表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

279/387

106 ツヴィーゼル山麓の戦い 3


 馬を走らせ撤退する最中、ヴィルヘルミネはふと気が付いた。


 ――あれ。そう言えば会議の時、撤退するとか言うておったような?


 涙を拭って周囲を見渡してみれば、都合よく(・・・・)山中に伏せた鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)の面々が、見事に援護をしてくれている。護衛役のスヴェンが側にいないのも、彼等と行動を共にしているからだ。

 となれば現在の状況は予定調和に過ぎないのだから、赤毛の令嬢は幾分か気が楽になった。


 そもそもゾフィーとエミーリアなど笑顔さえ浮かべている訳だし、むしろ勝たなくて良かったのでは? と、ようやくにして思い至ったヴィルヘルミネである。


 ――なぁんだ。余、心配して損した。


 結論が出れば現金なもので、ヴィルヘルミネの涙はすっかり引っ込んだ。

 そうして元気になった赤毛の令嬢は、自らに付き従うエルウィンを振り返る。今後の問題を全て、彼に押し付けてしまおうという算段であった。


 僅かに目を細め、ヴィルヘルミネはニンマリとした笑みを口元に浮かべて言う。


「エルウィン――……以後の指揮は卿に任せる。よいな?」


 何だかんだでヴィルヘルミネは、軍事指揮官としてのエルウィンを高く買っていた。なので今のような状況下、丸投げにするなら彼しかいないと思ったのである。

 

 もちろん本来ならば、ダランベル同盟軍の指揮官であるエミーリアに丸投げするのが筋であろう。それでもエルウィンを選んだのは、令嬢の第六感かもしれない。

 事実、軍事指揮官として二人を比した時、エルウィンに一日の長があるのだ。


 だがエルウィンは突然のことに、口をあんぐりと開けていた。せっかくのイケメンが台無しだ。けれど、いきなり天才から指揮権を丸投げされれば、誰だってそうなるだろう。

 そもそも現状は予定通りで、指揮を引き継がせる意味が分からない。これが天才ならではの不可解な思考による産物だろうかと、エルウィンは推し量るしか無かった。


「なんじゃ、嫌なのか?」


 返答の無いエルウィンを不審に思い、眉根を寄せたヴィルヘルミネが、「む、む」と唸っている。

 となれば共に夢を追う者(勘違い)として、否とは言えないエルウィンであった。 


「はっ――……え? いや、まさかっ! ぎ、御意にございます!」


 ■■■■


 突然のことに夜空色の瞳を白黒させつつ、エルウィンは脳内で状況を整理した。

 作戦会議には参加していたし、部隊の配置は頭に入っている。けれど一万以上の兵力を動かすなど、初めての経験だ。緊張で額に汗を掻く。


 チラリとヴィルヘルミネの横顔を見れば、悠然と笑みすら浮かべている。ピンクブロンドの髪色をした青年が、万の軍を指揮できないとは露程も思っていない様子だ。


 ――ご期待に応えなければ!


 エルウィンは己に言い聞かせ、馬に拍車を入れる。本営にすべく準備した地点へ、いち早く辿り着く為であった。


 ――どうして、いま僕に指揮を任せるのだろう?


 エルウィンは馬上で思考を巡らせ、ヴィルヘルミネの意図を探る。万の軍を現時点で預ける意味が、どこにあるのか――考えれば考えるほど、不思議であった。


 だが、やがて一つの結論に至る。


 今のところ彼は佐官であったが、年齢的に将官へ至るのは時間の問題と思われた。ましてやフェルディナント軍はこれから、急拡大をするだろう。となればエルウィンが師団長となり、万の軍を統率する日も遠くはない。

 

 ――つまりヴィルヘルミネ様は、僕に経験を積ませようとしているんだッ!


