7 英雄ゆえに……
午前八時。バルジャンが司令部の門を潜ると、建物の内外を問わずに辺りは騒然としていた。
何せバルジャンが司令部に到着すると、憂国兵団を百名も連れたアギュロンの使者が待ち構えていたのだ。
使者は何だかんだと国民衛兵隊に対し色々と難癖を付け、バルジャンの動きを封じようとした。しかも部隊の中には使者に賛同する者もいて、事態の混乱に拍車を掛けている。
そもそもアギュロンはバルジャンの頭越しに部隊を動かしたわけで、つまり彼は国民衛兵隊の介入を防ぎたかったのである。
そうしてバルジャンを革命の主役の座から引きずり降ろし、新たな英雄としてファーブル=ランベールを据える――というのがアギュロンの描いたシナリオであった。
しかし自らの油断を反省したダントリクは、すぐさまアギュロンの謀略を看破。巻き返しを図るべく一計を案じ、オーギュストに協力を仰いでいる。
「ランベール准将。ここでバルジャン閣下が強引に兵を動かせば、反逆罪に問われるかも知れねぇだ。そこで市長から、治安出動を要請して貰って欲しいべ」
「ポール=ラザール――……あの、金の亡者を動かすのか。しかし、いくら掛かるか知れんぞ?」
「大丈夫だべ。バルジャン閣下が失脚すれば、次は自分の番だってことくらいは分かるお人だ。損得勘定が出来るからこそ、すぐに治安出動を要請してくれる筈だべ」
「分かった、ダントリク。お前の策が外れたことは無いからな――……行ってくる」
こうして午前九時三十分、オーギュストはグランヴィル市長ポール=ラザールより一通の命令書を携え、バルジャンと使者が口論する執務室へと戻ったのである。
「バルジャン閣下。グランヴィル市長から正式に、治安出動を命ぜられました――と、いうわけだ。使者殿、よろしいですな?」
「よ、よろしくはないッ! アギュロン閣下は国民衛兵隊の傍観をこそお望みなのだ。そもそも貴官らは外敵に対する備えであって、治安維持は任務の範囲外であろう!」
オーギュスト=ランベールの言葉に激しく反発して、使者は激高した。
「治安維持は任務の範囲外、ですか。そう仰るわりに、昨年は随分と暴動鎮圧に駆り出された気がしますなぁ」
ため息交じりのバルジャンは、立ち上がりつつ三角帽をかぶって言う。もはや使者には目をくれず、軍靴を鳴らして部屋の出口へと向かっていた。
「ま、待たれよ、バルジャン将軍! すでに憂国兵団と首都防衛隊が動いている! 彼等に任せておけば十分のはずだ!」
使者は慌てて立ち上がり、バルジャンの手を両手で捕まえた。
作家上がりの小男に片手を掴まれたバルジャンは、心底嫌そうに頭を振っている。
「――そうはいかんでしょう。市長から直々に治安出動を仰せつかったのです。民主国家の軍隊を預かる身としては、動かざるを得ません。もしも傍観などしようものなら、給料泥棒とのそしりを受けて、挙句の果てには裁判沙汰だ」
「し、しかし政府の意向は――……」
「政府の意向というのなら、私とて十人委員会に名を連ねる身。にも拘らず事前連絡も無しに首都防衛隊が動くなど、不可思議だ。なんとなればこれは、アギュロン閣下の意向に過ぎないのでは?」
「バ、バルジャン将軍、馬鹿も休み休み言いたまえ……」
「ええ、ええ、私は馬鹿ですからね。休み休みなんて言えないんですよ。だから、アギュロン閣下にお伝え頂こう。民主共和の旗手たるならば、己が独善を悟られよ。議会において正々堂々、王政の是非を問われたし――とな」
珍しく眼光に怒気を込め、バルジャンは使者を睨んでいた。彼とて、ヴィルヘルミネと共に幾度も死線を越えた将軍だ。知らず、全身には覇気が満ちている。であれば作家上がり政治家が一人、どうして彼に正対し得ようか。
使者はヘナヘナと尻から崩れ落ち、手を放してバルジャンの後姿を見送るのだった。
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既にバルジャンの耳にも銃撃音は届いている。最悪の事態に至らない為にも、これ以上の遅れは許されない。だというのに足止めをしようと必至な使者に対し、流石のポンコツ英雄も怒りを禁じえなかったのだ。
応接室を出たバルジャンは、後ろの左右にオーギュストとダントリクを従えて、颯爽と廊下を歩いている。
「部隊の準備は整っているか?」
「中隊二百名、中庭に揃っているだ。でも――……わざわざバルジャン閣下が自ら出る程のことも……ラ、ランベール准将に任せた方が、良いんでねぇがか?」
バルジャンの質問に答えるダントリクは、おずおずとして言った。彼にしては珍しく、何か見落としていることがあるような気がしたからだ。全ての事象を見直して、落ち度は無いと確認出来なければ、最愛の上官を危地に送り出したくはなかった。
