111 ツヴィーゼル山麓の戦い 8
ゾフィー、エルウィンの活躍により、シュレヒテ、プファンクーヒェンの両軍団長を討ち取った北部ダランベル同盟軍は、混乱を生じた両軍団に対し容赦の無い攻撃を仕掛けた。
むろんトリスタンも敵軍の混乱を見逃す筈は無く、リヒベルグ、オルトレップの両将に総攻撃を命じ、指揮統率の乱れた二個軍団に痛烈な打撃を与えている。
結果としてプロイシェ軍は僅か七時間弱の戦闘で、一万五千もの死傷者を出した。これは全軍の四分の一強に及ぶ損害であり、尋常ではない。軍団長を失った両軍団の兵達が混乱の中で左右往生し、統一された指揮系統を失った結果である。
それでも全軍崩壊へと至る窮地を脱したのは、偏にオッペンハイムの功績であった。
オッペンハイムは各師団長に伝令を送り自らが最先任少将である旨を告げると、すぐさま指揮権を掌握した。当然、有無を言わさぬ彼の行動に各師団長たちは不満を露にしたが、しかしだからと言って打開策も無い現状。やむなく、誰もがオッペンハイムを総指揮官として認めたのである。
そうして昼過ぎに戦闘が一段落すると、オッペンハイムは四万弱にまで減った兵力を再編成し、強固な陣形を構築したのだった。
当然フェルディナント側も、敵の動きをただ眺めていた訳ではない。
その間にフェルディナント軍と北部ダランベル同盟軍も兵力の集結を図り、敵に対して数的優位を確固たるものにしている。
だがトリスタンはどうにも敵の動きが釈然とせず、夜を迎えるや、皆に意見を聞くことにしたのであった。
「敵は四つの方形陣を敷き、騎兵、砲兵を援護に回した。まるで防御陣形のお手本だ。諸卿はこの件について、どう思われる?」
司令部の幕舎において幕僚達が一堂に会し、夕食をとっていた。その席で問いを発した長身の参謀総長に、エルウィンがちらと目を向けて言う。
「どう――と申されましても。敵は現状を不利と見て、防御に徹したのでしょう。ですが参謀総長閣下には、何か心配事でもおありなのですか?」
「うむ――……軍団長の二人を討った後の方が、どうにも敵の動きが良くなったような気がしてな」
干し肉を齧りながら、トリスタンが言う。金色の右目と緑色の左目がランプに照らされ、暗がりの中で輝いている。
上座に座るヴィルヘルミネは、そんなトリスタンを見て「はー、イケメン! ご馳走様じゃ!」と思いながら、硬いパンをモッキュモッキュと食べていた。
今夜の食事は水と硬いパンと干し肉であり、将官と云えども兵卒と同じものを食している。
プロイシェの侵攻により北部ダランベル軍はミネルヴァが立てた補給計画を実行出来ず、物資が不足していた。それでフェルディナント軍が彼等に糧食を供与した為、全体として節約をしているのだ。
「戦いはまだ終わらない、ということですか? てっきり勝ったものだと思っていましたが……」
トリスタンの正面に座るヘルムートが、硬いパンに眉根を寄せつつ問う。軍事は専門外の彼としては、なるべく早く戦後処理に入りたかった。
なぜなら黒髪紫眼の宰相は、昨今の異常気象について考えを巡らせている。春になっても南ダランベルで雪が降ったからには、冷害が予測できるのだ。
となれば早急にザルツァ辺境伯と協議の上、今年から来年に掛けての食糧不足に備えなければならなかった。むろん、杞憂で終わればそれで良い。しかし備えとして、ダランベル全土を支える物流と物価を安定させる経済のシステムは、絶対に必要不可欠なのである。
だが宰相閣下の悩みなど露知らず、「暑い夏より寒い冬の方が、まだマシじゃ!」なんて思う赤毛の令嬢は、一人「ムフフ」と笑いご満悦。今日は右を見ても左を見ても、イケメンばかり。この世をば、我が世ぞと思う望月のヴィルヘルミネなのであった。
だがヴィルヘルミネの望月が欠けないのは、つまり幕僚達の努力があってこそ。だから今もリヒベルグが夜の闇を溶かしたような漆黒の瞳をヘルムートへ向け、皮肉っぽく口の端を吊り上げていた。
「いや、宰相閣下。戦術的には我が軍の勝利です。しかしながら戦略目標は、あくまでもプロイシェ軍を国境の外へ追い返すこと。となれば、目的は達成されていませんからな」
「――……リヒベルグ少将、つまり敵はまだ、ダランベル制圧を諦めていないと?」
「いや。部隊の再編もせずに撤退をすれば、敵はさらに半数の兵を失ったはず。――……したがって兵力の再編は必要であった、ということです。
つまり参謀総長が問題にしているのは、その手際が良くなり過ぎた――という点ですな。つまり、この敵と一戦交えるとなれば、確かに手ごわい」
「ふむ。その強敵が誰か、リヒベルグ少将には心当たりがあるようだが……?」
「軍団長二人を討ち取った以上、彼等に変わるのは五人の師団長のうちの誰か――ということになるのが順当ですな。しかし、それが誰かまでは分かりません」
ヘルムートの問いに答えながら、リヒベルグは苦笑を浮かべていた。
「師団長の一人ということなら、きっとヤツだ――……この堅実な用兵は恐らく第十一師団長、オッペンハイムに違いない」
オルトレップがペチペチと禿頭を掌で叩きながら、説明をした。ランプの光に輝く禿げ頭が、ヴィルヘルミネには眩しい。あと頭に丸い耳を乗せていないから、やみくもにイラっとした。
「ベーア」
ヴィルヘルミネは目を細め、自らが付けた名でオルトレップを呼ぶ。手を耳に当て、「耳はどうした?」と暗に問うていた。
しかしオルトレップはオッペンハイムに関する詳しい説明を求められたのだと思い、手にしたパンを机の上に置き、体ごと主君に向き直る。
「は――……オッペンハイムとはフリッツ大王の御世からの宿将で、我が軍のロッソウ殿とも武技を競った間柄。ロッソウ殿のような派手さはありませんが、堅実な用兵は油断できるものではありません。
それに個人の武勇もかなりのもので、巨大な戦斧を使い人を柘榴のように叩き割る、その様は圧巻の一言に尽きまして……はい」
「……つまりその、ロッソウ殿と互角に戦える御仁――……ということですか?」
オルトレップの説明に、口をポカンと開けてゾフィーが問い返す。ヴィルヘルミネは背筋に悪寒を覚え、机に突っ伏してしまった。超怖い……。
「まあ、そうなるな。ゾフィー、お前の二刀など、容易く折られてしまうだろうさ」
ゾフィーは悔しそうに口をムニムニと動かし、自らの両手を見つめている。もっと強くなりたいと、切に願っていた。
「何にせよ四万にも及ぶ軍勢を、このままダランベルの地に放置は出来ませぬ。相手が誰であれ居座る以上は、叩き潰さねばなりませんッ!」
エミーリアが硬いパンをギョックンと飲み込み、皆を見回してから言った。むろん、誰も反対などしよう筈も無い。
けれど翌日、朝靄が晴れると炊烹の煙と天幕を残し、プロイシェ軍は跡形も無く消えていたのだった。
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