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96 悲しい目をした子牛のように


 トリスタンがエミーリアと行動を共にする――という話になりかけた所で、赤毛の令嬢がブンと頭を大きく振った。窓から入る陽光がヴィルヘルミネの燃えるような赤毛の照らし、ルビーのように煌めかせている。


 皆の目が、赤毛の令嬢に注がれた。彼女はまだ無言だ。しかしまあ、それも当然のこと。だってヴィルヘルミネは、まだまだ爆睡中なのだ。今の動きはただ単に、座ったままの寝返りであった。


「――ギリッ、ギリッ」


 俯いたヴィルヘルミネから、奥歯を軋ませる音が聞こえる。フェルディナントの重臣は主君が何事かを不満に思い、怒っているのではないかと忖度をし、その身を縮めていた。

 結婚が決まりそう! なんて勘違いに拍車を掛けたエミーリアは、両手を胸の前で組み合わせ、不安げに下唇を噛んでいる。


 どのような縁談であれ、臣下の一存では決められない。この場合ヴィルヘルミネが「否」と言えば、全てはご破算なのだ。自分の幸せな将来の為、ダランベルの輝かしい未来の為、エミーリアは心の中で願い奉る。


 ――ああ、ミーネ! どうか二人の仲を引き裂かないで!


 もちろんエミーリアとトリスタンの仲は、一度としてくっついてもいないのだが。


 ていうか、そもそも令嬢は怒ってなどいない。これは単なる「歯軋り」で、言ってしまえばヴィルヘルミネは、相も変わらず寝ているだけだった。


 皆の注目が集まる中、ついに赤毛の令嬢は「くわッ!」と目を覚まし、すっくと立ち上がった。その場にいた全員が「ビクッ!」と肩を震わせて、ヴィルヘルミネから目を逸らしている。


「……余、行ってくる」


 いかにも不機嫌そうな半開きの目は、それ以上の意味を語らない。

 皆は必至で言葉を意味を探り、頭脳をフル回転させている。

 それを横目にヴィルヘルミネは移動すると、扉の外へ出て行った。


「えと、トイレは何処じゃ……? にしても、今日は冷えるのぅ」


 扉の外で赤毛の令嬢は、キョロキョロ、キョロキョロと廊下を行ったり来たり。


「も、漏れるのじゃ!」


 僅か数十秒で膀胱の危機を迎えたヴィルヘルミネは、可及的速やかにイルハン=ユセフを捕まえた。けれど、恥と外聞を投げ出せない令嬢はトイレを探していることを素直に言えず、「うー」と唸っている。


「ああ、そうだ、ヴィルヘルミネ様。ちょっとこちらへ」

「――む?」

「ほら、窓の外を御覧なさい。村人が歩いているのが見えるでしょう? でもね、あれは村人に化けた鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)ですから、ここは安全なんですよ」

「これを余に見せる為に、この場所へ?」

「ええ、まあ。トイレの近くの窓が、一番よく見えるんです」

「で、あるか。……あ、折角じゃし、暫し待て」


 察しの良いユセフは村人を見せると称して、令嬢をさりげなくトイレへ誘導した。

 捕まえたのがジーメンスじゃなくて良かったと思うヴィルヘルミネは、こうして「ホッ」と一息。ユセフに対する評価を一段上げたのだった。


 ■■■■


「先ほどの言葉の意味は……?」


 トリスタンが軍帽を脱ぎ、テーブルの上に置いてから目頭を揉んでいる。「余、行ってくる」とは「余が、行ってくる」と、考えるのが正解なのだろう。

 ならばトリスタンがエミーリアの下へ行こうという話を、ヴィルヘルミネが止めようとしている。そんな解釈が成り立った。しかも「ギリッ」と奥歯を噛み締める程、彼女は怒りを堪えながら。


 なぜ怒る必要があるのかと考えれば、トリスタンには一つの答えしか見つからない。


 ――まさかヴィルヘルミネ様は、私のことを想って……。


 イケメン過ぎる参謀総長は、その容姿に反して女性に疎い。

 何故ならヴィルヘルミネが指摘するまで、衣服に一切の関心を払わなかった。ボロボロになった埃塗れの軍服で一月を過ごすこともザラで、となればイケメンであってもモテる筈がない。なので彼は女性に対して、免疫が無かったのだ。


 とはいえ先日までは、それで問題など無かった。それが変わったのは、赤毛の令嬢の下着姿を見てしまったからである。

 以来トリスタンはヴィルヘルミネを主君でありながら、女性として意識するようになってしまったのだ。


 ――ぐぬぬ……私は果たして、ヴィルヘルミネ様に相応しいのだろうか……。


 両目をギュッとつぶり、思考の破綻した参謀総長が唸っている。


「どうした、参謀総長?」


 ヘルムートが苦笑を浮かべながら、トリスタンに問うた。


「あ、いや、宰相閣下。ヴィルヘルミネ様のお言葉を聞いて、少し――……考えていました」

「ふむ……我が参謀総長殿は、一体どう思われたのかな?」

「ヴィルヘルミネ様がエミーリア殿と行かれるなど、論外なのだが……それが、その……」

「ふむ。いや、これは案外、良い手かも知れません」

「は、え? はい?」


 トンデモ意見を言い出したヘルムートを、トリスタンは二度見した。後世、作戦の神様とも参謀の父とも言われる彼だが、恋愛に関しては中学生レベルで停滞中。なのでヘルムートを兄とも思い、考えを訊きたかったのだが……どうも彼の頭の中は、謀略で一杯らしい。


