10 回転する世界
バルジャンとアデライードの死について未だ知らないヴィルヘルミネは、キーエフ領内を絶好調で西進中だ。なんなら都市を三つほど落とし、完全に帝国へ喧嘩を売っている。だというのに、「どの都市も親切に門を開けてくれて、良かったのう~」などとトボけたことを言っていた。
そもそも、五万の大軍を率いた戦争の天才が目の前に現れたら、どんな街の行政官だって揉み手で出迎えて当然だろう。命は惜しいし、住民だって守らねばならないのだ。
とはいえ仮に援軍が到着して戦力が互角になったとしても、行政官たちが門を閉ざすかと言えば怪しかった。赤毛の女王に対し武名で対抗できる者など、中々いないからである。
しかもキーエフは先ごろ、ようやく北方にあるエーランド王国の侵攻を退けたばかり。であれば今やキーエフの西端となった町々は、ダランベル連邦王国に付く方が得だとの皮算用もある。
とはいえ帝国は、決してエーランド王国に負けた訳ではない。事実キーエフに攻め込んでいた二人の王子は本国へ撤退し、勝利の凱歌を上げたのは皇帝軍司令官たるヴァレンシュタイン公爵であった。
なので援軍として来るのがヴァレンシュタインでもあれば、事情も随分と違っていたはずだ。そもそも彼であれば、戦争の天才ヴィルヘルミネと比して武名に劣るということもない。
だというのに朱色髪の名将は、皇帝からのヴィルヘルミネの討伐命令を受けるや、これを言下に拒否している。
「いや、エーランドとの戦争が思いのほか長引いたし、戦後処理もせねばならん。ゆえに対ダランベル連邦王国の指揮官は、誰か別の者を任命されては如何か?」
苦笑を浮かべるヴァレンシュタインは、その実ヴィルヘルミネと水面下で同盟を結んでいた。そういう意味で彼は、絶対にダランベル連邦王国とは敵対しないのだ。
もっともキーエフ皇帝ヨーゼフ六世も、決して暗愚ではない。ダランベル連邦王国とヴァレンシュタイン公国との繋がりは、とうの昔に調べが付いている。だからヨーゼフは長引く北方戦役にかこつけて、ヴァレンシュタインに自らの腹心を援軍として派遣したのだ。
「もしもヴァレンシュタインが余を裏切るのならば、闇に葬れ」
――との命令を添えて。
だから、今回ヴァレンシュタインの命令拒否を聞いた皇帝ヨーゼフは、すぐにも暗殺を実行するよう命令を下すところであったのだ。ところが、ランスの争乱により事態は急変した。
去る十月二十五日にランス王シャルルと王妃マリーが民衆により、投獄されたからだ。なんとなればマリーはヨーゼフの血を分けた妹である。それが平民に虐げられるなど、あってはならぬことであった。
「グランヴィルの平民どもが蜂起し、王と王妃を投獄しただとッ!?」
しかも矢継ぎ早に舞い込む知らせでは、既にレグザンスカ公の一家が処刑されたという。
だからヨーゼフはヴィルヘルミネに対するよりも怒り心頭で、いよいよ大軍を集めてランスへ攻め入るよう命令を下したのである。むろんランスの国王一家を救うべく、これは圧力を掛ける為でもあった。
同時に皇帝ヨーゼフは、「ランス国王の現状は、エウロパ大陸における全主権者の共通する利害に関わる、重大な問題である」との談話も発表。
これにウェルズ王国、リスガルド王国といった大国の君主が同調し、ランス革命政府は緊張を余儀なくされることになる。
しかも皇帝ヨーゼフはランス遠征軍の指揮官に、再びヴァレンシュタインを指名した。
何故なら朱色髪の名将こそ、帝国の武威を体現する人物だからである。
なにせ十五万の大軍をヴァレンシュタインが率いるとあらば、ランスの平民どもは震え上がるであろう。その上で国王一家の解放を要求すれば、ランスの革命政府も飲まざるを得ないと踏んだのだ。
「――が、この軍さえヴァレンシュタインが率いぬとあれば、その時こそ殺せ」
妹夫婦と甥の窮状に心を痛める皇帝は、玉座にあって冷然たる命令を発した。
内に外にと敵を抱える帝国の帝冠を、婚姻外交を駆使して掴んだ大貴族。それが現当主、ヨーゼフが率いるランズベルグ家だ。であれば陰謀、工作、暗殺こそ、お家芸。むしろ戦争よりも得意なのである。
