30 エスケンデレイ沖海戦 3
三十人の精鋭を乗せた艦載艇の一隻に、二人の赤毛の女性が乗っていた。一人は悠然と腕を組み、無言で前方を見つめている。もちろんこれは、呆然自失のヴィルヘルミネであった。
――どうしてこうなったのじゃ!
頭を激しく前後に揺さぶろうにも、小型の船舶であれば既にして揺れが酷い。であれば船酔いもマックス状態で、ヴィルヘルミネは微動だに出来なかった。
そうした女王を横目にして、もう一人の赤毛の女性がニヤリ――笑っている。
「いいねぇ。流石は私に勝った女王様だ、肝が据わっている。それに率いる兵も、中々どうして見事なものさ。軍人なんかにしとくには勿体ない程、みんな良い面構えじゃあないか」
もう一人の赤毛の女性、メアリー=ブランドンは上機嫌だ。久しぶりの海賊仕事に胸躍らせて、鼻歌まで歌っていた。
それにしたってヴィルヘルミネは、せめて旗艦で大人しくしていたかったのに。まさか最前線に繰り出して、指揮を執る羽目になるとは思わなかった。
けれど内心の不本意が、彼女の外見を彩ることは無い。なにせオエオエ吐きそうになる不愉快を堪えれば、顔は常にも増しての無表情。であれば奥歯がガチガと鳴ることも無く、ただただ悠然と前方を見据えるかに見えて、まさに女王は軍神そのものの様相だ。
そんなヴィルヘルミネだが実のところ、艦隊司令にして第一海軍卿たるエリザの判断には一言物申したい。
何せゾフィーとメアリーの二人が甲板にいる女提督を訪ねると、彼女は二つ返事で敵砲艦撃滅の作戦を了承したのである。
「ふぅん、砲艦をねぇ? ま、女王陛下のお達しじゃあ、アタシに反対する権利は無いさ、好きにしな」
ジロリとメアリーを睨み据え、プカリと煙草の煙を吐き出すと、ニヤリと笑ってエリザは言った。
「感謝します、クルーズ提督」
ゾフィーが向けた敬礼に、エリザは手を振り笑って言う。
「いいさ。で、総指揮は誰が執るんだい? まさかゾフィー、アンタかね?」
「いいえ、まさか。総指揮はヴィルヘルミネ様がなさり、メアリー=ブランドンが客将として、これを補佐します」
「へえ……そりゃあ珍しいこともあるもんだ。血の気の多い海賊上りが、まさか女王の為に戦おうなんてねぇ。
いや、どころかこれは、血塗れメアリーまで手懐けちまったってのかねぇ……我等が女王陛下は」
「わ、私は別に、手懐けられてなどいない。海賊としての私の強さを見せつけて――……」
「おやおやおやぁ、メアリー=ブランドン。何を慌てて弁解しているのかなぁ?」
太い葉巻をピンと指で弾き、海へ投げ捨てエリザは言った。
「べ、弁解なんか――……」
「ふん、まあいいさ。ともあれ女王陛下には、旗艦の艦載艇を使って頂こう。艦載艇にはカミーユも付けるから、存分に暴れて下さいと――陛下には、そう伝えておくれ」
「分かった、伝える。が、私は断じて懐柔された訳ではないからなッ!」
「――まあまあ、何でもいいさ、メアリー=ブランドン。アタシはアンタがダランベル海軍へ来ることを、歓迎するよ。かつての強敵が味方になるってんなら、心強いことこの上ないさ」
クツクツと忍び笑いを漏らしつつ、メアリーの肩に手を乗せエリザが言う。かつての強敵がヴィルヘルミネの前に今こそ膝を折るのかと思えば、エリザは痛快な気分だった。
一方でメアリーもヴィルヘルミネの思い切りの良さ(勘違い)に、キーエフ皇帝には無い魅力を感じているのも事実である。
同じ宮仕えをするのなら、より良い主君の下にいたい。もっというなら海賊として、自分よりも弱い者の下には付きたくないというのがメアリーの本音である。
