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31 エスケンデレイ沖海戦 4


 サマルカード艦隊司令のジェッザーは、目の前の光景が信じられなかった。横陣を敷き前進してきた敵艦隊が、一斉に回頭したからだ。そうして横腹を見せたと思えば、砲弾が雨あられと降ってくる。

 もちろん即座に応射したが、こちらは依然として敵に対し正面を向いたまま。要するに甲板上にある大砲だけが頼りだから、数が圧倒的に少ないのだ。

 

「クソ、クソッ! これでは反撃もままならんッ! 回頭しろ、回頭して反撃だッ!」


 旗艦の甲板で地団駄を踏みながら、ジェッザーは急ぎ全艦隊に回頭を命じている。

 蒼い空はどこまでも平和に見えて、春の海風は暖かい。だというのにジェッザーの胸に去来するのは、雪山で遭遇した吹雪のような極寒であった。


「い、急げ! こちらも敵に対して側面を向けろッ! 全ての砲甲板を使えば火力は互角なのだ、押されるなッ!」


 対してエリザは急ぎ回頭する敵艦隊を見て、薄笑みを浮かべていた。咥えた葉巻の火を消すこともせず、悠然と腕を組んでいる。肩に掛けたコートを靡かせながら、抉れて変色した顔の傷には誰をもたじろがせるような、暗澹たる凄みがあった。


「――それじゃあ遅いんだよ、それじゃあ。そんな腕でアタシと戦おうなんざ、百年早かったねぇ」


 艦隊を横に向け砲甲板に設置された全ての火力を叩きつけたい、と思うジェッザーの気持ちは、エリザとて理解できる。と、いうより黒髪の女提督は、敵がそうした心理に陥ることを利用したのだ。


 何せ艦の回頭中は、砲撃を止めざるを得ない。仮に砲撃を続行出来たとして、狙いを定められるはずなど無かった。だからダランベル艦隊は敵艦隊の回頭中、大砲を撃ち放題になる。

 しかも敵から反撃が無いということは、味方は安心して狙いを付けられた。のみならず敵艦からの外れ弾が海を揺らすことも無くなるから、命中精度が一層向上することになる。


 だから、エリザは口の端を吊り上げ言ったのだ。


「全艦隊一斉射――……海軍の戦い方ってやつを、海賊どもに見せつけてやんなァ」


 ダランベル、キーエフの連合艦隊による激しい砲撃が始まると、もはやサマルカード艦隊は回頭どころではなくなった。艦首を翻して敵前逃亡を図る艦も出る始末で、指揮系統もズタズタだ。

 阿鼻叫喚の地獄絵図がサマルカード海軍の艦内を彩り、指揮官の声は悲鳴にかき消されて届かない。果ては船奴隷が腕の鎖が外れるを幸いに、それを武器に士官を襲っていた。


 そうした渦中にあり、ジェッザー提督は戦闘開始から僅か四十分、旗艦と共に海の藻屑と消えている。沈みゆく巨艦と運命を共にしたのか、それとも砲弾の破片を喰らい知らぬ間に絶命したのか、はたまた反乱奴隷に殺されたのか――歴史に彼の死の真相を示す資料は見当たらない。


 ただ、ヴィルヘルミネが指揮する艦載艇の群れ――エリザ曰くの海賊どもが敵の砲艦へ攻撃を開始したのは、ジェッザーの旗艦が海中へ没する前だった。だから彼が戦況に絶望して自死を遂げた、という説だけは否定されている。


 ともあれ指揮官を失ったサマルカード艦隊は副司令官に指揮権が移譲されるや、即座に撤退行動に移った。回頭を終えたところで、もはや戦闘可能な艦艇とて多くない。だから更なる回頭をして、逃げ出そうというのである。

 

 というのも別に、副司令官が臆病だった訳ではない。奴隷たちが騒ぎ出し、ここで撤退しなければ操艦もままならぬ状況に陥ったのであろう。であればサマルカードの士官たちとしては、断腸の思いだったのかも知れないが。


