87 ボロヂノにヴィルヘルミネ
リンデン氏が執務室から連れ出されると、ミーネは溜息を一つ吐き出してから言った。
「と、いう訳ですわ。レーナさん、ロホスさん」
くるり、ミーネが身体の向きを変えた。その先には執務机があって、奥から二つの影が立ち上がる。一人は堂々たる体躯の老人で、もう一人は気が強そうな少女だ。二人とも同じ水色の瞳でミーネを見つめ、深々と頭を下げた。
「ありがとう、ミーネ」
「感謝するぜ、嬢ちゃん」
「いいえ、この程度のこと。それにスヴェンさんの借金が、帳消しになったわけではありませんので……」
「いや、十分さ。あとはスヴェンのヤツが、きっちり働いて返せばいいって話よ」
「そうよ。お父さん、ちゃんと働くようになったし。きっと返せるわ。これも全部、ミーネのお陰だもの。だから、ありがとう」
北部ダランベル同盟に移管したスヴェンの負債は元金だけとなり、エミーリアが個人的に買い取ることになっている。これをスヴェンが買い戻したら、全てが丸く収まるという手筈であった。
しかもスヴェンは今や、ミーネと共にザルツァ家の私兵である。つまり彼がミーネの下で働き続ける限り借金の返済は給料から天引きとなり、自動的に返済が可能なのだ。
ミーネは二人に向けて、やんわりと微笑んでいる。本当はレーナに医学の勉強を続けさせてあげたいが、流石にその算段は立てられなかった。だから彼女の笑みは、どこか物悲し気なものである。
「でも、レーナさんが通える医学校を見つけることが出来なくて……プロイシェやキーエフの大学では、女性が差別されると言いますし……」
「いいのよ、ミーネ! その辺は自分で何とかするわ! それにランスの新政府は、平民の味方っていうじゃない? だったら今までよりも良い待遇で、大学へ戻れるかも知れないもの!」
明るい笑顔で答えるレーナの目は、希望に満ち溢れている。これならば心配ないだろうと、ミーネも安心した。
「そういうことでしたら、お二人がボロヂノ領に来た目的は果たされましたわね。名残惜しいですけれど、これで、お別れですわ」
「その事なんだがな、嬢ちゃん。まだ果たされてねぇ目的があるんだよ」
ロホスがミーネの前に歩み出て、真剣な眼差しで言う。隣に並んだレーナの手には、ミーネの軍服が乗っていた。
「そうよ、ミーネ。あなたの身元、まだ分かっていないじゃない」
レーナが鬼気迫る表情で、ミーネを見つめている。
「その事でしたら、もういいのですわ。エミーリア様は良くして下さいますし、スヴェンさんも残って下さいます。ですからわたくし、このまま北部ダランベル同盟の軍人になろうと思いますの」
二人が余りに切羽詰まった様子だから、ミーネは肩を竦めて笑っている。
「そりゃミーネが北部ダランベルの貴族だったら、問題ないわよ? でもね――……」
「あら、あら、レーナさんときたら。また、わたくしがフェルディナントの軍人かも知れない、と仰るのですね」
「その可能性が、とっても高いのよ。あなたを見つけた場所を考えたらね!」
「そうかも知れませんが、でも、フェルディナント軍にはミネルヴァなんていう高級士官はいませんでしたわ。エミーリア様に調べて貰いましたから、確実です。やはり、軍属の学生か何かだったのでしょうね」
「アハハ」と笑うミーネの両肩に手を置き、ロホスがゆっくりと首を左右に振った。
「高級士官の中には、確かにいねぇだろう。俺ァな、嬢ちゃん、アンタがヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントその人なんじゃあねぇか――って思ってるんだ」
「ロホスさん……」
「いいかい、嬢ちゃんはキレ過ぎる上に、戦い方を心得ていた。それに年齢も、ヴィルヘルミネと一致している。
なあ、嬢ちゃん。世の中の十三、四の女の子ってなぁ、そんなに政治も軍事も上手なモンなのかねぇ?」
「勘繰り過ぎですわ。わたくしはただ、そういう教育を受けていただけでしょう。あまり馬鹿なことを、仰らないで下さいまし」
「馬鹿なことかどうかは、ボロヂノ子爵に会ってから決めなよ。あの人はヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントに会っているんだ。もしもそうなら、きっと分かるはずさ。
ほら、アンタを見つけた時に着ていた軍服も持ってきた。今の嬢ちゃんなら、捕虜と面会することくらい出来るだろう」
