117 オルトレップ×ライナー
敵の撤退を見届けた後のこと。オルトレップが収容された天幕へ足を運んだヴィルヘルミネは息を飲み、端正な唇をワナワナと震わせていた。
「ベーアの腕が、無くなったと聞いたのじゃが……」
幾人もの重傷者を収容した天幕では、医師たちが忙しなく動き回っている。その中の一隅でアンハイサーに付き添われ、オルトレップは横たわっていた。上半身にグルグルと巻かれた包帯が痛々しく、失った右腕の先端には、じっとりと黒ずんだ血が滲んでいる。
「ヴィルヘルミネ様……」
アンハイサーは立ち上がり敬礼をすると、涙の滲む目を向けてきた。
「すまぬ。余が奇襲など命じなければ、このようなことにはならなかったものを……」
「いえ、摂政閣下のご下命は悪くありません。私が師団長を適切にサポート出来なくて……ぐすんっ」
鼻水を啜り、アンハイサーは唇を噛んで涙を堪えていた。
「アンハイサー、卿のせいでもない。とにかく――……」
赤毛の令嬢はおぼつかない足取りでトタトタとオルトレップが横たわる寝台の前へ行き、必死の思いで声を絞り出す。
「ベーア、ベーア! 死ぬな。死んではならぬ!」
だがオルトレップは令嬢の呼びかけに答えず、目を閉じたままぐったりとしている。
「ベーア! ベーア! 目を開けよ!」
痺れを切らしたヴィルヘルミネは腕を一本失った将の頭をペチペチと叩き、無茶な命令を下す。
「摂政閣下、オルトレップ将軍は今夜が峠。ですから今は何をなさっても、目を覚ますことは無いかと存じます……」
軍医はヴィルヘルミネに恐る恐る言うと、重傷のオルトレップを見守っている。
だが次の瞬間オルトレップはハッと気が付き、ついに大きな目をギョロリと見開いて。
「目覚めたぁぁぁぁ!?」
素っ頓狂な声を上げる軍医を一睨み、オルトレップは視線を赤毛の令嬢へと向けた。
「こ、これは――……ヴィルヘルミネ様」
掠れる声を出し、恐縮したように目を伏せ、慌てて起き上がろうとするオルトレップ。それを、アンハイサーが慌てて止める。
「ちょ、ハゲ! 起き上がれる傷じゃねぇッスよ! たった今、今夜が峠なんて言われてたんスからッ!」
「どけ、アンハイサー。俺の命など、今更どうでも良いのだ。それよりもミーネ様の武名を傷付けたこと。せめてこれを、お詫びせねば――……」
残った左腕で強引に身体を起こし、オルトレップは寝台から降りようとした。
「そのままで良い、ベーア。卿が余に詫びることなど、何一つとして無い」
右手を前に出し、赤毛の令嬢はオルトレップの動きを制した。と、その時。「禿げ熊ッ!」と慌てた声が駆け込んできた。
ヴィルヘルミネが眉根を寄せて振り返ると、天幕の入り口に砂色髪のイケメンが立っている。それから彼はゆっくりと足を進め、オルトレップが横たわる寝台の前で溜息を吐いた。
「ふぅ――……髪の毛を全部失ったって聞いたもんで、急いで駆け付けましたよ。ああ、本当に一本も無いですね。これじゃあ、まるで蛸のようだ」
ヴィルヘルミネは惚けたことを言う砂色髪のイケメンを見て、それからオルトレップの頭に視線を送る。言われてみれば去年エタブルへ行った際に見た蛸とオルトレップの頭は、ちょっと似てるかも知れない。
「ププーーー!」
口を抑え、ヴィルヘルミネは必至で笑いを堪えている。今は笑っちゃダメな時だってことくらい、令嬢にも分かるのだ。
「ミ、ミーネ様。それがし、蛸に見えまするか?」
「み、見え……ププーーーーッ!」
バンバンバン! バンバンバン!
ヴィルヘルミネは耐えきれず、ベッドを端を幾度も幾度も叩いていた。
「ああー、ヴィルヘルミネ様も気付いてしまったッス……」
アンハイサーは諦めたように肩を竦め、ニヤニヤと笑っている。
オルトレップは羞恥と怒りに太い眉を吊り上げ、顔を赤くした。お陰で今度は、茹蛸のようになっている。
「おい、ライナー。俺が失ったのは腕だ。断じて髪ではないし、そもそもお前、俺に髪があった頃のことなど知らんだろう! まったく――……上官が重傷を負った時くらい、少しは心配せんかッ!」
怒鳴った拍子にオルトレップは顔を顰めた。失った右腕が痛むのだろう。
ライナーは禿頭の上官から目を逸らし、けれどハッキリとした口調で言った。
「……私などが心配したところで、アンタは喜ばんでしょう。だから私のやるべきことは、決まっている。オッペンハイムの首をねじ切って、アンタの前に持ってきますよ。
――……二刀の腕を奪った報い、野郎にはキッチリ命で償わせてやる」
ライナーは爪が食い込む程に拳を握り締め、怒りに耐えていた。
「ふん――……このようなことは全て、戦場の倣い。我が腕の仇など、誰に求めるモノでも無いわ。が、しかし、どちらにせよ俺は暫く師団の指揮を執れん。よってライナー、卿に指揮権を移譲することに決めた。アンハイサーはライナーを補佐してやれ、いいな」
「何を弱気なことを――……髪の毛や右腕が無いくらい、何だって言うんです?」
冗談に紛れてライナーは、指揮権の移譲を有耶無耶にしようとした。けれどアンハイサーは承諾の意思を見せ、口を開く。
「ライナー。師団長には一度、公都へ戻って頂く方が良いと思うッス。ここで無理をすれば、命にも関わるッスからね。
それに我が師団の特徴は、ハゲを中心とした騎兵の突破力にあるッス。ハゲに代わって騎兵の中心になれる人物は――……残念だけどライナー、アンタしかいねぇッスから」
「しかし、ドライファ=アー――……」
「私のサポートが欲しければ、以後は二度とその名で呼ぶなッス」
珍しく真摯な瞳をライナーへ向けて、アンハイサーが言う。
ライナーは後頭部を掻いてから、軍帽を被りなおして師団長へ敬礼を向けた。
「分かった、アンハイサー大佐――では師団長、軍規に則り師団の指揮権を引き継がせて頂きます」
オルトレップは軽く笑みを見せ、それからヴィルヘルミネへと向き直った。
「このような形となり、まことに申し訳ありませぬ。ですが小官がこのまま指揮を執り続けるよりも、ライナーへ引き継いだ方が良いと考えました。お許し下さいますか?」
「よい。師団長が負傷したとなれば、席次に準じて幕僚が指揮権を引き継ぐは当然のこと。それに――……」
ヴィルヘルミネは隣に立つ砂色髪のイケメンを見上げ、口元に怜悧な微笑を閃かせた。
なにせライナーは北方民族を思わせる、エキゾチックなイケメンだ。しかも薄い青色の瞳はどこか切なげで、背負ったバイオリンは宮廷楽師すら舌を巻くほどの腕前である。
とばれば赤毛の令嬢にとって、彼は紛れも無いご馳走。しかも今閃いたのは、オルトレップ×ライナーという新たなカップリングである。
筋骨隆々のハゲと儚げな美青年ヴァイオリニストという組み合わせは、大いにアリ! ああもう、ごちそうさまじゃ! と、ウハウハ気分なヴィルヘルミネなのであった。
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