114 ハイナ渓谷奇襲作戦 2
「ちィィッ! 酒を飲んどらんで、正解じゃったわいッ!」
オルトレップの襲来を目の当たりにして、オッペンハイムが叫ぶ。フェリックスが師団長の袖をつかみ、「どうか、ご退避を!」と叫んでいた。
「下は濁流、前後は味方の列、そして森から敵軍とくれば――……いったいワシに、どこへ退避せよと言うのかの!?」
「とにかく、この場から離れて下さい! 前でも後ろでもいいんです! ここが狙われているんですからッ! その程度の時間は、私が稼いでみせますッ!」
何せ行軍中の豪雨ゆえに、分厚い陣形など望むべくもない。となれば四万の大軍も大蛇の如くに細長く、その中ほどに位置する本営を守る兵士は少なかった。
だからフェリックスは自身が時間を稼ぎ、せめてオッペンハイムだけでも逃がそうとしたのだが――……。
「誰にモノを言うておる、小童ッ! 逃げるなんぞ性に合わんッ! ワシの馬をもていッ!」
「そ、そんな……」
「いいから、早くせいッ!」
「は、はいッ!」
そうして騎乗すると、オッペンハイムはすぐさま巨大な戦斧を手にし、辺りを睥睨した。敵の数、質を把握して、その弱点を見極めようというのだ。
敵は主将と思しき禿頭の将を中心に、猛々しく叫びながら銃剣を構え、次々に突撃を仕掛けてくる。対して味方は数に劣り、しかも浮足立っていた。
――ふうむ、押されておる。どうも敵は、五千近くもいるようじゃ。となれば、万事休すか。
冷静に考えれば考える程、追い詰められたことが理解できる。といって絶望にくれるオッペンハイムではなく、矢継ぎ早に伝令を飛ばしていた。
「前後の部隊に急を告げる伝令を出せ! 全体の数では我等が圧倒しておるのじゃ、援軍さえ来れば敵を押し返せるぞッ!」
「し、しかし――……既に防御陣を突破されております! もはや敵が本営に到達するのも、時間の問題かとッ!」
泥濘に足を取られてよろけながらも、オッペンハイムに駆け寄った参謀長の泣き言だ。
「なあに、狼狽えるな! この雨で、敵は大砲も銃も使えぬ! まずは円陣を組み、突撃を防いで時間を稼げッ!
あの厄介そうなハゲは、ワシが自ら相手をしようぞ」
馬上でブンと巨大な戦斧を振り、オッペンハイムは不敵な笑みを見せている。窮地にあればこそ、指揮官は余裕を見せるべきなのだ。
もっとも火器を使えぬ雨こそが、これ程までに敵の接近を許した要因である。いまさら雨を利用しようなど、おかしな話だとオッペンハイムは思っていた。
それから宣言通り、味方を幾人も屠る禿頭の将に近づいていく。
オッペンハイムは、その男には見覚えがあった。かつて若い頃にライバルだと考えていたロッソウの側で、チョロチョロと動き回り二本の剣を振る、髪の薄い男。名前は確か……。
「おい、貴様――……薄毛のオルトレップだな? なけなしの髪も、ついに失ったか」
「薄毛だと? ぐぬぬ――……そうだ、確かに俺はオルトレップだ。しかし今の俺はミーネ様より有難くも『熊』の名を賜りし、ベーア=オルトレップである。ゆえに断じて薄毛ではない」
「うむ、うむ――……そうか、髪の代わりに名を得たか。まぁ、中途半端に毛があるよりは、ツルツルの方が良かろうて」
「ぐぬぬ……して、そういう貴殿は『酔いどれ』オッペンハイムだな?」
禿頭の将は二刀を左右に振って、雨と血を共に弾き飛ばした。それからギョロリと大きな眼を敵に向け、問い返す。
「いかにも、ワシがオッペンハイムじゃ……しかし今は残念ながら、酔っておらぬ」
「ほう――ならば、相手にとって不足なし。お命、頂戴つかまつる」
「言いよるわ、若造めが。酔っていない時のワシが、どれほど強いか知らぬではあるまいに……」
馬腹を蹴って突進してくるオルトレップに目を細め、オッペンハイムは巨大な戦斧を振り抜いた。ヴォン――風は小さな竜巻となり、雨を渦巻き舞い上がる。
オルトレップの馬はたまらず竿立ちになり、イヤイヤをするように首を左右に振っていた。
「ちッ! 斧の一振りで馬を怯えさせるとはッ!」
視線を下へ向け、オルトレップが老将を睨む。その時、既にオッペンハイムは再び巨大な戦斧を構え、第二撃の体勢に入っていた。
ヴォン!
再び爆音が鳴り響き、馬の首が叩き落される。
が、オルトレップは落馬をすると見せかけ、左手に握る一刀で、オッペンハイムの馬の眉間を一刺しした。
「ほう。腕を上げたものだな。二刀オルトレップ――……そう呼ばれるだけのことはある」
「ふん。四十年、腕を磨いた成果だよ」
互いに地上に降りた二人の戦士は、暫し睨み合う。
だが、たとえ二人が互角でも、戦局は容赦なく動いていた。
オッペンハイムの本営が円陣を敷いたところで、数に勝るオルトレップ師団には到底対抗することは出来ない。焼け石に水だ。
しかもオッペンハイムとオルトレップが対決している間に、円陣は崩されつつあった。まさにプロイシェ軍は、敗れる寸前だ。
しかしその時、睨み合う二人の側面から、だれも予想しなかった新手が現れたのである。
「フフッフー。やあやあ、オッペンハイム少将、お久しぶりですね。一騎打ちをお楽しみのところ、大変申し訳ありません。ですが加勢が必要かと思いまして、不躾ながら参上いたしました――とぉ!」
せっかく馬に乗っていたにも関わらず、ぴょんと飛び空中で二回転。着地して丁寧に礼をする。それからオルトレップに向き直り、軟体王子はスラリと軍刀を抜き放つ。
「おやおや? あなたも、お久しぶりですねぇ。確か、オルトレップ将軍でしたか。私です、ジークムントですよぉ。でね、悪い事は言いません。さっさと退くかぁ――……死んで下さいねぇ」
言うが早いかジークムントの切先が、オルトレップの喉元へと迫るのだった。
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