「ああ、ダントリクの言う通りだ。ここは俺に任せて貰えれば、きっと群衆を止めて見せますよ。首都防衛隊や憂国兵団の連中と事を構えるようなヘマは、絶対にしませんから」
オーギュストも端然と頷き、成功を保証している。
実際に軍事的な能力だけを見れば、バルジャンよりもオーギュストの方が遥かに上だ。けれどランスの英雄は立ち止まり、振り返ると首を左右に振って言う。
「ダン坊、ランベール准将……今回のことを鎮めるには国王陛下と――……たぶん私が必要なんだ、そういう予感がする。
正直に言えば行きたくないし、やりたくもない。けれどここで行かなければ私は――……ヴィルヘルミネ様に見限られてしまうだろう。それが私には何より、怖い」
この期に及んで勘違いを継続中の英雄は、ヴィルヘルミネを相変わらず神聖視していた。今の我が身があることは、すべからく彼女のお陰だと思っている。
だからポール=ラザールがフェルディナントの傀儡であると知って以降も、何も変わらず手を結び続けていたのだ。
むろん、それらの事実をダントリクやオーギュストは知らない。
もしも彼等が真実を知れば、共和国に対する裏切り者だと思われるかも知れないが、だったらバルジャンはそれでも構わないと思っていた。
何故ならヴィルヘルミネは民衆の味方で、そこに主義主張など関係ないからだ。
――どれほど大層な理想も、民衆を置き去りにしていくなら意味がない。王も英雄も主義も主張も、全ては生きとし生ける全ての人の為に在る。
だから今、バルジャンが守るべきは民主共和の政体ではなく民衆なのだ。
――安心して下さいよ、ヴィルヘルミネ様。私はね、ランスにおけるあなたの一番の家来だ。それだけは、譲れないんですからね……。
大きな勘違いだしヴィルヘルミネはバルジャンなどどうだって良いが、ヴィルヘルミネを信じる彼は蒼白な顔に確かな決意を湛えている。それは、まるで使命に殉じる使徒のような風貌だ。
それがダントリクの不安を掻き立てるから、またも上官へ再考を促している。
「バルジャン閣下。今回はやっぱり、傍観してもいいんでねぇべか? アギュロンにしてやられたのは事実だけんども、だからこそ、こちらの動きも見通している気がするんさ。だから――……」
バルジャンはまた、頭を左右に振った。
「だからと言って、私が行かなければ大勢が死ぬ。アデライードもだ。もしもヴィルヘルミネ様なら、ここは絶対に行く局面だろう」
もちろん赤毛の女王なら、こんな危ない局面は全力で回避したい。間違いなく涙目でプルプルしているだろう。バルジャンの勘違いは、いよいよ留まるところを知らないようだ。
オーギュストは思い詰めた表情のバルジャンを見つめ、小さな溜息を吐いた。
「バルジャン閣下、アンタいったい何をする気ですか? 俺じゃダメだなんて、理解できませんよ。軍を動かすことなら俺だって――……」
「ランベール――……私がやろうとしていることは、国王陛下と共に民衆の前に立ち、彼等を説得するってことだ。まあ、柄じゃあないが――それでも英雄未満のランベール、お前じゃあ無理なんだよ。ここは英雄である私じゃなきゃあ、な」
ダントリクとオーギュストは、同時に目を見開いた。流石はランスの英雄だと、雷に打たれた思いである。
確かに王と英雄が二人並んで露台へ立てば、民衆は訊く耳を持つだろう。そして双方の軍隊は、必ず動きを止める。確かに余人には出来ない、英雄ならではの作戦だった。
ポカンとした顔で立ち尽くすダントリクとオーギュストの肩を、バルジャンはポン、ポンと叩いた。
「だからさ、任せとけ」
そうして、バルジャンは再び歩き出す。
だがその時、彼の行く手を遮る者がいた。憂国兵団を徽章を付けた、国民衛兵の一団だ。そして部屋から這い出たアギュロンの使者が、掠れる声でバルジャンを引き留める。
「救国の英雄を逮捕などしては世論が荒れるゆえに避けたかったが、このような状況になっては致し方ない。バルジャン将軍――貴官を国家反逆罪で逮捕させて頂く」
「……なぜ?」
「理由は、あなたが何よりご承知でしょう。あなたが我が共和国よりも、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントに忠誠を誓っておいでだからだ!」
使者にしてみたところで、必死なのだ。民主共和の未来を背負っていると信じるからには、何としてもバルジャンを行かせてはならなかった。
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