107 ツヴィーゼル山麓の戦い 4
エルウィンの指揮による巧みな防戦に、ツヴィーゼル山を攻めあぐねたシュレヒテ中将は、全軍に一先ず後退を命じた。同時にプファンクーヒェン中将にも伝令を出し、連携を取るよう要請を出している。
夕刻から深夜に及ぶまで攻撃を続行し、それでも戦果を挙げることの出来なかったプファンクーヒェンは、伝令に対し怒りをまき散らして言う。
「ふん、シュレヒテの臆病者め! このまま攻め続ければ、遠からず敵軍を撃滅できようものをッ!」
手近にあったペンを伝令に投げつけ、パン屋に見える中将が地団太を踏む。
司令部の周囲に建てられた天幕には、続々と負傷した兵士たちが運ばれていた。中には腹部を大きく負傷し、「とどめ」を望む兵もいる。実際、生きていればその分、長く苦しむだけであろう。
「しかし閣下。ここでシュレヒテ中将の要請を無視なされば、後に軍法会議に掛けられるやも知れませんぞ。なにせ損害を著しく出したのは、我が軍団だけでありますから……」
副官は、担架に乗せられ隣の天幕へと運び込まれる兵士をチラリと見て、上官を諫めた。
「そんなことは分かっておるッ! ええい、止むを得ん! 一端仕切りなおしだ、退けッ!」
もちろんプファンクーヒェンが言う通りに攻め続けた所で、ツヴィーゼル山に展開したダランベル軍を撃滅することは出来ない。あくまでも、「出来そう」なだけだ。
とはいえ数に劣るダランベル軍としては、力攻めをされ続けても困る。昼夜を分かたず攻撃を続行されれば、兵力に勝るプロイシェ軍が優位になるのは目に見えていたからだ。
その意味では一端仕切りなおし、援軍を呼び寄せてから攻撃を再開しようと考えたシュレヒテの方が、よりダランベル軍の思惑通りに動いたと言えるだろう。
ともあれシュレヒテとプファンクーヒェンは山裾まで軍を退き、軍議を開いてオッペンハイムの第十一師団を呼びつけることにした。こうなっては、一万もの兵力を遊ばせておく道理など無い。
むろん第四軍団の残存兵力も呼び寄せる形になったから、こうしてザルツァ城の包囲は解かれたのである。
千人足らずの兵と急ごしらえの民兵一万で火急を凌いでいたザルツァ城としては、九死に一生を得たという所だ。
エミーリアの父であるザルツァ辺境伯本人は、狐に抓まれたような気持ちで塔へ登り、南方へと去っていく第十一師団を見つめ、「ふぅ」と長い溜息を吐いていた。
さて――……シュレヒテ中将に呼びつけられたオッペンハイム少々はと言えば、深夜にも関わらず移動を命じられ、酷く不愉快な気分で副官のフェリックス少佐に不満をぶちまけている。
「あー、あー、フェリックス。敵はな、我等を誘い出す為にツヴィーゼル山へ陣を構えたのじゃ。となればワシが急ごうが急ぐまいが、逃げやせん。なのにシュレヒテの愚か者め、朝までに来いとぬかしよる。
なーにが知将じゃ! あの業突く張りのコンコンチキめ! ワシャもう、ブランデーも飲んで良い気分で寝ようとしておったのじゃぞ! それを、それを……!」
「はい、はい、ダメですよ、閣下。戦場でブランデーなんぞ何杯も飲んで、良い気分で寝ようなんてのは。いい加減に不良老人は止めにして下さい」
「ふ、不良じゃと!? 愛と勇気と希望と正義で出来た、このワシが不良じゃと!?」
「なに言ってるんですか。あなたの大部分は、お酒とソーセージで出来ているんでしょうが。さ――……文句ばっかり言っていないで、さっさと兵を纏めて移動を始めましょうね。仕事なんですから」
「くぅ~~~! なあ、フェリックス。移動の前に、もう一杯! もう一杯だけブランデーを飲ませてくれんかの? 明日から真面目にやるから! の!? 後生じゃ!」
「――……ダメです」
「この……人でなしめぇ」
「はいはい。あなたはロクデナシです」
「ワ、ワシ……ロクデナシかぁ……」
オッペンハイムはシュンとして、仕方なくツヴィーゼル山へと向かうのであった。
■■■■
さして大きくも無いツヴィーゼル山をプロイシェ軍五万が包囲すれば、そこから逃げ出すことは誰しも困難であった。むろんダランベル軍も例外では無く、徐々に山頂へと追い詰められていく。
少なくともシュレヒテ中将には、そのように思われた。
