て何かあれば、侍医として適時対処をする為だ。
「なるほど――……鹵獲した砲艦から大砲を外して、筏でアーシリア河に浮かべるのですか。工兵ならざるアンハイサー少将には大変な任務かも知れませんが、エルウィン卿、これは中々に面白い作戦ですね」
エルウィンから改めて作戦の概要を聞き、状況を理解したミネルヴァは大きく頷いた。今は珍しく女王として大元帥の軍服に身を固めているから、肩から下げた黄金の飾緒が僅かに揺れている。
ミネルヴァが自分の置かれた状況を考え、「かっこいいから」という理由だけで近衛師団大佐の軍服を着るヴィルヘルミネを否定した形であった。
というか赤毛で美少女という絶対的な特徴が女王にあるからまだいいが、女性士官が増え続けている昨今、このままではいずれ「どこの大佐さんだろう?」と兵士に思われてしまうことは間違いない。
それに兵の士気を上げようと思えば、大元帥の軍服を着用する方が明らかに良いのだ。だいたい妹であるゾフィーが近衛師団少将の軍服を身に纏っているのに、女王が大佐では笑い話である。
要するにミネルヴァはヴィルヘルミネの将来を考え、キチンと着替えを済ませたのだった。
そんな女王を見て、エルウィンはドギマギとしている。思えば自らの作戦をヴィルヘルミネに評されるのは、初めてかも知れない。それが素直に「面白い」と評され及第点を貰えたと思えば、誇らしさも胸の内に込み上げてくる。
「恐縮です」
「しかし、であれば敵の挑発に乗る必要は全くありません。なのに出撃の許可を求めるなんて、あなたらしくありませんでしたね」
「はっ。僕の、いえ――わ、我らが女王陛下に対する余りの罵詈雑言に、少々熱くなってしまいました」
女王の言葉に同意し、エルウィンは頬を赤らめ頷いた。いつの日にか、「僕の女王」と胸を張って言えるだろうか。彼は、そんなことを思っていた。
「いえ、良いのです。だいいち、このまま無視し続けるというのも芸が無い。ここは一つ、挑発に乗って見せようではありませんか」
「え、陛下、それは――……」
「そもそもエルウィン卿の作戦は、敵が攻めてこないから、こちらが焦れて動き出す。それで陸海の連携を欠いたのだと思わせ、サマルカード軍を突出させる――というのが要旨でしょう?」
「はっ……」
「だから敵を一度追撃して見せれば、こちらが焦れているようにも見えるでしょう。その上で明朝にでも軍を動かせば、どうです?」
「確かに、焦れているように見えますね。敵としてもこちらの心理を予測し、整合性がとれるから信憑性も増します。しかし万が一今日、戦線が拡大するようなことになれば……」
「それはそれで構わないでしょう。敵がこの陣営に近づけば、艦隊の援護が受けられるのですから。それでなくとも、ああした挑発を繰り返す敵将ですから――討ち取る機会はありそうですよ?」
「はっ」
「エルウィン卿。何も、打つ手を一つに絞る必要など無いのです。状況に応じて千の手、万の手を用意し、敵を封殺すれば良い。なにも必勝の手があるからと、それを必ず使う必要など無いのです」
クスリと笑って肩を竦める赤毛の女王に、レオポルドは戦慄を禁じ得ない。
なんとなればヴィルヘルミネは、いつでもムスタファを仕留められると言いたげだ。
しかし二倍の兵力を誇る敵将を、こうもあっさり討ち取る算段など立てられるものなのか。疑問に思うレオポルドは知らず身を乗り出して、ヴィルヘルミネに問うていた。
「あ、あの、ヴィルヘルミネ様。この状況下で、どうやってムスタファを討ち取るおつもりなのですか?」
「ええ、レオポルド伯。よろしいですか――今の戦況は、いわば綱引きのようなもの。その先頭にムスタファという猪がいるのです。ですから綱を一度こちらへ引けば、最前にいる彼を狙い撃つのは容易いと、そう申し上げているだけのことですわ」
「しかし、ムスタファはサマルカード随一の猛将と云われています。そんな男が我が方を誘き寄せようと躍起になっているというのに、逆にこちらへ誘き寄せるなんてことが出来るのでしょうか?」
「簡単です。だって誘き出したいと願うからこそ、彼はこちらに深入りせざるを得ないのですから」
「し、しかし危険ではありませんか? 失敗したら、敵に蹂躙されるのでは? そうならなくても、ムスタファを取り逃がすかも知れませんよ?」
「敵に蹂躙を許さぬよう、兵は万全の配置をもって臨みます。そこは、お任せを。その上で仮にムスタファを取り逃がしたなら、あとは予定通り作戦を続行するだけのこと。
というより取り逃がしてこそ、エルウィン卿の作戦に万全を期せるというもの。この程度で討ち取れたり捕縛できるような男が名将や猛将と呼ばれているのなら、サマルカードなど早晩滅びるでしょうね」
レオポルドは淡々と説明をする女王を見て、背筋が凍える思いがした。幾重にも罠を張り巡らせて、決して獲物を逃がさぬ怜悧な用兵家。これが軍事の天才ヴィルヘルミネかと舌を巻く。敵に回さなくて、本当に良かった。
「そこまでお考えでしたら、私如きの意見など不要でしたね」
「まさか――とても参考になりましたわ」
ニコリとレオポルドに微笑みを見せてから、ミネルヴァはゾフィーに向き直る。今度は表情を引き締め、悠然と命令を下した。
「という訳ですから、ゾフィー。五百の騎兵を率い、ムスタファを追い散らして下さい。可能なら敵将を討ち取っても構いませんよ。ただし敵が逃げだしたなら、決して深追いだけはしないように」
「御意。ですが、敵を引き付ける必要は無いのでしょうか?」
「深追いをしなければ、敵は反転して再び攻撃を仕掛けてくるでしょう。これに対して、再反撃をする必要はない――ということです」
「はっ、承知しました」
ゾフィーは命じられるや、すぐさま五百の騎兵を率いて出撃した。




