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105 ツヴィーゼル山麓の戦い 2


「何という正確な砲撃か。いや、正確であればこそ、付け入る隙もあるというもの――……おい、馬三百頭とランプを九百。それから騎兵百名を集めよ」


 ヴィルヘルミネからの余りにも正確な射撃を受けた第四軍団は、シュレヒテ中将の命令で一計を案じることにした。馬一頭に付き三つのランプを括りつけ、三百頭の馬を大きく東回りに走らせたのだ。これを囮として全軍の灯火を消し、闇に紛れて敵の砲撃を分散させようという戦法であった。

 

「ククク――これで敵は騎兵に背後を衝かれることを恐れ、砲撃をいくらか東へ向けるだろう。我等はその隙に前進し、奴等を一気に揉み潰す」

「お、お待ちください、閣下! しかし馬を操る兵士達は、無防備で敵の砲撃に晒されます! 無駄死にさせるおつもりですかッ!」

「無駄死になものか。彼等の尊い犠牲により、我等は勝利を収めるのだ。死ねば全員、二階級を特進させる。

 それにだ、万が一にも敵の背後へ出て大将を討ち取ることが出来れば、大手柄であろう。と、考えれば、私は彼等に機会を与えたようなもの。ククク……卿のように最初から全てを諦めていては、何事も成就できぬぞ」


 薄闇の中でニタリと笑うシュレヒテの顔は、痩せこけた頬が暗い影を作り悪魔めいて見える。意見具申をした部下は思わず目を背け、諦めたように去っていった。


 シュレヒテの作戦に人道や温情など、あり得ない。だからといって合理を極めたものでも無く、ただ己が出世の為に全てを利用しているとしか思えなかった。

 だからと批判をしようにも、それで成果を上げているのも事実。そのことを知る部下は、口を噤むしかなかったのである。


「ふむ……ダランベル軍など統率もとれぬ弱兵と侮ったが、存外と強い。これはプファンクーヒェンの低能めも、せいぜい利用させて貰うとしようか」


 シュレヒテは攻城戦に参加していた部隊から、ダランベル同盟軍へ一万八千の兵力を差し向けていた。敵は一万五千と聞いていたから、それで十分と考えたのだ。

 もとより軍才に自信のあるシュレヒテだから、プファンクーヒェンと共闘するつもりなど毛頭なく、当初は独力でこれを撃滅するつもりであった。


 しかしながら想定外の頑強さで敵が抵抗するものだから、攻城戦を放棄してダランベル軍の攻撃に駆けつけたプファンクーヒェンを利用しようと、シュレヒテは考えたのである。

 

 ちなみに両軍団長は共に、ダランベル同盟軍を撃破するという功績を独占しようとしていた。だから二人ともオッペンハイムには、追撃命令を出さなかったのである。


 ■■■■


 麾下の全軍をダランベル同盟軍本隊へ差し向けたプファンクーヒェンも、シュレヒテと同じくヴィルヘルミネによる正確無比な砲撃に晒されていた。

 だが彼はシュレヒテと違い、策を弄することは無い。砲弾の中をひたすらに、軍を前進させている。

 兵士達は歯を食いしばり泣き叫ぶのを堪えながら、足を前へ、前へと出していた。


 それでも、死の瞬間は恐ろしい。若い兵士は母を呼び、恋人の名を叫びながら砲弾の雨に散っていく。彼等にとっては、現状こそが地獄絵図。しかしプファンクーヒェンに後退の二字は無く、パン屋のような将軍は騎馬に乗り、声を嗄らして「前進!」と叫ぶのだった。


 将軍の声に合わせ、勇壮な軍楽が辺りに響く。

 前の兵士が半身を失い恨めしそうに見つめても、隣の兵士が発狂しても、前進を命じる太鼓は変わらず一定のリズムを刻んでいた。


「進め、進め、祖国の為に! 死して英霊になれるのならば、今がその時であるのだぞ!」


 声を嗄らして叫ぶプファンクーヒェンは、既に自分に酔っていた。彼は残虐だが、いついかなる時も怯まない。それだけが彼をして、軍団長にまで押し上げた美徳である。

 プファンクーヒェンは決して、部下の後ろに隠れない。このような状況下、彼は、あえて自らの身を最前列に晒して前進を命じるのだ。彼はつまり――……狂っていた。


「ものども、進め! 砲弾の雨さえ越えれば、敵を撃滅できるのだ! 功績を立てろ! 死を恐れるな! たとえ死んでも勇者であれば、戦乙女ヴァルキリーが天上界へと召してくれるのだからなッ!」


