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11 ポケットの中のナッツ


 キーエフ帝国の南端を西へ進むと、その先には更に南へと突き出た半島がある。かつて大帝国を築き、帝歴の元となった国家カメリア――その名を冠する街こそ、教皇が座す聖なる都なのであった。

 しかし、このパレストリ半島へ大陸から至る為には、半島に蓋をするかの如く東西に聳えるエリュクス山脈を越えなければならない。

 そこでヴィルヘルミネは山越えに備え、麓の街で補給を兼ねて軍団に三日の休息を与えていた。


 十一月十日は、青空の広がる爽やかな秋晴れの日であった。ビュウと吹く北風は寒くとも、征く道に立ち塞がる敵とていない赤毛の女王はご機嫌で、朝から宿営中の兵士の間を巡り、自ら激励の声を掛けている。


「冬を迎える前に、エリュクス山脈を越えねばならぬ。よく英気を養っておくのじゃぞ」

「はい、ヴィルヘルミネ様! 必ずや、天嶮を越えて見せます!」

「食料は足りておるか? 不足があれば、何なりと申し出よ。山中へ入れば、取り寄せることも出来ぬゆえな」

「お気遣いありがとうございます、陛下!」


 激励に飽きると女王は兵士の軍服を借り、お忍びで歩兵小隊の昼食に混ざったりもした。「ウシシシ」と笑いながら何気なく鍋を囲み、同年代のイケメン兵士を見つけて言葉を交わしたりもする。


「卿……ではなく貴官……でもなく……ええと、君の出身はどこじゃ……かな? へ、へへ」


 軍帽を目深に被ったポンコツ女王は、ともするとコミュ障の新兵にしか見えない。けれど目にかかる赤毛の奥に覗く紅玉の瞳が美しすぎて、声を掛けられた兵士はドギマギとした。


「え、あ……お、お、おめぇ、なに言ってんだよ! こ、ここ、この連隊は全員、アルザスから集められてんだ! おめぇだって、そうだろ?」

「う、うむ、うむ、そうじゃな。そうじゃった」

「なんだ、お前、配属されたばっかりか?」

「じ、実はそうなのじゃ」

「なら、知らねぇだろうな。いいか、ここの師団長はスゲェんだぜ。昔は二刀オルトレップの下で連隊長をやっていた人でな、その武勇は並ぶものなし。しかもヴァイオリンの腕は、宮廷楽師も舌を巻くって程のお人さ!」

「ほう――……で、その師団長の名は?」

「ノーリッツ=ライナーってお方さ。何てったって俺たちと同じ平民なのに、雲の上まで行っちまった凄ぇ人だからな、尊敬してるんだ!」

「ははは――……で、あるか」

「でも良かったぜ! アルザスがフェルディナントへ組み込まれたお陰で、ライナー師団長の指揮下に入れたし、だから女王陛下の為に戦えるんだ!」

「そうか、君は忠義に厚いのじゃな」

「あったり前よ! 俺ぁな、いつか女王陛下から勲章を貰うのが夢なんだ!」


 拳を握る少年兵は、希望に目をキラキラと輝かせていた。


「うむ、良い心掛けじゃ。その為には、沢山食べねばならんのぅ。腹が減っては何とやらじゃし、じゃし」


 当の女王陛下と言えば、少年兵が八十点を超える美貌だから、ちょっとだけデレている。なので鍋から大量の肉をカップへ取り分け少年兵へあげようと、なけなしの女子力を発揮していた。

 

 ――ふふふ~。今は勲章を持っておらんが、この肉なら沢山あげるのじゃ!


「あ、待てよ、お前! 肉の分量は決まってるんだから、そんなに一人で取ったらドヤされるぞ!」

「ぷぇぷぇぷぇ~~~のふふふふふーん! なぁに、遠慮などするでな―い。いま余が取り分けてやるから――プギャー!」


 上機嫌で鼻歌交じりに肉を取り分けていたヴィルヘルミネの頭上に、いきなりの星が舞う。なんと鬼軍曹の拳骨が、怒声と共に降ってきたからであった。


 ■■■■


「新兵のクセに肉を摂り過ぎだ、このバカモン! まずは立て! それから所属、姓名を名乗れッ!」


 涙目で振り返り、赤毛の女王が少年兵と共に立ち上がる。


「しょ、所属? 余の?」

「余、ではない! 貴様、まずは一人称から改めんかッ!」

「ぷ、ぷぇ? 余は、余じゃよ?」

「俺を馬鹿にしているのか、貴様! もう一発殴るぞッ!」

「ヒェッ……」


 咄嗟に頭の上を手で押さえるヴィルヘルミネ。上目遣いに鬼軍曹を見て、プルプルと肩を震わせている。そこで少年兵が咄嗟にヴィルヘルミネを庇おうと、一歩前に進み出た。


「も、申し訳ありませんでした、軍曹殿! 自分の指導が悪かったのであります!」

「ジャック、貴様は引っ込んでいろ! 俺は今、この小娘に説教をしているんだ!」


 鬼軍曹は顔中が毛むくじゃらで、目だけが爛々と輝いていた。大きな身体はトリスタンと並んでも引けを取らない程で、百九十センチにも届くだろう。

 歩兵隊の軍曹と言えば、兵の先頭に立ち敵陣へ突っ込む役回りだ。となれば、これくらい気合が入っていて当然なのである。


「は、はひぃぃぃ――……」


 委縮したヴィルヘルミネが直立不動でプルプルしていると、どこからともなくヴァイオリンの美しい音色が聴こえてくる。余りにも甘美なメロディーが場を支配して、瞬間的に皆が陶然とした。