「それは出来ますが、でもまさか、わたくしがヴィルヘルミネだなんて、そんな――……」
信じられないといった様子で、まだミーネは笑っていた。
「俺ァな、違ったら違ったで良いと思っている。でも万が一嬢ちゃんがヴィルヘルミネだったら、エミーリアはどうすると思う? ちいと考えりゃあ分かるだろうがよ?」
「ええ、ええ。敵の司令官ですものね――……殺すか身代金を取るか。何にせよ、わたくしのせいで、多くの人に迷惑を掛けてしまいますわ」
ゴクリと唾を飲み込んで、ミーネはレーナの手にある自分が着ていたという軍服に目を遣った。確かに学生というには華美なもので、けれど最高司令官というには質素である。
ドクン――心臓が高鳴った。
「分かりました。確認、してみますわ」
ミーネは頷くと、二人を伴い地下牢にいるボロヂノ子爵の下へ向かうのだった。
■■■■
半地下の牢は部屋の上部に明り取りの窓があり、そこに鉄格子が嵌っていることを除けば、十分に家族が暮らせる空間を持っていた。また室内にある調度品は豪勢とは言えないまでも、庶民と比べれば贅沢なものだ。そこにボロヂノ子爵と夫人、それから息子二人が収監されていた。いわゆる軟禁状態であった。
二人の兵士が守る分厚い鉄の扉を開けて、ミーネとロホス、そしてレーナが室内へと入る。スヴェンは護衛として、牢の外で待機することとなった。
扉を開けた先は居間になっていた。二人の息子がソファーに向かい合って座り、カードゲームに興じている。息子と言っても二人は二十歳を過ぎた大人で、一人が軍人、一人が行政官であった。
二人とも今の状況が不満で鬱屈していたのだろう。入室したミーネをジロリと睨み据えている。
「処刑の時間ということなら、もう少し待て。私達の勝負が付くまでな」
「兄貴。勝った方から先に処刑をして貰うってのは、どうだ?」
「馬鹿を言うな。そういうのは、大体負けた方が先だろう」
「いやでもよ、俺はもう、この生活に飽きちまった。さっさと死にてぇんだ」
「むむむ……お前いま、私に勝つ気でいるのか。ダメだぞ、私が勝つんだから」
「いや兄貴、問題はそこか? そうじゃねぇだろ?」
息子の一人は丸猫と呼ばれた父、コンドルセ=デュポンの若い頃にそっくりで、体型は丸く、髪の毛が猫耳のように盛り上がっている。
もう一人の息子は筋肉質で、髪の毛だけが猫のように盛り上がっていた。こちらは虎を思わせる風貌で、可愛さというものは欠片も無い。ただし精悍な顔つきはミーネ曰く、八十点を越えている。
「あなた方を処刑をするつもりなど、わたくし、毛頭ありませんわ。ボロヂノ子爵に少々お尋ねしたいことがありまして来たのですが、お父様に取り次いで頂けますかしら?」
ニッコリと微笑むミネルヴァ・ミーネに敵意は無い。だからなのか、丸い方の息子が立ち上がり、のっそりとした動きで父親を呼びに行く。
「そういうことなら、勝負そのものが意味をなさないな。おーい、親父! 北部ダランベルの士官が呼んでるよ! ちょっとこっちへ来てくれ!」
すると暫くして衝立の影から、白髪頭の猫顔紳士が現れた。
「やれやれ、今更この老骨に、一体誰が何の用だというのか? もはや星となり、ミーネ様を見守るだけが私の楽しみだというのニャ? ――……ニャアアアアアアアア!? ミーネしゃまッ!? ミーネしゃまが、なぜここにィィィィィィィ!?」
余りの衝撃からか、ボロヂノ子爵が二度、三度とバウンドした。それからミーネの前に跪くと、涙ながらに這いつくばる。
「そ、そうか! 臣は、臣は死んでしまったのですな! そうに違いない! 生きてまたミーネ様にお目にかかることなど、夢のまた夢ですからニャ!
いやでも、死んでみるものです! ミーネ様にこうしてお目に掛かれるのなら、もっと早くに死んでおけば良かった! ハァァァァァ、大満足ですぞォォォ!」
ロホスはかつて敬愛した上官の、余りにもあけすけな忠誠心に目を白黒とさせた。
「おい、デュポン――……丸猫の旦那。アンタ、別に死んでねぇよ……だいたいどうしたってんだ、マタタビ貰った猫みたいになりやがって……」
ミーネもミーネで、何かにとりつかれたようにボロヂノの頭をポフポフ撫でると、「ニャン・ニャー――……で、あるか」と呟くのだった。
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