109 ツヴィーゼル山麓の戦い 6
挟撃されたと知ったシュレヒテは、とにかく自らの保身を考えた。全てが後手に回っている以上、兵力が互角でも壊滅は免れない。
ましてや今はオルトレップの猛攻に晒されていて、戦線はズタズタだ。敵が本営へ迫るのも、時間の問題であろう。となればこの場を凌くことが出来たとして、敗戦の責任を追及されるのは必定だ。
「ちっ……二刀のオルトレップがこれ程とはな、まともに戦っても埒が明かん。まずは撤退せねば」
この期に及んでもシュレヒテは、自らの死を考えない。やはり彼は、相当な自信家なのだ。
実際、彼直属の部隊は周囲の狂乱を他所に統率を保ち、今なおオルトレップの猛攻を凌いでいる。そうした用兵巧者の側面も、この男にはあるのだった。
「この場から逃げ出すことは容易い。だが、この責任を誰に押し付けるか……そこが思案のしどころだ。
むろんフェルディナントの攻撃を予測できなかった統帥本部にこそ、最も大きな責任がある。だがゴットフリートめが大人しく、罪を認めるとは思えんからな。現場に全てを擦り付けるくらいのことは、やるであろうさ。となれば――……」
爆炎と叫喚に包まれた戦場で、一人シュレヒテは先を考える。その中で一人、いけ好かない老人の顔が思い浮かんだ。
「ふむ。やはりオッペンハイムがツヴィーゼル山攻略を主張したことにして、詰め腹を切らせるのが無難か。
いや――……それよりも、ここは囮となって死んで貰おう。フェルディナント軍に突撃させれば良い。それで責任を果たしたことにしてやれば、ヤツの名誉とて十分に守られる。何より、それでこそ私が安全に脱出できるというものだ」
顎に手を当てて自らの名案に唸るシュレヒテは、すぐさまオッペンハイムへと伝令を飛ばす。だが彼は、それからすぐに新たな名案を思い付く。
「ああ、そうだ――……ヤツだけに責任を押し付けるのでは、少々弱いな。となればプファンクーヒェンのヤツにも死んで貰おう。軍団長たる中将までもが戦死したとなれば、それ以上の損失を軍は嫌うはず。となれば私の身は、いよいよ安全という訳だ……ククククク」
砲弾が飛び交う払暁の空を見上げ、シュレヒテは口の端を吊り上げる。それからすぐにプファンクーヒェンへ伝令を飛ばし、彼は連隊規模の部隊を率いて戦線の脱出を図るのだった。
■■■■
シュレヒテからの伝令を受けたプファンクーヒェンは、ぽっちゃりとした丸顔を真っ赤にして、怒りに口唇を震わせていた。
「――貴官の軍団に比べ我が軍団が突破力に劣ること、百も承知の上である。されど我に生きて恥辱に耐えるの道は無し。この上は潔くヴィルヘルミネが本隊へ突撃し、死に華を添える所存――だと!?」
伝令から齎されたシュレヒテの文書を引き千切り、プファンクーヒェンが叫んでいる。大嫌いな同僚にこんなことを言われては、彼の気が済まなかった。
「シュレヒテの愚か者に伝令だッ! ヴィルヘルミネを討ち取るのは、このプファンクーヒェンである! ゆえに、余計な手出しをするな――となッ!」
「余計な手出しをするなとは、閣下、どういうおつもりですかッ!?」
「どうもこうもあるかッ! ヴィルヘルミネの本隊へは、俺の軍団が突撃する! そういうことだッ!」
とはいえプファンクーヒェンの本営は、リヒベルグの猛攻に晒されていた。それでも総崩れとならないのは、彼の横暴に対する恐怖心がフェルディナント軍に対する恐怖に勝っているからだ。
万が一敵に押し込まれでもすれば、プファンクーヒェンは背後から兵を撃ちかねない。そうなる位なら死力を振り絞って目の前の敵を倒す方が、幾分かは健全というものだ。それで兵士達は陣形を崩さず、壊滅に至らないのであった。
そうした事情から、ある意味ではシュレヒテの陣営よりもプファンクーヒェンの部隊は統率を保っている。だから同じくヴィルヘルミネの本営へ突撃を仕掛けるにしても、成功の可能性という意味では彼の方があるかも知れない。
だからシュレヒテはそうした点を加味しつつ、プファンクーヒェンの屈折した精神に訴える文章を伝令に託したのだ。
そうして見事に焚きつけられた、パン屋に見える第五軍団長。プファンクーヒェンはまんまと乗せられ、単独で突撃命令を下したのである。
■■■■
挟撃されているにも関わらず一丸となって向かってくるプファンクーヒェン軍団に、怖れをなしたヴィルヘルミネは奥歯をガチガチと鳴らしている。
けれど、それを早朝の肌寒さと勘違いしたエルウィンが、自らのコートを「ふぁさっ」と掛けてくれた。温かい、癒される、そして行動までイケメン――……と、一瞬だがウットリした令嬢が、慌てて頭を左右に振っていた。
――違うのじゃ! 敵が砲撃も意に介さず、向かってきておるのじゃ!
