16 カバ、死なないで
意気揚々と聖都カメリアの門を開いた聖堂騎士団総長トマ=ソナクは、ヴィルヘルミネ率いる五万のダランベル連邦軍を引き連れ教皇の宮殿へと向かっている。
整然とした聖都の街路に響くのは、ざっ、ざっ、と一糸乱れぬダランベル軍の行進の音。市民は恐れて門扉を固く閉じ、頼みの聖堂騎士団は総長を人質に取られたからと、張子の虎も同然の有様であった。
もっとも、トマ=ソナク自身に人質であるという気持ちなど一切ない。どころか率先してヴィルヘルミネに聖都の要所を伝えると、聖堂騎士団の幹部にはダランベル軍に協力するよう命令を下している。
であれば瞬く間にカメリアはヴィルヘルミネの手に落ち、教皇の宮殿も今やヴィルヘルミネの軍勢が包囲するところであった。
宮殿を望む広場に本営を構えたヴィルヘルへルミネだが、しかし攻撃命令は下さない。
そもそも赤毛の女王に教皇庁攻略の意思は無く、ただ単に高位聖職者――出来れば教皇本人をフェルディナント本国へ迎えたいだけなのだ。お迎えに来ただけなのだ。
――なのに、どうしてこうも抵抗されるのじゃ?
本営の前を慌ただしく走り回る士官や伝令を目で追いながら、ヴィルヘルミネは溜息を吐く。
「外務局、制圧完了しました!」
「財務局、制圧完了!」
「ようし、承知した。しかし相手は皆、高位聖職者だ。誰一人、死なせないでくれ給えよッ!」
伝令の報告を聞き、副師団長たるジーメンスが女王の代わりに命令を下す。特注の白い軍服を着て胸元のポケットに真紅の薔薇を差す彼は、どこまでも気障な若き准将であった。
と、今度は二メートル近い色黒の巨漢がヴィルヘルミネに近づき、恭しく片膝をついて言う。
「ホテル・クインシーを接収しました。以後、そちらを司令部になさって下さい」
「んむ、ご苦労じゃの、ユセフ。しかし接収というよりは、貸し切りと申す方が良かろう。これはその――……観光のようなモノなのじゃからして、して」
「はっ、御意のままに」
相変わらず無口なイルハン=ユセフは、そのまま影のように消えた。
ヴィルヘルミネはユセフの言う事を素直に聞き入れ、親衛隊長となった元酔いどれ――スヴェン=ゼーフェリンク少佐に守られて、件のホテルへと向かう。それは広場からもほど近く、中規模のありふれたホテルだった。
そうしてホテルに入った赤毛の女王は、窓から夕暮れに染まる赤い空を見上げ、「ううむ」と眉根を寄せている。すでにダランベル軍は教皇の宮殿を囲んだまま、烹炊の煙を上げていた。
――このまま宮殿を囲んでいては、何が起こるか分からぬ。というか、既に余の軍隊が、街を占領せんばかりの勢いじゃ。どうもこれ、思っていたのと違うんじゃが、じゃが……。
街を占領せんばかり――ではない。幕僚たちは確実に、カメリアを占拠しようとしていた。ついでに言えば聖職者たちに無条件降伏を突き付けるべく、威嚇射撃さえ始めようという頃合いだったのである。
そんな時分に何だかんだと考えあぐねたヴィルヘルミネは、ゾフィーに篭絡されたトマ=ソナクを使者として、教皇庁へ送り込むことにした。なにせ彼女はここに至っても話せば分かるぞと、今なお、お花畑な思考のままだったからだ。
――おお、余、名案じゃ! だってヤツならカメリアの門も開けてくれたし、きっと宮殿の門も開けてくれるじゃろ!
この案にゾフィーは眉根を寄せて反対したが、しかし確たる説得力を持たない、漠然とした反対意見しか彼女は言えず――。
「ダ、ダメです、ヴィルヘルミネ様! あの男、何か成功すると、わたしにチュウを迫るのでしゅ……だから、もにょもにょ……とにかくダメなんです!」
「ん、なんじゃ、ゾフィー? チュウ?」
「な、何でもありませんッ!」
「では、やらせてみるのも一興じゃろう」
「そ、それは、そうですね……はい、分かりました。ただ、わたしは、あの男が苦手ですッ!」
「むぅ……で、あるか。人の好みは様々じゃの」
なるほどヴィルヘルミネはトマ=ソナクが嫌い、という訳ではない。
確かにモッサリした顔は垢抜けないし、贔屓目に見ても七十点を精々超えるといったところ。しかし、見ようによっては髭もじゃのカバみたいな顔が、可愛いと言えなくもない。系統でいえば、オルトレップ顔なのだ。
――ベーアと並べたら、楽しそうじゃな。熊とカバじゃ、むぷぷ。
という訳でヴィルヘルミネはトマ=ソナクに親書を託し、教皇庁に宮殿の門を開くよう頼む気になったのである。
もっとも、接収したホテルの一室にトマ=ソナクを呼びつけた女王が、彼を厚遇したかと言えば、そうでもない。何せ名前すら覚えておらず、何ならカバに似ているからと、そのままカバ呼ばわりをしていたくらいなのだ。
「カバ=ソナク。余の親書を持ち、宮殿へ赴け」
「カ、カバ?」
「んむ――……余の意思を知れば、枢機卿の皆様方とて無用の抵抗はなさるまい」
「は、確かに攻撃の意思なしと知れば、で、ありましょうな」
「で、ある。ゆえにカバ=ソナク、行け」
「あ、あの、ヴィルヘルミネ様。拙僧、トマ=ソナクでありますが……」
「――む、む? さっさと行くのじゃ」
結局、名前を覚えられなかった女王は、失敗を誤魔化すようにそっぽを向いて手を振った。が、これが諸将には裏切り者に対する嫌悪感に見えたから、やはりヴィルヘルミネ様は気高いと、またも皆に大きな勘違いをさせたのだ。
「万が一にも教皇庁がトマ=ソナクを殺したならば、その時こそ宮殿に攻め入る絶好の口実となる。そういうことですよね、ヴィルヘルミネ様」
ニッコリ微笑むエルウィンが、しれっと怖い事を言う。
――え、えぇ~~~~。
赤毛の女王の目は泳ぎ、まさかそんなことになっちゃうの!? と心臓がバクバクだ。
「おお、流石はヴィルヘルミネ様! あんな男、裏切り者としてクソ坊主どもに殺されれば良いのです! そうしたら攻める口実も出来るし、一石二鳥ですね! そういうことなら、最初に言っておいて欲しかったです!」
俄かに元気を取り戻したゾフィーが、拳を握り締めてガッツポーズを決めていた。
そうして赤い夕陽は落ちていき、静かに月が昇っていく。
――余、そんなつもりでは無かったのじゃ~~~。
ヴィルヘルミネは「カバ……死なないで……」と一言呟いて、窓から見える宮殿をじっと覗いている。
こうして赤毛の女王は、利用できるモノは全て利用しようという冷徹な支配者の一面を幕僚に見せ、更に評価を高めたのだった。
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