86 リンデンという男
ミネルヴァことミーネの仕事は微に入り細を穿つもので、一週間と経たずに彼女の下で北部ダランベル同盟軍は立ち直った。
しかもミーネは本隊との合流を果たしたフェルディナントに対する作戦計画をすっかり立てて、エミーリアの執務室を訪れている。それは完璧に仕上げた補給計画を元に籠城し、別動隊を城外へ出して敵の補給路を突く――というものであった。
「必ずしも敵を壊滅させる必要はありません。ただ、我々と戦えば自らにも損害は出るぞ、と――そのようにヴィルヘルミネへ、教えてやれば良いのですわ」
立案した計画をエミーリアの執務室で語るミーネは、まさか自分で自分を倒す作戦を立てているなどとは思わない。まるで一人オセロをやるような、ミーネなのであった。
「良い作戦だし、勝てるとも思う。だが、それで一端はヴィルヘルミネを退かせることが出来たとして、抜本的な解決にはなるまい。何と言ってもフェルディナントは大軍だ。補給を万端にして再び襲い掛かられては、二度目の侵攻に耐えることは出来んぞ?」
ミーネが作成した作戦の計画書をパラパラと捲り、執務机を挟んで直立する副官の顔を、エミーリアはチラリと見た。自信に満ちた赤毛の少女が、穏やかに微笑んでいる。
「仰る通り、二度は勝てませんわ。ですが一度勝てば十分なのです。だってその先は、政治的な駆け引きになりますもの」
「駆け引き? 一体どうするというのだ?」
「ボロヂノ領と子爵を返還するから、北部ダランベル同盟と今後五年の不可侵条約を結びませんか? という提案を致します。
そもそも、フェルディナントは降りかかった火の粉を払っているに過ぎませんし、彼等の主敵はあくまでもプロイシェですわ。一方我々はプロイシェに裏切られ、煮え湯を飲まされています。となれば共通の敵こそ、プロイシェではありませんの?」
「だったら、現段階で不可侵条約を提案しても良いのではないか? となれば我等が戦う必要など、あるまい?」
エミーリアはキョトンとして、ミーネを見つめている。
「それでは我等に戦う力無しと見られ、不平等な条約を結ばねばならなくなるでしょう。平和とは、それを維持できる力を持つ者のみに与えられる至宝――ゆえに武力を用い、敵を恐れさせねばなりません」
「ふむ――……では、なぜ五年なのだ? 恒久的な不可侵条約の方が良いではないか」
「人とは妙なもので、永遠と言われれば尻込みをしてしまいます。けれど五年という期限を区切れば、案外守ろうとするものですわ。もちろん二年でも三年でも構いませんが、我が方としては一日でも長い方がよろしいでしょう?」
「うむ。その間に防備を固めるなり新たな同盟を結ぶなり――……手を打てるからな」
「仰る通りですわ、エミーリア様」
「そうか。そういうことなら、ミーネに全て任せる。ああ、そうだ。それから仕事がやりやすいよう、この部屋の隣を執務室として使うといい」
「あら、あら、ありがとうございます。承知致しましたわ」
「礼には及ばん。参謀や各連隊長にもミーネの命令に従うよう、私から言い含めておく」
こうしてミーネは副官でありながらも執務室を与えられ、いとも容易く北部ダランベル同盟軍の副将格に上り詰めたのであった。
■■■■
自らの執務室をボロジノ子爵の居城に得たミーネは、早速リンデン氏を呼びつけた。レーナの婚約を無効にする為である。
「あなたがスヴェンさんをお金で雁字搦めにして、レーナさんに結婚を迫ったことは明々白々ですわ」
春の日差しが窓から入り、淡い草色の絨毯を照らしている。
ミーネは白いテーブルを挟んで向かいに座る、見事な口髭を生やした紳士を睨んでいた。
「雁字搦めと仰るが、私は彼の――ええ、あなたの後ろに控えている善良なスヴェンさんの求めに応じ、金銭を都合したに過ぎません。天地神明に誓って、やましいことなどありませんとも」
反論する紳士は紺色のスーツ姿で、三十代後半にしては肌の色艶も良い。目鼻立ちは整っているが、しかし腹部だけが奇妙に突き出てアンバランスな体型だ。彼が豪商のリンデン氏であった。