 エルウィンは馬を止めると両手で頬を張り、気合を入れて一人、頷くのであった。

 

 ■■■■


 ツヴィーゼル山の中腹に本営を設置すると、エルウィンは予ての手筈通り反撃の指示を出す。本来はヴィルヘルミネがやるべき仕事であったが、全てを丸投げた赤毛の令嬢は、さっそく建てた天幕でお休みになっていた。


 どちらにしろ反撃をして、敵を追い返さなければならないのだ。その上で敵に、「あと少しで倒せたのに」と思わせたら今日のところは勝ちである。


「――にしても、鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)という部隊の働きは、見事の一言に尽きるな」


 エルウィンと共に本営の天幕で部下の報告を聞いていたエミーリアが、驚嘆の声を上げている。

 だが、それもそのはずだ。小隊規模の戦力しか持たない鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)が、なんと四万近い敵の足を遅らせているのだから。


「我が軍の特殊部隊です。超人的な格闘戦能力と高い射撃技術を併せ持ち、三日間飲まず食わずでも戦える。しかも一週間程度なら、睡眠さえ不要だ。流石に我が近衛連隊でも、これだけの条件を揃えた精鋭となれば、百人もいませんね。とはいえ――……弾薬の量には限りがある。白兵戦で四万近い敵の足止めは、流石に出来ません」


 薄闇の中、長机の上に乗せた地図に人差し指を這わせてエルウィンが言う。


「ゾフィー=ドロテア大佐。騎兵二千を率いて密かに下山し、敵の背後を衝けるかい?」

「もちろんです」

 

 大きく頷き、すぐに天幕を後にするゾフィー。彼女に続こうとして、エミーリアが踵を返す。


「エミーリア殿には、別の仕事があります。この場に居てくれませんか?」

「えっ?」

「ダランベル軍の指揮官は、あなたです。居て貰わなければ困る」


 エルウィンが矢継ぎ早に命令を出した結果、今ではこの区画にいるのが彼とエミーリアだけになってしまった。もちろん本営の天幕だから、垂れ布を数枚捲ればヴィルヘルミネが座す場所にも到達する。

 けれど区切られた空間に男女で二人だけというのが、エミーリアにはどうにも耐えがたかった。というかエルウィンがイケメン過ぎて、変な妄想が膨らんでしまう。


「そ、それもそうだが――……エルウィン卿は私と二人きりで……一体何を考えているのだ……もにょ、もにょ」


 上目遣いの潤んだ瞳で、エミーリアがエルウィンを見つめながら言う。だがそれは、むしろエルウィンの台詞だ。

 何故か内股でモジモジとするエミーリアは、本当に男性に弱い。ランプの光に照らされるエルウィンの横顔にキュンキュンして、夜空色の瞳に吸い込まれそうだった。


 トリスタンやヘルムートも良いが、どう考えてもエルウィンの方が年齢も近い。奥さんになるなら、断然この人だとエミーリアは思った。しかも、彼の父はフェルディナントの軍務卿だ。ならば男爵家とはいえ、家の釣り合いだって取れている。

 

 が、しかし。

 

 当のエルウィンにその気は一切なく、立ち上がると天幕の外へ出た。大砲の轟音が遠くから聞こえ、山裾へ目を向ければ赤い火花が散っている。

 

 エミーリアはエルウィンの隣に並び、「うわぁ、花火みたい」なんて呑気なことを思っていた。思わず手が伸びて、ピンクブロンドの髪色をした青年の左手を掴みそうになる。

 空には満天の星々、そして地上は大砲による花火――となればエミーリアの脳内はロマンチックな桃色に占められて、今にも涎を垂らさんばかりの勢いであった。

 

「エルウィン卿――……こんなところへ私を呼び出して、ど、どど、どうするつもりなのだ?」

「え、いや……別に呼び出した訳では……というか火砲を順次、後退させるつもりなのですが、その実務をエミーリア殿に頼もうと思いまして」

「えっ……そんな、こと? あ、う、あ、――……お、お安い御用だ! 任せてくれ給えよ! うん、任せてくれ! そうだ、私はプロイシェ軍に報復をせねばならんのだッ! 雑念を追い払わねばッ!」


 すぐに舞い上がってしまう自分に赤面して、エミーリアは駆け去った。今度こそ軍務に専念しようと、ブルネットの美女はテキパキと指示を出す。

 こうして二十二時三十分、プロイシェ軍は攻勢の限界を感じ、一時撤退を決めたのであった。

お読み頂きありがとうございます!

面白いと思ったら感想、評価、ブクマなどを頂けると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