「考えてみれば、参謀総長――……ヴィルヘルミネ様は北部ダランベル同盟軍において、辣腕を振るわれたのだ」

「それは、むろんそうですが……」

「その結果、エミーリア殿との相性も良好である、と。ですな、エミーリア殿?」


 急に話を振られたエミーリアは、イケメン二人にドギマギしっぱなしだ。なのでフェルディナント側で話し合われていることを、彼女は何一つ分かっていなかった。

 とはいえ二人のうちどちらかが来るという話から、ヴィルヘルミネが来るかも知れないという話にシフトしていったことは分かる。というか、元々その程度の話しかしていなかった。


「うむ。ミネルヴァと名乗られ、私の副官として活躍なされた。その手腕は見事と申すより他なく、もしヴィルヘルミネ様に来ていただけるのなら、それは有難いことなのだが……」


 エミーリアは最後に、「私の結婚はどうなる?」と言い添えようと思って止めた。考えてみたら、結婚の話ではないと気付いたのだ。


「しかし、ヴィルヘルミネ様が再び私の下を、いや、我等の下を離れるというのは、安全上の問題があるのでは?」


 トリスタンが妙な所を言い直しつつ、意見を言う。


「いや、安全面に関しては問題無いと考えている。こういう言い方をしては実も蓋も無いが、北部ダランベル同盟は我らの力なしに、プロイシェ軍を撃退することは出来ないのだ。

 そういう切羽詰まった状況で無ければ我等の下へなど、エミーリア殿とて来るまい?」

「うむ、当然だ。だからこそ、あなた方を信用する為に、私は人質を――というと聞こえは悪いが、ともかく信用する為の証が欲しかったのだ」

「となればヴィルヘルミネ様こそ、あなたの望みに最も適う方でありましょう? ――エミーリア殿」

「もちろんだ、シュレーダー閣下」

「ま、待ってくれ。北部ダランベル軍はこれから、最も危険な場所へ行く。そこへヴィルヘルミネ様を送り出すなど、参謀本部としては納得しかねるぞ」


 トリスタンが色の違う両の瞳に怒りを滲ませ、ヘルムートを睨んだ。

「お前もヴィルヘルミネ様のことが好きなんだろう!? なのになぜ、そんなことを言うのだ!」という、もはや軍事とは程遠い怒りである。


「宰相閣下、参謀総長閣下。僭越ながら、ご意見を申し上げても宜しいですか?」


 そのとき、ゾフィーが二人の後ろから声を掛けた。窓から入る日差しが彼女の背中に差して、金髪が天使のように輝いている。

 不意にトリスタンの心は浄化され、燃え盛る恋心が、忠誠心へと変容していく。否、元に戻ったのだ。


「ああ、ゾフィー、言ってごらん」

「うむ――……聞かせて貰おう」


 ヘルムートとトリスタンは振り向き、僅かに目を細めて言った。


「では、お許しを得まして申し上げます。ヴィルヘルミネ様はどのような時であれ、自らが戦いの最前線へ立たれます。それこそ、我等が獅子王と仰ぐヴィルヘルミネ様の誇りではないでしょうか。

 だからこそエミーリア殿が味方となるならば、彼女と共に最前線に立つべきであろうと――……それで怒りも露に、余が行く――と仰ったのだと思います」


 この場の全員が、金髪の少女を見つめている。それは正しくヴィルヘルミネの真意であろう(勘違い)と、誰もが納得をした。

 

「流石はゾフィー。ヴィルヘルミネ様の親友にして義妹であればこそ、獅子の心をよく理解しています」


 ヘルムートはニッコリと微笑み、ゾフィーに頷いている。


「ああ――……まさに讃うべきかな、ヴィルヘルミネ様は。これほど気高い精神をお持ちであればこそ、常勝不敗の神話さえ、完成なされるであろうよ」


 トリスタンは、感極まって声が震えている。主君が自分に惚れているなどと勘違いまでして、赤面する思いだ。


「これが軍事の天才、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナント――……そうまでして我等を導き救い給うのならば、報いるに我が身命を捧げる所存!」


 エミーリアは天井を見上げ、涙を堪えていた。

 そんなところへヴィルヘルミネは、「はー、スッキリ!」と気持ちよく帰ってきたのだが。


「「「流石です、ヴィルヘルミネ様!」」」


 全員からキラキラした眼差しを向けられ、謎の唱和をされたんだから、ヴィルヘルミネはもう大変!

 ビックリした拍子にピョンと弾み、それでも何かを取り繕うよう、重々しい声で頷いている。


「――で、あるか」


 こうして赤毛の令嬢はドナドナされる子牛よろしく、再びエミーリアと共に最前線へ旅立つのであった。

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