95 フェルディナントの採用基準
「ヴィルヘルミネ様!」
「ミネルヴァ!」
二つの呼び名が耳元で交差して、ヴィルヘルミネはぐらりと揺れた。膨らみかけた鼻提灯がパチンと割れて、赤毛の令嬢が目を見開く。
――くわッ!
オドオドしながらキョロキョロと、ヴィルヘルミネは周囲を見渡した。「寝てたことがバレちゃったじゃろか?」などと考え恐れおののく令嬢は、それでも端然たる美貌だから恐れ入る。余りにも激しい内面と外見の落差だが、それに気づく者はいなかった。
とはいえフェルディナント側としては令嬢に、そろそろ身分を明かして貰わねば困るのだ。ゾフィーの呼びかけに答えぬとあらば、いよいよ真打が登場せざるを得ない。
「もともとヴィルヘルミネ様がボロヂノ領へ行かれたのは、子爵救出のため。ミネルヴァなどという者は、この世の何処にも存在しないのですよ。ね、ヴィルヘルミネ様?」
ジロリ――ヘルムートが紫色の瞳に圧を込め、ヴィルヘルミネを下から威圧する。
――うわぁ、ヘルムートってば、超怖いのじゃ。
ブルった令嬢は、すぐさま「うん、余だよ! 余がヴィルヘルミネじゃ!」と言いそうになった。しかし一方で長身のエミーリアが、斜め上から縋るような視線を自分へ向けている。
「ミネルヴァ……」
ああもう! だ。
そんな目で見られたら美女大好きポンコツ令嬢に、エミーリアを無碍に扱うことなど出来る筈がない。
――あちらを立てれば、こちらが立たず。さりとて余は、帰りたいのじゃ!
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで赤毛の令嬢はついに決断を下し、頷いた。結局のところ彼女は、己が欲求に忠実だったのだ。
「余こそ、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントである」
ヴィルヘルミネの宣言により、ゾフィーが右の拳をギュッと握り締めた。それから、ドヤっとした顔をエミーリアに向けている。
「ほうら、エミーリア殿! ミネルヴァなんて、いないんですよぅ~だ!」
「では、記憶喪失というのも……」
エミーリアは肩をガックリと落とし、悲し気に声を震わせていた。
「記憶喪失は本当じゃ――……ゆえに余の内には、ミネルヴァがいる。彼女がエミーリアを大切に思うておることは、紛れも無い事実。だからこそ余は、此度の会見を提案した……」
真っ直ぐ正面を見据えたまま、ヴィルヘルミネが言う。本当は、お家に帰りたかっただけなので、こんなものは苦し紛れの言い訳だ。けれど一方で、本心も多分に含まれていた。
ヴィルヘルミネとしては、エミーリアが欲しい。何せ抱き枕として有用だし、今後も愛用したいのだ。それで、重臣を牽制するような台詞を吐いたのである。
ヘルムートは、これこそ彼女の意図だと忖度をした。何としても同盟を纏めよ、という意思だと捉えたのだ。彼は深々と頭を下げ、「見事なる深慮遠謀。流石でございます、ヴィルヘルミネ様」と応じている。
「ミーネ、ミーネ……」
エミーリアは今にも泣きそうな顔をヴィルヘルミネへ向けると、彼女の両肩に手を乗せた。
「エミーリア殿……すまぬの。さりとて今は、ミネルヴァではないのじゃ」
ぴょこんと頭を下げて、ヴィルヘルミネが眉根を寄せる。結果として騙すことになったから、申し訳なく思ったのだ。それで、謝った。
けれど記憶を失いミネルヴァであったことは事実で、それを上手く説明することが出来ない。だから令嬢はもどかしくて、表情が歪んでしまった。
「いや――……結果としてあなたは私たちを助けようとしているのだから、感謝こそあれ、責める気持ちはない。ミーネ……いや、ヴィルヘルミネ様……それにな……」
「それに?」
「あなたの内にミネルヴァがいるのなら、私にとってあなたは――……今も変わらず姉妹のままだ。そう思っていても、構わないのだろう?」
「んむ、構わぬ」
エミーリアはヴィルヘルミネをギュッと抱き締め、令嬢もまたエミーリアの背中に手を回す。
形はどうあれ二人の間に生まれた親愛の情だけは、どうやら本物のようだった。
なお、ゾフィーは二人に人差し指を向け、ブンブンと振っている。ご立腹だ。
「なんだ、なんだ! エミーリア! そういうのは、わたしの役目だぞ! 姉妹ってなんだ! わたしこそ妹なんだ! もうッ!」
結局はゾフィーも混ざり、三人でヒシッと抱き合うのだった。
■■■■
諸外国から冷酷無比な宰相として恐れられるヘルムート=シュレーダーは、主君が完璧にエミーリアを篭絡したと見て取り、「流石です、ヴィルヘルミネ様!」と感動していた。
