110 ツヴィーゼル山麓の戦い 7
ゾフィーがシュレヒテを討ち取ったのと同じころ、二千の近衛連隊を率いて駆け出したエルウィンも、見事にプファンクーヒェンを捕捉した。
パン屋に見える第五軍団長は、もともと兵達に率先して先頭を進むクセがある。これは温和そうに見える外見を気にしての勇敢さであり、ゆえに彼は出世をした。無論これは残忍さと表裏一体の美徳であったが、この点をエルウィンは知る由も無い。
それでもエルウィンは敵指揮官が最前にいると考えた。
部隊が熱狂的に突撃を敢行する以上、その指揮官が後方に陣取ったままなどあり得ない。だからこそピンクブロンドの髪色をした青年は、敵の前列を注意深く見て煌びやかな軍装を身に纏う、小太りの中年を見つけることが出来たのだ。
「――やはり、居たか」
大音声で進めと叫ぶ小太りの男を暗がりに見つけ、エルウィンは馬を降りた。地面へ片膝を付き、銃を構えてゆっくりと息を吐く。
配下たる近衛連隊の面々も、全員が散開してエルウィンに倣った。竜騎兵とは、ひとたび馬を降りれば優秀な歩兵として機能するのだ。ましてや彼等は鋼鉄の薔薇にも、いずれ劣らぬ精鋭である。
横一列に展開したまま前進する敵第五軍団を目視し、エルウィンは静かに呼吸を整えた。新型銃の有効射程は百メートル。敵の二倍を誇るとはいえ、たかが二倍だ。一度狙いを外せば、二度目のチャンスは無いだろう。
ましてや、ここは山中である。敵は前進を木々に阻まれ、隊列を乱すことも多々あった。そんな時、プファンクーヒェンの身体は木や部下の影に隠れ、見えなくなってしまう。
――まだだ、まだ遠い。
エルウィンは背中に冷たい汗を掻きながら、敵が近づくのを待っていた。周囲の味方も同じく、顔に緊張の色を浮かべてる。
やがて時は至り、プファンクーヒェンが射程内に入った。エルウィンは無言で引き金を引き、敵将の胸元を穿つ。
タァァーーーーン!
雷鳴の如き砲撃音に交じり、狙撃銃の乾いた音がツヴィーゼル山に木霊した。
が、弾丸はやや軌道を逸れたのであろうか、プファンクーヒェンは馬上で仰け反り、ついで自らの腹部に生まれた赤い染みを不愉快そうに睨んでいる。
「狙撃兵か……温い、蹴散らせッ!」
ギョロリとした目を充血させて、辺りを睨むプファンクーヒェン。
「閣下! ここは危険です! 一時後退をッ!」
「ええい、どけ! ここでヴィルヘルミネを仕留めねば、我等の名誉は――……ッ!?」
「か、閣下ッ!?」
部下達は混乱しつつも司令官を守ろうと、彼の周囲を固めている。
だが、その動きも既に遅く――……。
タタタタターーーーーン!