「まあ、正しい判断さ」


 エリザは逃げ出していく敵の主力を見つめながら、現地点に留まりつつ、更なる砲撃を加えるよう命じていた。ここで艦隊を動かし敵を追ったところで、意味が無い事を知っていたからだ。

 

 結果を見れば約一時間の戦闘で、ヴィルヘルミネ艦隊は圧倒的に勝利を収めている。失った艦艇は一隻も無く、死者は十二名、重軽傷者が七十二名であった。

 対してサマルカード艦隊は大破、轟沈が三隻。自力航行が不可能となった艦艇が七隻で、死傷者の数は優に千名を超えている。

 何よりヴィルヘルミネが敵の砲艦を悉く拿捕したから、降伏した艦艇と人員の数が多かった。


 ■■■■


 赤毛の女王は大勝利に沸く旗艦リンドヴルムへ戻ると、砲艦の船奴隷を全員解放する旨を宣言した。お陰で彼女は更なる喝采を浴び、「ぷぇ?」と首を傾げている。

 ヴィルヘルミネにしてみれば彼等を仲間にする為に、最初から考えていたことだ。何よりメアリーの作戦に従って、約束を守っただけである。それを今更宣言したからと、賞賛されるような謂れも無い。そう思っていたのだが――……。


「なるほど、ヴィルヘルミネ様の意図は、ここにありましたか。即ち南方に未だ根付く奴隷制度を、この遠征をもち廃止せんとなさっているのですね」


 ピンクブロンドの髪色をした青年が、込み上げる熱いものを堪え、天を仰いでいた。

 

「ああ、そうか、そういうことだったのかッ! ならばこの戦い、ただ単にキーエフの走狗となるわけでは無い。どころか世界に遍く正義を敷く為に、ヴィルヘルミネ様は世界の情勢さえも利用なさっていたのですねッ……! 流石ですッ!」


 金髪碧眼の親友が、徐にギュッと女王の両手を握っている。だからヴィルヘルミネはカクカクと頷いて、褒められちゃったとご満悦だ。


「解放なんて、奴隷を味方にする為の方便だけでも良かったのに。ヴィルヘルミネ様――……アンタ一体、何を考えているんだい……」


 女王の前に進み出て、赤毛の元女海賊は問わずにいられない。

 ヴィルヘルミネはゾフィーから手を放し、メアリーに向き直り真剣な顔で言う。さっき褒められたから、彼女はしっかり調子に乗っていた。


「余は奴隷という習慣を好まぬ。だって、人は生まれながらにして平等じゃし、じゃし」

「そ、んな……本気で信じているのかい、そんなこと……」


 メアリー=ブランドンは込み上げる涙を堪えながら、震える胸を押さえて言った。もしも、これほど強く優しい君主が治める世界なら、かつての自分も海賊になどならずに済んだだろう。

 誰かを殺し、奪って生きるまでもない。だって彼女が全てを与え、解放してくれるのだから。


「んむ。ゆえに余と余の軍隊は、これよりメンフィスの地にある全ての奴隷を解放する。異論、反論の一切は、これを許さぬと心得よ」

 

 ヴィルヘルミネとしては、特に考えがあり言ったわけではない。あえて言えば、みんなが褒めてくれたから調子に乗っただけのこと。

 ただ、奴隷制度を廃止した国に生まれ育った経緯から、手足を鎖で繋がれた奴隷を見るに忍びなかったことは事実である。


 それに同じ人でありながらも一方は鎖につながれて、もう一方が鞭で打つ。このような歪な関係をヘルムートの薫陶よろしきヴィルヘルミネは、どうしたって正しいとは思えないのだ。


 ――奴隷解放。んむ、んむ、良い響きじゃ。やはり余の行いは、正しいことであろう。ようし、がんばるのじゃ! えい、えい、おー!


 こうしてヴィルヘルミネの思慮浅き正義感は炸裂し、いよいよメンフィスの地を席捲するのだった。

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