むろん隣の参謀総長も、「私など、ヴィルヘルミネ様には億の単位で及ばぬ」と、主君に対する畏敬の念を深めている。当然、どちらも概ね勘違いだ。
ともあれ無事、ヴィルヘルミネはフェルディナント側の席に座った。そうして両隣にイケメンを侍らせ、背後に金髪の美少女を置き、ホッと安堵の溜息を漏らしている。
「ふぅ……では、会談を始めよ」
呑気な赤毛の令嬢は、この宣言をもって全ての任務を完了した気分になっていた。しかし、細かな話し合いは、ここから始まるのだ。自分でも、そう言っている。
だが、そうは言っても昨夜は徹夜のヴィルヘルミネだ。瞼が重力に負けるのも、時間の問題という訳で……スヤァ。
時は流れ、双方は同盟関係に関して合意した。その上で、プロイシェ軍を北部ダランベルより撃退する作戦について、話し合いが行われている。
「――……指揮権は軍の規模からみても、そちらが執ることに異論はない。しかし我が方としてはボロヂノ子爵を今日、お返ししたこともあり、出来れば何らかの保証が欲しいのだが」
エミーリアがフェルディナントへ、一つの要求を突き付けた。
むろんヴィルヘルミネは微動だにせず、政治はヘルムート、軍事はトリスタンへ任せる体で居眠りを決め込んでいる。
「我等を信用できない、ということですな」
「そう、あけすけに言われても困るぞ、シュレーダー閣下」
「腹を割って話しているのです。エミーリア殿。保証が欲しいと仰るのなら、ハッキリと言うべきだ」
「では、申し上げる。先ほどケッセルリンク参謀総長が仰った作戦計画は見事だが、分進合撃となれば双方の連携が不可欠。ですが我等は、つい昨日まで敵同士だったわけです――……しかも、より危険な任務を我等が引き受ける以上、誰か重要人物を一人、人質として差し出して頂きたい」
言い終えるとエミーリアはテーブルに置かれたグラスに口を付け、喉を潤した。杯の中身は雪解け水を温めた白湯だ。色や味を付けないことで、毒殺の意図は無いと示している。
「なるほど、仰ることは最もです。でしたら、私があなたの下へ行きましょう。ちょうど私も、あなたに興味があった。話し合わねばならないことも、随分と多いことですしな」
「え、あ、あなたが私に興味を……!?」
エミーリアはヘルムートの美貌を正面から見て、すぐに両手で顔を覆った。あまりのイケメンっぷりに、顔が赤くなってしまったのだ。急に胸がドキドキとしてきた。
――え、え? 私に興味があるって!? これはもしや、求婚ではッ!? となると、まさかの政略結婚かッ!?
「ええ、ザルツァ家は北部ダランベル最大の貴族です。あなたと誼を通じておいて、損はない。むろんヴィルヘルミネ様とあなたの友誼を尊重した上で、様々な取り決めを致したいと存じます。それとも、私では役者不足ですかな?」
「い、いや、まさか、役者不足などとは。しかし、その、そういうお話であれば、お父様とも十分に相談した上で――……」
「むろん、あなたの父君にもお会いさせて頂く。プロイシェ軍をダランベルの地より追い返した後で、ですが」
「あっ、あっ、そうですね! お、お父様とも会うんだッ!? じゃ、じゃあ――……すぐに結婚が決まるから、もにょもにょ……」
両手の人差し指を突き合わせてクルクルと回転させながら、エミーリアは俯いている。ああ、私もついに結婚か! などと明後日の方向へ思考が飛んだ彼女は、ここでまさかの伏兵に狼狽した。
「いや、待ってくれ、宰相閣下。ここは私が彼女の下へ行こう。なんとなれば、あなたはフェルディナントに無くてはならぬ方。一方私であれば、まあ――……後任の人事に事欠くことは無い」
ぶっきら棒な物言いの、オッドアイの参謀総長の参入だ。
エミーリアは思った。人生初のモテ期がきたぞ! と。
宰相であれ参謀総長であれ、どっちにしてもイケメンだ。美しすぎて、拝みたい程である。
リヒベルグの時はまんまと騙されたが、今度はきっと大丈夫。
「私はどちらでも大丈夫! きっと良いお嫁さんになります! だから私の為に争わないで!」
エミーリアは、慌てて言った。
ヘルムートとトリスタンは二人して「はぁ?」と首を傾げたが――残念ながらエミーリアは両手で顔を覆い、彼等の姿を見ていなかった。
――ああ、もう! フェルディナント軍って、どうしてこんなにイケメンが多いのだ! まさか顔採用じゃああるまいな!?
そうしてエミーリアは照れながらも、フェルディナント軍の採用基準を看破した。
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