いくつもの銃撃音が四方から巻き起こり、弾丸がプファンクーヒェンの丸い身体へ吸い込まれていった。エルウィンが配置した、近衛兵の狙撃である。
小太りの身体が、馬上で踊る。まるで天から糸で吊られた操り人形の様であった。となれば、いかに猛将の誉れ高いプファンクーヒェンと云えども銃弾には勝てず、馬上からぐらりと落ちて――……。
「――閣下ッ!」
部下達は、こぞって地に落ちたプファンクーヒェンの下へ駆け寄った。けれど、次の瞬間には早々に撤退を決めたらしく、前進を止めて防御陣形を築き、後退を始めたのである。
「このような状況下、誰も自殺まがいの突撃なんて、したくはないものさ」
エルウィンは後退する敵の様子を見届けて、再び騎乗した。
彼は最初から敵将一人を討ち取り、プロイシェ軍の突撃を防ぐつもりだったのだ。今回はその作戦が見事に当たり、二千の手勢で一万五千を退けている。
こうしてエルウィン=フォン=デッケンも、いよいよ名将への道を歩み出すのであった。
■■■■
「ツヴィーゼル山に対する包囲を解除し、後方から迫るフェルディナント軍を攻撃せよ」
オッペンハイムの下に辿り着いた伝令は、シュレヒテによる無茶な命令を携えていた。老将は「やれやれ」と頭を搔きながら、苦笑を浮かべている。
師団司令部の天幕に集まった幕僚たちは、大半が悔しそうに奥歯を噛み締めていた。そんな中、指揮官の脇に控えたフェリックス少佐が声を荒らげて言う。
「馬鹿な! 三万の敵に対して一個師団で迎撃するなど、無茶が過ぎる。到底、承服できない!」
フェリックス少佐は伝令兵を睨みつけ、軍靴で土を蹴っていた。委縮する伝令兵はタジタジと二歩、三歩、後退する。
「まあまあ、フェリックス少佐。伝令を怒鳴っても仕方があるまい。彼に決定権がある訳でも無し、何より上官の命令は絶対――というのが軍の鉄則じゃろう」
フェリックスを宥めたのは、無茶な命令を出された本人だ。しかし彼が大人しく命令を承服しようものなら、司令部にいる全員の身にとんでもない火の粉が降りかかる。となれば幕僚達は眉を顰め、「しかし閣下!」と納得できない様子であった。
「下位の者が上位の者に逆らえば、軍隊は軍隊としての機能を失い盗賊の集団と化すじゃろう。故に命令は絶対なのじゃ」
もう一度オッペンハイムは軍隊の原理原則を繰り返し、野戦用の机を囲む幕僚達を睨め付けた。酒好きな好々爺ではなく、毅然とした老将として。
それからニカッと笑い、彼は立ち上がって伝令の肩を軽く叩く。
「――というわけで、しかと心得た。そう、シュレヒテ閣下には伝えてくれ。よしなにの」
「ハッ!」
先ほどまで怯えていた伝令も、オッペンハイムの態度に眉を開いて敬礼を向ける。伝令はすぐに駆け去った。と、再びフェリックスが不満げに口を尖らせて言う。
「閣下もお分かりでしょうに! シュレヒテは我等を囮として、きっと逃げ出すつもりですよッ!? しかるに、何故こんな命令をお受けになりますかッ!?」
「小官も同じ意見であります。いかに挟撃されたとはいえ、見た限り兵力は互角。ここは持久戦を覚悟し、防御を固めれば活路が開けるはず。
それをあえて我等だけで新手に当たらせるなど、シュレヒテ中将には何やら良からぬ考えがあるとしか思えませぬ」
参謀長もフェリックスに同調し、身を乗り出してオッペンハイムに意見した。
「で、あろうの。じゃが――……相手はヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントじゃ。となればシュレヒテごときの浅知恵など、通用すると思うか?」
「と、申しますと?」
参謀長が怪訝そうに眉を顰めている。
「つまりじゃ、ヤツは逃げ出せぬだろうよ」
再び着席し、朱色に染まり始めた東の地平線を眺めてオッペンハイムが言う。
砲弾が着弾する度に大地が揺らぎ、天幕の柱がぐらり、ぐらりと揺れていた。戦況は、極めて不利である。
「分かりません、閣下。それは一体、どういうことでしょう?」
今度はフェリックス少佐が、眉間に皺を寄せて問う。
「――つまりシュレヒテ、ヤツの命運はここで尽きる、ということじゃ。むろんプファンクーヒェンも同様じゃろうて」
「そ、それでは閣下! 我等はここで壊滅するしか無いと仰るのですかッ!?」
「狼狽えるな、参謀長。中将が二人死ねば、ワシが最先任の少将じゃろがい。となれば、ワシが全軍の指揮を引き継ぐのが道理。
だから安心せい。ワシなら、こんな無意味な戦で皆を死なせはせん」
オッペンハイムは立ち上がり、ともあれ防御を固めるように指示を出す。
幕僚達は全員が起立して、上座に座る師団長へ最敬礼を向けていた。誰の顔にも希望の色が差し込んで、やる気を漲らせている。
そうして朝日が昇る頃、第十一師団司令部はシュレヒテ、プファンクーヒェン、両中将戦死の報を受けたのであった。
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