 だから叱る軍曹と一緒にヴィルヘルミネも音の方へと目を向けて、暫し麗しの音楽に酔いしれる。


「ああ、これはヴォルフガングのヴァイオリン・ソナタ。うむ、うむ――実に見事な腕前じゃ」


 美しい音色によって暴力の恐怖を忘れ去り、赤毛の女王は軍曹の下を離れていく。まるで光に吸い寄せられる虫のように、彼女はヴァイオリンが奏でるメロディーに引き寄せられてフラフラ、フラフラと歩き出し――……。

 だが、そんなヴィルヘルミネの行動を見た軍曹は、ハッとして彼女の後を追った。


「やい貴様! 一等兵! 音楽が分かるのか!? 凄いな! じゃなくて、まだ説教は終わっておらん! 命令を聞けんやつは戦場で真っ先に死ぬのだ! いいか、おいッ! 俺はお前の命を守ろうとして――……」


 鬼軍曹がヴィルヘルミネを捕まえようと、襟首へ手を伸ばした瞬間だ。ヴァイオリンを演奏していた手を止めて、砂色髪の青年士官がヴィルヘルミネと軍曹に向き直る。そして女王へ歩み寄り、踵を合わせて敬礼を向けた。


「陛下――……今日はまた、珍しい服を御召しですね」

「――ん?」

「ふぅ……お忍びも結構ですが、今頃ジーメンスやユセフ辺りは慌てているでしょうねぇ」

「む、む……その、なぜ余が余だとバレたのじゃ?」

「ははは、分かりますよ。陛下の赤毛はいつだって、太陽のように輝いていますから」


 砂色髪のイケメンに褒められて、赤毛の女王は頬をポッポと火照らせた。だから慌てて話題を変えると、誤魔化して言う。


「ラ、ライナー少将。また一段とヴァイオリンの腕を上げたの」

「お褒めに預かり、恐縮に存じます」

「うむ。では、褒美をとらそう」

「ついに私めを、宮廷楽師にして下さるので?」

「手を出すのじゃ」

「――……手、でございますか?」


 怪訝そうに首を傾げながらもライナーは、主君に言われた通り右手を開いて出した。

 赤毛の女王はポケットに手を突っ込み、ゴソゴソ回すとそこからナッツを二粒、三粒と取り出していく。それを徐にライナーの手へ乗せて、「んまいぞ」と口の端を吊り上げた。

 

「はぁ、では、ありがたく――……」


 ライナーは主君のいかにも兵士な行動に、苦笑を禁じ得ない。

 ポリポリとナッツを噛み締めるライナーを見て、一方の鬼軍曹は顔面蒼白だ。ブルブル震えながら女王に向き直り、直立不動で敬礼をする。


「じょ、女王陛下とは露知らず、そ、その、自分は――……」


 鬼軍曹は自らが女王にした行為を思い、生きた心地がしなかった。なんとなれば女王に拳骨を落としたのだ。死刑かも知れないと覚悟を決めて言う。


「じ、自分は王国に対して二心など無く忠誠一途の身でありますれば、どうか、どうかッ!」

「やあ、軍曹。二心があろうが無かろうが、陛下の頭をゴツンと殴った事実は変わらないだろう?」

「そ、それは師団長閣下、そのッ……!」

「ま、私に言い訳するよりも、陛下にお詫びする方が先だろうねぇ」


 ヴァイオリンを片手にクツクツと笑うライナーを横目に、鬼軍曹は慌てて平伏した。それはまるで、ヴィルヘルミネに対して五体投地をせんばかりの勢いだ。


「へ、陛下とは知らず、申し訳ありませんでしたー!」


 自らの足元に身を投げ出した鬼軍曹を見て、ヴィルヘルミネは彼の後頭部をペチペチと手で叩く。むしろそれは、労いの行為であった。


「良い。卿の申す事、いちいち尤もであったぞ。ゆえに余に詫びねばならぬことなど、何一つとして無い。むしろほら、褒美じゃ。面を上げよ」


 そうしてヴィルヘルミネは、またもポケットに手を入れた。そこから三粒のナッツを取り出すと、顔を上げた軍曹の口へ、手ずから入れてやったのである。


「どうじゃ――……この塩味。美味かろ? な、な?」

「はい、美味しゅうございまするぅぅぅうう!」


 鬼軍曹は後に鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)へ入隊し、一騎当千の働きを見せる。

 そんな彼が酔う度に話すことは、ヴィルヘルミネに手ずから貰ったナッツのことで、それは孫の代まで一家の自慢になるのだった。

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心暖まりますな.ミーネ様がお元気で何よりです.
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