 パン屋に見える太っちょ軍団長は常に軍刀サーベルを掲げ、最前列で突撃をする。だからこそ彼は残虐であっても、兵士達から一定の信頼だけは失わないのであった。


 ■■■■


 ヴィルヘルミネは本陣を敷いた高台の上にあり、馬上から東側へ移動を始めたランプの群れを見て、「あわわわわ……」とテンパッた。単純に敵を三倍の数と思い込み――およそ一千に背後を衝かれると考えたからだ。

 

「砲を一部、東から迫る敵へ向けよ!」

「しかしヴィルヘルミネ様、あれは少し、妙な動きですよ?」


 令嬢の隣で冷静に敵の動きを観察していたエルウィンは、ランプの揺れ具合、それから集団を逸れていく僅かの光に不信を抱いている。

 けれどテンパるヴィルヘルミネは、「構わん」と一言発し、内心で、「手遅れになる前に手を打つ。これが天才というものじゃ!」と一人頷いていた。


 そんな自分を赤毛の令嬢は、やっぱり流石だと思う。まさか完全に敵の手のひらの上で踊っているなどとは思わず、得意満面である。

 が――……砲を東へ向けた隙に、シュレヒテの本隊が闇の中を迫っていた。彼我の距離はすぐに縮まり、ヴィルヘルミネは「ぐぬぬ」と唸っている。


 エルウィンは令嬢の意図を、上手く負ける為だと思っていた。だから余計なことは言わず、「ああ、なるほど。こうして敵を引き込もうとしたのか! 流石です!」と勘違いに拍車を掛けていた。


 そんな中、更なる凶報が令嬢に齎された。プファンクーヒェンの指揮する部隊が、いくら砲撃を加えても前進を止めないというのだ。


「なんじゃ、あの狂戦士バーサーカーどもは。このままでは、第一防衛戦を突破されてしまうのじゃ」


 エルウィンも令嬢の隣で、コクリと頷いた。彼の騎乗する馬が、ブルルと荒い鼻息を漏らしている。本来ならば、率先して迎撃に出たい所だが……。


「――良い頃合い、ですかね?」


 むろんピンクブロンドの髪色をした青年が言うのは、「退くには良い頃合い」という意味だ。

 しかし当初の目的を完全に紛失した赤毛の令嬢は、紅玉の瞳をグルグルと回し頭を抱えていた。「敗北」の巨大な二文字が天から降ってきて、自分を押し潰しそうである。

 

「……ヒェェェ」


 ヴィルヘルミネは顔面蒼白となって馬上でヨロリ、揺れていた。

 

 ――余は、軍事の天才では無かったのか。何故、こうもあっさり負けるのじゃ……。

 

 ヴィルヘルミネは半べそになって、自信を一気に喪失した。けれど、よく考えてみたら最初から天才なんかじゃあ無いんだと気付き、不意に顔を上げる。

 赤毛の令嬢は薄い唇をめいっぱい横に広げ、三日月のようにして嗤った。自嘲の笑みだ。目には涙を溜めている。


 ――どうせ天才ではないのなら、さっさと逃げるが吉なのじゃ! うわぁぁぁぁぁん!


 ヴィルヘルミネは自身の能力に見切りを付けて転進を命じ、スタコラサッサと逃げることにした。

 別に天才ではないと分かった所で、絶望などしない。命があれば、それで良いのだ。

 何より今はまだ、味方に損害を出した訳でもない。だったら今、自分の出せる命令は一つだけである。


「全軍転進――……退け、退くのじゃ!」


 言うが早いか赤毛の令嬢は馬首を翻し、率先して逃げ出した。だというのに、後へ続くゾフィーとエミーリアが感嘆の声を上げている。


「流石はヴィルヘルミネ様だ。絶妙なタイミングで転進を命じられる」

「当然だ、エミーリア殿。初撃で敵に損害を与え、食い付かせる。その上で敵に自軍優位と見せかけ、撤退なさった――……凡将のよくするところではない。ま さ に 天才であろう!」


 エルウィンに至っては感涙に咽び泣き、「今日も流石です、ヴィルヘルミネ様!」と五体投地をせんばかりの勢いだ。

 しかしながら真実のヴィルヘルミネは、ぜんぜん違う。本気で戦い完膚なきまでに負け、今は目に涙を溜め、逃げているだけなのであった。

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[良い点] おい!ミネルヴァ!いるんだろ?いるってわかってんだ!(チンピラ風) 絶対内なる令嬢の手助けだゾ!(疑心暗鬼)
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