119 遠征の終幕は突然に
ジークムントを追ってプロイシェの国境へ迫ったヴィルヘルミネに、衝撃の報告が齎されたのは四月二日のことであった。
「父上が――……亡くなったじゃと?」
時刻は午後八時。食事を終えて夜営の為の大天幕でゾフィーと二人、まったりしっぽりとしていた赤毛の令嬢は、紅玉の瞳を大きく見開いた。金髪の親友も口元を手で覆い、「はっ……」と言ったきり動かなくなっている。
「はい。ザルツァ辺境伯領に残られたシュレーダー閣下も確認なさった情報ですから、間違い無いかと。その――……お悔み申し上げます」
ヴィルヘルミネとゾフィーが並んで座るベッドの前で片膝を付くのは、ピンクブロンドの髪色をした青年であった。
「よい、エルウィン……父の死は、元より覚悟しておった。してヘルムートは、如何すると申しておるのか?」
右に左にと目を泳がせ、ヴィルヘルミネは忠実な臣下に問う。父の死は、確かに何年も前から覚悟していたことだ。それに親子と言っても、長い会話を交わした記憶とてない。だから正直な気持ちを言えば、悲しむべき理由を赤毛の令嬢は見つけられなかった。
しかし、それでも父である。動揺した。ゼーフェリンク家の親子関係を思い出し、無性にレーナに会いたくなった。
スヴェンは娘を売ろうとした最悪の父であったが、レーナはそれでも彼を愛している。だから父を許すことが出来たし、スヴェンも愛されていたからこそ立ち直ったのだ。
翻ってヴィルヘルミネは、自分が父を愛しているのか分からなかった。育成に掛かる資金を出してくれたことは理解できるが、それを愛情と言うには語弊がある。
そもそも知識の大半はヘルムートから得たもので、となれば彼こそが父であり兄なのだ。そして生活の大半を共に過ごしたという意味ではゾフィーこそ、まごうこと無き姉妹である。
――ああ、つまり余は最後まで、父と家族になることが出来なかったのじゃ。
だから、泣けない。そんな自分自身をヴィルヘルミネは、醜いと思っていた。これが貴族かと思えば、貴族そのものが醜く思えてくる。
そうして赤毛の令嬢がボンヤリと宙に視線を這わせていると、ようやくエルウィンが先程の問いに答えた。
「宰相閣下は本国へ戻られるとのこと。ヴィルヘルミネ様が公爵位を継がれる準備を進める為でありましょう」
「――で、あるか」
赤毛の令嬢は、再びいつもの無表情に戻っている。むしろ隣に座るゾフィーの方がショックを受けているのか、ヴィルヘルミネの左手を握り、強く下唇を噛んでいた。
なんとなればゾフィーこそ、ヴィルヘルミネの父たるフリードリヒに大きな恩がある。何せ令嬢の我儘を嫌な顔一つせずに聞き入れ、フェルディナント家の養女にしてくれた。それが彼女を困窮から救い、貴族としての教育を受ける切っ掛けとなったことは明らかなのだ。
ゾフィーはある日、フリードリヒに病室へ呼ばれた時のことを思い出していた。唯一と言って良い、長く語らった日のことだ。
「ゾフィー。私はミーネに、兄妹を作ってやれなかった。だから私はきっと、あの子を一人残して逝くことになる。それが不憫でね……」
「そんな――……公爵様は、ハドラー先生の治療できっと良くなられます! 弱気は禁物です!」
「フフ……ゾフィー。私たちはもう、親子だろう? ならば公爵様ではなく、父と呼んでくれないか?」
「ち、父上……弱気は申されますな!」
「弱気ではなく事実さ、ゾフィー。しかし私はね、君があの子の妹になってくれて、本当に嬉しいんだ――……コホッ……だって私が死んでも君がミーネの側にいてくれる、それが分かるからね……そうだろう?」
「も、もちろんです! ミーネ様は、命に代えてもお守りします! だ、だけど父上はまだまだ死にません! だから、そんなことは仰らないで下さい……!」
「フ、フフフ……ゾフィーは優しいね。けれど私は、そんな君を――コホ、コホッ……だからせめて君の父として――……」
結局、その後フリードリヒは昏睡してしまい、ゾフィーは退室した。だから彼が何を言おうとしていたのか、当時は分からなかったのだ。
しかし今のゾフィーは、彼が言いたかったことを正確に理解している。
――きっと父上はヴィルヘルミネ様の為に、わたしを養女にしたのだ。しかしそれは父親のエゴだからと、わたしに詫びようとした。
だからこそ贖罪として、わたしにとっても最良の父親になろうと、病身でありながらも努力をしてくれたのだ。なのに……なのにッ!