背後に一角獣旗の翻る大天幕を背負い、赤毛の令嬢はキッと前方を睨んだ。
肩に掛けられたエルウィンのコートが風に揺れ、はためく様は、彼女の内心と反比例して実に勇ましい。ましてやヴィルヘルミネはヨロける身体を支える為に、軍刀を杖代わりにして体の前へ置いている。柄に両手を乗せて仁王立ちをする姿は、まるで何処かの騎士王のようであった。
「迎撃せよ」
震える奥歯を噛み締めて、ヴィルヘルミネは辛うじて言った。けれど相も変わらぬ無表情と、薄い唇から紡ぎ出される冷淡な声は、彼女の内にある怯え一切を端然とひた隠す。
「御意。敵の数は一万五千といったところでしょうか――……いずれ損害を恐れず向かってくるところを見れば、ヴィルヘルミネ様を倒さんとする死兵かと見受けます」
隣に立つエルウィンが静かに頷いた。彼はすぐに騎乗すると、近衛連隊二千を率いて風のように去っていく。
――いや、何も卿が行かなくても……。
去り行くピンクブロンドの髪を見て、令嬢の頬に冷や汗がタラリ。
令嬢的に何が怖いかと言えば、自分を守る要塞にも等しい近衛連隊が、一切合切姿を消してしまったことである。
そうして恐る恐る周囲を見回すと、令嬢の周りにはゾフィーやエミーリア、そして鋼鉄の薔薇の姿があるばかり。
あまりにも心細くなったヴィルヘルミネは口をへの字に曲げて、思わず「ゾフィー」と名を呼び手を伸ばす。手を握り、温もりを確かめたかった。
だがしかし――金髪の親友は赤毛の主君の手を握らず、片膝を折って地に伏せる。
「心得ております」
――いったいなにを!?
ヴィルヘルミネは反論したかった。けれど口が動かない。モゴモゴとしてしまう。
その間にゾフィーは再び立ち上がり、馬上の人となっている。同時に凛と澄んだ声を出し、命令を下していた。
「ジーメンスッ! 鋼鉄の薔薇と共に来い! 味方を囮にして逃げようという、姑息な輩を見つけた! これなる敵を討つぞッ!」
――へ?
ヴィルヘルミネは目を丸くして、戦場を俯瞰した。
見ればプファンクーヒェン軍団がこちらへ向かって突撃を敢行し、オッペンハイムの第十一師団はフェルディナント軍の本隊へ突撃を敢行している。
そのような最中にあり、シュレヒテが率いる第四軍団の動きだけが余りにも異質であった。防戦を続ける軍団の中から、連隊規模の一隊が密かに離脱していくのだから。
ゾフィーは、これこそ逃げる敵の司令官だと睨んでいた。むろん彼女に声を掛けたヴィルヘルミネの意図も、これを捕縛、或いは討ち取ることだと考えている。
だからこそゾフィーはヴィルヘルミネに名を呼ばれ、「心得ています」と答えたのであった。
世にゾフィーが「ヴィルヘルミネの猟犬」と呼ばれる切っ掛けが、この戦いだ。
なにせ彼女は僅か五十の騎兵を率いシュレヒテの部隊へ斬り込むと、上り始めた朝日に黄金色の髪を煌めかせ、彼女は高らかに名乗りを上げたのである。
「我が名はゾフィー=ドロテア! 敵将に告ぐ、命が惜しくば速やかに降伏せよッ!」
立ちはだかる敵を軍刀とマンゴーシュで次々倒し、ゾフィーはついにシュレヒテの下へと到達した。
蒼氷色の瞳を冷然と輝かせ、「ふぅ」と静かに息を吐くゾフィー。そして彼女は痩身の敵将を一刀の下に屠り、ヴィルヘルミネの下へ帰還したのであった。
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