であれば自分に一騎打ちで勝ったヴィルヘルミネこそ、ある意味では理想の主君になるわけだが……。
そうした思いを見透かされただけならば、メアリー=ブランドンとしては不愉快だ。けれど苦笑を浮かべたエリザの心根に、図らずも胸を打たれてしまったから。
「キーエフなんぞにいたら、海賊を嫁にした旦那の肩身が狭いだろう。けれどウチなら、ほら、女王陛下がアレだから――能力さえあれば、それで全てが許される。だからなあ、メアリー、これを契機にこっちへ来いよ」
「……ああ、考えておくさ」
■■■■
こうしてヴィルヘルミネは、あれよ、あれよと言う間に艦載艇へ乗せられた。そうして最前線へ向かうから、いやが上にも連邦王国軍の士気は高くなる。
というかメアリー=ブランドンさえ既にして、女王ヴィルヘルミネの虜なのだ。であれば彼女が率いる艦載艇の大群は、もはや熱狂の渦中にあると言って良い。
艦載艇の乗員たちは敵の砲弾が雨あられと降る中でも、女王の姿が見えるからと怯まずに櫂を漕ぐ。
そうして瞬く間に敵の砲艦へ迫り、銃の射程距離へと詰め寄った。だからメアリーはヴィルヘルミネに声を掛け、今が頃合いだと告げて言う。
「ヴィルヘルミネ様、攻撃開始のお下知を。下から銃で脅せば、奴隷の船乗りは手を止めます」
知らずメアリーの口調が、臣下のそれになっていた。この作戦が成功したならば、キーエフ帝国など見限って、夫ともどもヴィルヘルミネの家臣になろうとの、気持ちも既に固まっている。
「んむ」
赤毛の女王は頷いて、高々と軍刀を掲げて言う。
「総員、攻撃を開始せよ」
既に艦隊同士の戦いも始まっていて、海は爆音と飛沫と白煙が支配する様相だ。それでヴィルヘルミネは、むしろ艦載艇の方が安全じゃあないかと思うから、奇妙に落ち着き言えたのである。
女王の命令はラッパ手によってメロディーに代わり、海原へと広がった。すぐに無数の艦載艇から銃撃音が響き渡ると、敵の砲艦に多くの穴が開く。内側からはくぐもった悲鳴が聞こえ、同時に櫂の動きは止まっていた。
「行くぞ、ボクに続けッ!」
まずはジーメンスが指揮する一隊が、敵の砲艦へと乗り込んだ。それからイルハン=ユセフ、カミーユ=ド=クルーズと続いていく。
海上にあって最も危険な三重奏が始まるや、サマルカードの砲艦隊は大混乱をきたしていた。
「数はこちらが勝っているのだッ! 敵一隻につき、必ず二隻以上を接舷させてから斬り込めッ!」
ゾフィーは第二近衛師団長という立場上、やや後方に身を置き指揮を執っている。その指揮ぶりは的確で、確実に敵を追い詰めていくものだった。
そうした状況を見渡して、赤毛の女王は一先ずの安心を得た。どうやら味方は勝ちそうで、損害も出していなかった。
艦隊戦では幾度か味方が砲撃を受けてはいたが、大破はおろか中破した艦も無い。ならばと赤毛の女王は胸を撫でおろし、嬉しさの余り隣に座るメアリーに抱き付いた。
「のう、メアリー。どうやら我等の勝ちは決まったようじゃ」
メアリーは何故だかキュンとして、大きく目を瞬く。
仮にも一国の君主が元海賊を抱きしめるなど、あり得ない。
少なくともキーエフ帝国においてなら、自分は平民以下の女なのだ。それをホラントが妻にして、ようやく一端の人間になれたけれど。
「ねえ、ヴィルヘルミネ様――……私がお仕えしたいと申し上げたら、それって迷惑になりますか?」
「まさかの。卿は余によく似ておるから、昔から気になっておった。余に仕えると申すなら、大歓迎じゃとも」
こうしてヴィルヘルミネは海戦に勝利を収め、メアリー=ブランドンをモノにした。後に北方艦隊を率いる第二海軍卿は、こうして誕生したのである。