であるならばゾフィーはもっと、娘として振舞うべきであった。なのに戦士としての成長を優先し、彼の病室へ行く回数を減らしたのだ。
そうでなければヴィルヘルミネとフリードリヒの架け橋にも、なれたかも知れない。だから今、悔しさに涙したのである。
――わたしは、大馬鹿者だ。公爵様がヴィルヘルミネ様を思うお気持ちを知っていながら、結局、お二人を結び付けられなかったのだから!
■■■■
ヴィルヘルミネはベッドにコテンと倒れ、ボンヤリと瞬きをしている。
――父上が死んだ。と、言う事はじゃ……はて? どういうことじゃ?
手にはゾフィーの温もりを感じたまま、赤毛の令嬢は足りない頭をグルグルと回転させていた。
国の主たる公爵が死ねば、当然ながら摂政にして最も近しい親族であるヴィルヘルミネが、爵位を継がねばならない。それは理解できるが、手続きが判然としなかった。
――あ、そか。じゃからヘルムートが帰国して、ええと、ええと。じゃ、余も帰らねばならんなぁ。
赤毛の令嬢は再びムクリと起き出して、ボンヤリと命令を下す。
「余も帰国する。部隊を纏め、撤退じゃ」
もはやジークムントに対する怒りは、雲散霧消してしまった。というより頭の大半が、「父の死」で占められてしまったのだ。
「えっ!? しかしバンベルクの城門は今、民の手により開かれんとしております! ここは、一気呵成に攻めるべきではありませんか!? さすればプロイシェの喉元に剣を突き付けるも同然――……それを撤退とは、いかにも惜しいと存じますッ!」
エルウィンは身を乗り出して、ヴィルヘルミネに翻意を促した。しかし赤毛の令嬢は首を左右に振るばかりで、考えを曲げない。
「いや……父上が待っておる。お家へ帰るのじゃ……」
「はぁ。しかし、公爵閣下は既に……」
「――帰るのじゃ」
翻意は叶わぬと見たエルウィンは一先ず「御意」と頷き、参謀総長の下へと向かうことにした。そうして総司令部の天幕へ入ると、ヴィルヘルミネの命令をトリスタンに伝えて言う。
「いずれ正式な命令が下されると思いますが、ヴィルヘルミネ様は帰国なさるおつもりのようです」
「ふむ――……公爵閣下が亡くなられたとあっては、いずれ帰国は免れぬが……今とはな」
バンベルク攻略に向けてリヒベルグらと作戦を練っていたトリスタンは顎に手を当て、唸っている。エルウィンは机上に置かれた周辺の地図を見て、「はい。今はバンベルクを攻略する、絶好の機会です」と主張した。
「いや。存外そうとも言い切れんぞ、エルウィン」
リヒベルグが口の端を吊り上げて、血気に逸るエルウィンの肩をポンと叩く。
「リヒベルグ少将……それは、どういう意味ですか?」
「どうもな、住民の動きがおかしい。敵の作為を感じるのだ。もしも住民がプロイシェの操り人形だとしたら、これを機会に全滅の憂き目に遭うのは、むしろ我等の方だ――……と、まあ、そういう話を参謀総長としていたところでな」
「ああ。どうも街の五層、四層から食料を引き上げたのは、ジークムント麾下のプロイシェ軍らしい。となれば罠の可能性が高いのではないかと、そういう話さ」
トリスタンも肩を竦め、苦笑を浮かべていた。
「だとしたらヴィルヘルミネ様は、これを敵の罠と考えられたということでしょうか?」
エルウィンの白い頬に、冷や汗が流れる。
「うむ、明敏な摂政閣下であらせられる。いかに住民に求められようと、あからさまな罠に足を踏み入れる筈も無い。父君の死を理由としての撤退となれば、住民の要望を聞き入れない理由としても一先ずは筋が通せよう」
トリスタンは左右色の違う目を細め、主君の思考をトレースしようと試みていた。まあ、結局は勘違いなのだが……。
「しかし――となるとバンベルクの住民は、どうなるのでしょうか?」
エルウィンは不安げに地図を覗き込んでいる。
「勝手に我等を頼り、暴動なんぞを起こそうというのだ。粛清されるだけのことであろうよ」
リヒベルグはいつもの冷笑を浮かべ、「知ったことか」と付け加えた。
「まさかヴィルヘルミネ様は、それと承知で軍を返すおつもりなのでしょうか?」
「エルウィン、いいか。覇道とは、時に非情なものだ。そもそもプロイシェ軍がプロイシェの民を害することを、我等が止めてやる義理は無い。
奴等が自らの手足を食い千切ろうと言うのなら、むしろ我等はそれを利用してやるまでのことさ……クク、クククク」
リヒベルグは深い闇を思わせる瞳に愉悦の色を湛え、藍色に見える黒髪を掻き上げた。
翌日、ヴィルヘルミネは正式に撤退の意思を表明し、こうして北部ダランベルへの遠征は幕を閉じたのである。
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