そもそも水を得る為には山裾を流れる川へ出なければならず、ここをプロイシェ軍は押さえているのだ。食料の補給とて、山を降りなければ不可能であった。となれば、早晩ダランベル軍が干上がるのは当然のことであろう。
要するに携帯している食料や水が尽きた時が、ダランベル軍の最後だとシュレヒテは考えたのである。
「全軍による包囲は完了した。後はダランベル軍が干上がるのを待てば良い」
翌早朝――会議の席で上座に座るシュレヒテ中将が、口の端を吊り上げ嘯いた。天幕の先に広がる孤山を見据え、目を細めて愚かなダランベル軍を嘲笑っている。
隣に座るプファンクーヒェン中将は目じりを吊り上げ、唾を飛ばして反論をした。
「何を悠長な! 敵は僅か一万五千。これに対し我等は五万ぞ! 何を躊躇う必要がある! ここは一気呵成に押し潰すべきであろうッ!」
第五師団隷下にある第九、第十師団長が、軍団長に同意を示し頷いている。
第四軍団隷下の第七、第八師団長は溜息を吐き、頭を左右に振っていた。
「まあまあ、そう言うな、プファンクーヒェン。これは、待てば転げ落ちる果実なのだ。わざわざ木に登り、怪我をする必要がどこにある? ああ――……そう言えば貴官は既に、怪我をしておったか。ククク」
「……この、貴様ァァッ!」
シュレヒテの細すぎる顔を見て、プファンクーヒェンは犬歯を剥き出し唸っている。正直、このいけ好かない同僚の顔をぶん殴ってやりたいと思った。
けれど前日の戦いで一千もの兵を損耗させた手前、強引に意見を通すことは出来ない。一度立ち上がったが「ぐぬぬ!」と唸り、再び席に着く。
そんな様子を下座から横目で見ていたオッペンハイムが、ボソリと呟いた。
「熟れた果実を罠として、その場に群がる獣を捕まえようと狩人が、やって来るかも知れませんなァ」
「オッペンハイム少将。言いたいことがあるなら、はっきりと言ったらどうだ?」
「いやいや、ワシなど引退間近のロートルですじゃ。知将と名高いシュレヒテ中将に意見するなど、滅相も無い」
シュレヒテに細い目をジロリと向けられて、オッペンハイムは顔の前で右手をヒラヒラと振振っている。それから紅茶で唇を潤し、「ひゃー! この紅茶は美味いですなぁ!」などと、どうで良い事を言っていた。
もっとも彼は紅茶の中にブランデーを入れていたから、これは本心からの言葉であるのだが。
「ふん……オッペンハイム少将の意見も、考慮の余地はある。つまり、敵に援軍の可能性があることを示唆しておるのだろう?」
「然様。であれば、せめて哨戒任務に出す兵を増やされては如何かと存じます」
「ククク――……慎重も度が過ぎれば臆病となるぞ、オッペンハイム。哨戒など、無用だ。なぜなら援軍が来るとすれば、ザルツァ城から決死の覚悟で出撃する、民兵どもしかおらんのだからな。こんなもの――」
冷笑を浮かべるシュレヒテの言葉を、プファンクーヒェンが引き継いだ。
「おうよ! それならばいっそ、好都合ではないか! 奴等を叩き、返す刀でツヴィーゼル山に登った猿共を蹴散らせば良いのだッ!」
「はは、ははは! そうでした、そうでした! なにせここには、猛将の誉れも高いプファンクーヒェン中将もおられるのでした! ならば安心、安心!」
オッペンハイムは後頭部を掻きながら笑い、内心で溜息をついた。
考え方は違えど、両中将の認識は似通っている。つまり彼等は背後に、フェルディナントがいるとは思っていないのだ。
オッペンハイムはこれ以上の会議は無駄と断じ、ブランデー入りの紅茶を飲み干した。
「ま、お二人には期待しておりますわい。なにせワシは、この戦いが終われば退役となる老骨の身。問題など、起きて欲しくありませんでなぁ」
だが――三日後の払暁、オッペンハイムが寄せた両中将への期待は、自らの予測通り裏切られる。フェルディナント軍三万が北側から現われ、凄まじい猛攻を仕掛けてきたのだ。
これに呼応してツヴィーゼル山からもダランベル同盟軍が攻撃を開始。プロイシェ軍は瞬く間に苦境へ立たされたのであった。
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