であれば内心とかけ離れた表情を作ることも容易く、今は悲しみも怒りも内に秘すべきだと心得ていた。
だが――玉座の階を降りたヨーゼフは、広間に置かれたピアノに向き合うと、心のままに鍵盤を弾く。音の奔流は白亜の宮殿を震わせ、廷臣たちは皇帝の激情に恐れ慄くのだった。
■■■■
ヴァレンシュタインの副将となった皇帝の腹心は、オイゼビウスという名の侯爵であった。彼は三十七歳で、ヴァレンシュタインよりもやや年長である。
堅実な用兵は隙が無く、どんな戦いにおいても大勝はせず、かといって大敗したこともない。「程々に勝ち、程々に負けるがよい」というのが信条の男であった。
そうした人物であるから皇帝に対してもヴァレンシュタインに対しても、当たり障りの無い対応を心掛けている。だというのに「ヴァレンシュタインが裏切ったなら、躊躇せず暗殺せよ」などという大命を与えられ、正直なところ毎日、気が重い。
そんなところで朱色髪の名将は、ヴィルヘルミネの討伐を断った。いっそ真実を話して命令に服させようかと思っていたところ、新たな命令が届いたから、オイゼビウスはホッと胸を撫でおろしていたのである。
「やれやれ――陛下の矛先が、ダランベル連邦王国からランスへ変わりましたぞ。ヴァレンシュタイン閣下には、速やかに軍を纏め、ランスを攻めるように――とのことです」
「うん、まあ陛下としても妹君が捕らわれの身とあっては、気が気ではあるまいな」
敵を退けたままに留まる街の屋敷で歓待を受けながら、ヴァレンシュタインは隣に座るオイゼビウスの言葉を受けていた。と、同時に彼は次々と酒を注ぎに来る街の有力者に笑顔で応じ、「うん、うん」と頷いている。
二年に渡り近隣を、エーランド王国軍に荒らされた。それをヴァレンシュタインは根気よく守り敵を追い払ったのだから、名将の面目躍如といったところである。
とはいえ正直、エーランドの王子二人には苦戦をさせられた。実際のところ彼等が北方へ軍を返した理由とて、予て病床にあった女王たる母が、この世を去ったからなのだ。
「であれば、早速ランスへ参りましょう、閣下!」
「うむ――……しかしな」
「急がねば、マリー様が処刑されてしまいますぞ。何を迷っておられるのです?」
オイゼビウスは朱色髪の名将が、何を考えているのか知る由も無い。だが自分がアルブレクトとクリストファ――エーランド王国が誇る二人の王子と対戦したならば、勝利し得るとは思えなかった。
それ程に彼等は巧妙で、ヴァレンシュタインに対してさえ決定的な敗北は喫していない。それが気になる点なのかと、オイゼビウスは重ねて問うた。
「もしや閣下が未だ北域にお留まりあるは、エーランドの脅威は去っていないとお考えだからですか?」
「そりゃあ、そうだろう。母の喪が明ければ、二人の王子は再び必ず攻め寄せる。であれば今ここで防備を整えねば、来年――この街が誰のモノになっているやも知れぬだろう」
「だから、ヴィルヘルミネの討伐命令を無視なさったと――……?」
「そもそもヴィルヘルミネは、教皇に用があるのだと明言していたのだ。放っておいて、帝国には何の損とて無い」
「……それだけ、ですか?」
ヴァレンシュタインと同じく街の有力者が注ぐ酒を受けながら、オイゼビウスは小声で問うた。
「それだけ――とは?」
「いえ、良いのです。であればランスへの侵攻軍の指揮も、やはりお断りになりますか?」
「いや――……陛下の勅命を二度も続けて断れば、角も立とう。行くさ」
「おお、おお。それは、よろしゅうございますな! マリー様のお命も、これで安泰だ!」
――ヴァレンシュタイン公。あなたのお命も、ですよ。
「さて、な。ただ――……北域の防備については卿からも、陛下へ進言してくれ。頼むぞ、オイゼビウス中将」
ヴァレンシュタインはニヤリと笑い、副将の肩をポンと叩く。
こうして当世最強の誉れも高い名将は、十五万という大軍を率いてランスへ向かうのだった。
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