32 ヴィルヘルミネ、旅行気分でふわふわする
艦隊戦に勝利を収めて無事エスケンデレイへ入港したダランベル連邦軍は、すぐにもキーエフ帝国メンフィス方面軍司令官に泣きつかれてしまった。
彼の名はレオポルド伯シュテルク――二十九歳にして植民地たるメンフィスの総督を兼ねる、キーエフ門閥貴族の際たる人物だ。
「アーシリア川の東岸に、サマルカードの大軍が布陣しています! どうか、どうかご助勢をッ!」
エスケンデレイの港にヴィルヘルミネを出迎えたレオポルド伯は、ビックリするほどの涙目だ。それというのも既に二度の会戦で二度とも敗れ、三万を数えた軍勢を二万も失ったからである。
キーエフ帝国において軍権は、全てが皇帝に帰するもの。だから軍司令官や植民地の総督は、あくまでも皇帝の軍隊を一部、預かっているだけの存在だ。ゆえに勝利を収めることなく敗北し、あまつさえ多数の兵を失うことは大罪なのである。門閥貴族と云えども、罪を免れることは無い。
ましてや今は北方で、ヴァレンシュタインが連戦連勝という多大な戦果を挙げていた。となれば南方における連戦連敗は、何とも言えない落差である。いつ更迭されても不思議はない。だから司令官は目に一杯の涙を溜めて、ヴィルヘルミネに懇願したのである。
いや――現状において更迭で済むのなら、まだしも幸福であろう。
今、サマルカード軍はエスケンデレイの目の前にある大河――アーシリアの東岸に布陣し、その数は十万を数えている。しかも物資に不足はなく、士気も高かった。
それというのも、サマルカード軍は別動隊をメンフィス南方へ送っている。この別動隊が各地の制圧を終えて北上し、エスケンデレイへ迫っていた。
となれば十万の大軍を率いて川向いに待機するサマルカード軍の意図は、東と南からの挟撃に他ならない。
つまり、このまま手をこまねいていれば確実に、メンフィス最大の都エスケンデレイは落ちるのだ。
挙句に植民地の総督にして方面軍司令官たる身がサマルカードの捕虜となれば、果たして怒れる皇帝が許すであろうか?
そうしたことを考えるにつけ、レオポルド伯は背筋に悪寒が走るのだ。たとえ身代金が無事に支払われて本国への帰還が叶ったところで、所詮はどす黒い未来しかあり得ない……。
だから北の海より現れたヴィルヘルミネが、後光の差した救世主にも見えたのだ。であれば彼の懇願が、必死になるのも当然のことだった。
「な、何卒ー! 軍神とまで謳われるヴィルヘルミネ様のお力を持ちまして、不幸なる私めをお救い下さいませぇぇぇええ!」
答えるヴィルヘルミネは、未だ状況を把握していない。どころか名工風靡なエスケンデレイの風景に、「ふぁぁぁ」と心を奪われていたから、気楽に頷く有様だ。
ましてや先の海戦において、ヴィルヘルミネは大勝利を収めている。サマルカード与しやすしと女王の中には慢心が膨らんで、キョロリ、キョロリと辺りを見渡し余裕の表情だ。白亜の巨大な灯台を遠くに見つける頃には、すっかり上機嫌でエスケンデレイの防衛を確約したのだった。
「あー――……んむ。もとより、その為に来たのじゃからして、心配するな」
「おお! なんと頼もしきお言葉! このレオポルド伯シュテルク、感謝に堪えませぬぞォォォ!」
「まあ、サマルカード軍など恐れるに足らず。余と余の軍隊が、必ずや駆逐するであろう。フハ、フハ、フハハハハ!」
「ふぅーっ、流石は軍事の天才と名高きヴィルヘルミネ様。そのお言葉を聞き、安堵致しました。
ささ、早速ですが本日のご宿所には、メンフィスが誇るエスケンデレイの大王宮殿をご用意致しました。ご案内いたしますので、ごゆるりとお寛ぎ下さりませ」
恭しく頭を垂れながら、メンフィス総督たるレオポルド伯が四頭立ての大きな馬車を用意した。自ら扉を開き、女王の手を取り車内へとエスコートする。
ヴィルヘルミネは馬車のステップに足を乗せながら、不意に止まって遠くに見える白い建物を指差して問うた。
「――ときに、あの大きな灯台が、かの有名なラトスの灯台であるか?」
「ああ、ああ、流石は女王陛下、お目が高う御座いますな。船からもご覧になられたかと存じますが――あれこそは帝歴の以前におよそ百年をかけて作られた、世界七大建造物が一つにございます。高さは百四十メートルと、当時の技術であれ程の灯台を、どうやって作り上げたものやら……」
「ふぉぉぉぉおお……行ってみたいのぉ。あ、そうじゃ、本国から調査団を呼ぶのじゃ! なんとなればピラミッドとやらも、このメンフィスにはあるのじゃろ? じゃろ?」
「ははは。で、ありますな。しかしそれこそ、サマルカード軍を撃退なさらねば、気楽に調査という訳にも参りませんが……ささ、お早く馬車へ」
「ああ、んむ、そうじゃのう」
ヴィルヘルミネはゾフィーだけを伴い車中へ入ると、レオポルドは長身を折り曲げ女王の向いへ納まった。
「まったく――……サマルカード軍の行いは、未開の蛮族にも等しいものなのです。奴等はメンフィスの人々を奴隷として連れ去り、彼等の崇める神々の神殿を破壊する。ピラミッドとて、例外ではありませんよ。はぁ――……もしも私に力があれば、そのような行為は決して許さないのですが……」
レオポルド伯が物憂げに目を伏せると、長い睫毛が揺れていた。
近頃辛口なヴィルヘルミネが見た所、伯爵の顔面点数は八十二点。けれど憂いを帯びた表情を見たらカッコよく、三点ばかりを加点した。
ただ名家だからと総督になったのではなく、彼には何やら芯があるようだ。そうしたことにも近頃の女王は、何だか気付いてしまうのであった。
とはいえ、だからと掘り下げようとは思わない。だって顔面点数こそが全ての、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントなのだから。
「んむ、んむ――そうか。現地の人々を奴隷にするなど、やはりサマルカードは許せぬのう」
とはいえレオポルド伯のイケメンっぷりが少しだけ眩しくて、ヴィルヘルミネは車窓へと目を逸らした。
流れゆく景色を見れば、極彩色な建物や南方特有の植物が珍しくて胸が躍る。ここにはテレーズ教の寺院もあれば、異教の寺院も並んで立っていた。
見た目は緑豊かな大都市なのに、僅かばかり西方へ行けば砂ばかりの大地が広がっているという。だから知らず、赤毛の女王は口元に笑みを零してしまったのだ。
「まあ、サマルカードには懲罰を下すとしてじゃ――……余はの、砂漠というモノを見てみたい」
「おおお、流石はヴィルヘルミネ様! サマルカードに懲罰と申されますかッ! ああ、本当に心強いことにございます! ええ、ええ! でしたら砂漠へは、このレオポルド伯シュテルクが必ずや、ご案内仕りますともッ!」
「……で、あるか。楽しみじゃの」
馬車で港から宮殿へと向かう道すがら、ヴィルヘルミネは完全に旅行気分であった。
一方キーエフ軍のメンフィス方面軍司令官レオポルド伯シュテルクも、彼女が自分の命綱だと知っていればこそ、揉み手で女王の機嫌を取っている。
なので二人は「アハハ」「アハハ」と笑いながら、とても楽しそうにエスケンデレイの大王宮殿へ入ったのである。