「そうでしょうか? この借用書によれば、スヴェンさんが借りた元金は、五百ターラー(約五十万円)に過ぎません。それがどうして、たったの半年で十倍の五千ターラー(約五百万円)になるのでしょう? 納得のいく説明を、して頂けるのかしら?」
「そんなもの、そういう利息だって、契約書に書いてあるでしょう? その上でスヴェンさんは、私から金を借りたんです。何も法に触れちゃあいませんよ、ミネルヴァ様」
「そうですか――……まあ、今日はそのような些末事で、あなたをお呼びしたわけではありませんの」
「だったら一体、なんだというのです?」
「あなたは軍部との違法な取引により、莫大な利益を上げておられましたね? これは軍規に照らせば、銃殺刑ということになりますわ」
やんわりと微笑むミーネの手がスラスラと動き、死刑の執行書にサインをしている。
「――……事情があれば情状酌量の余地もあるかと思ったのですが、悪徳商人ときては、助命の意味もありませんものねぇ」
リンデンはミーネの手と書類を見て目を見開き、口をパクパクとさせている。彼にとっては、急に部屋の酸素が薄くなったかのようであった。
「ま、待ってください、わ、私は兵站部長に言われて、仕方なく協力していたに過ぎません! それで銃殺なんて、あんまりだ! そうだ、兵站部長はどうしたのです? あの方を呼んでくださいッ!」
「すでにわたくしが、銃殺刑に処しましたわ」
今までと変わらず柔和な笑みを浮かべて、ミーネは言った。風が吹き、窓枠がカタカタと鳴る。
カタカタ、ガチガチ――……リンデン氏は窓を見た。もう、風は吹き止んでいる。自分が歯の根も合わぬほど震えていることに気付いたのは、それから数秒後のことだった。
「た、助けて下さい。何でもしますから、命ばかりは――……どうか」
「反省、なさっていますの?」
「も、ももも、もちろんですとも! 天地神明に誓って!」
「そうですわね……でしたら、あなたが不正に得た利益を没収させて頂きます。むろんスヴェンさんに貸したお金も、それで得た利益なのでしょうから――……没収させて頂きますわね」
「待ってください! それじゃあ、私とレーナさんの結婚はどうなるんです!? スヴェンさんとは、もう随分も前に約束をしたんですよ!?」
「それで命が助かるのですよ、諦めなさいな。そもそも、あなたとの結婚なんて、レーナさんは望んでおりませんし」
「彼女が私との結婚を望んでいない? それが一体何だっていうんです!? 私がレーナさんを、一目見た時から好きなんだ! 私はいままで、欲しいと思ったモノは全て手に入れてきたんだッ!」
充血した目を吊り上げて、リンデンは唇をワナワナと震わせてる。完全に逆ギレモードだ。
「だから妻まで、お金で買おうとなさったのかしら? あなた、随分と歪んでいますわね」
「違う――買おうだなんて、そんな風には思っていない。私はレーナさんより二十も年上だから……金でしか彼女の関心を買えないと、分かっていたから」
一転してリンデンは項垂れ、膝の上で拳を握り締めていた。そういう人物なのであろう。
「それで家族の弱みに付け込み、手に入れようとなさったの? 呆れた……言い訳にも、なっていませんわね」
「それでも、私ならレーナさんに良い暮らしをさせることが出来た! 医者になる勉強だって、続けさせてあげられる! そういうことを考えていたんですッ! これは、紛れもなく善意なんだッ! レーナさんだって、いつかは私の善意と愛情に気付いてくれると信じていたッ! それなのに……アンタは、アンタが……邪魔をして……ぶち壊したんだァァ……」
リンデンは両手で顔を覆い、ボロボロと涙を零している。地位も名誉も一代で築いた三十代後半の商人とは、到底思えない無様さだ。けれど、それだけにレーナへ対する想いの真剣さが伝わって、ミーネは後味の悪さを覚えている。
「歪んだ愛情と捻じれた善意なんて、毒のようなものですわ。誰も救えない――……」
「なんだと、なんだとぅ……?」
「さあ、もういいでしょう。話は纏まりましたわ、この男を牢へ」
ミーネは余りの気味悪さに立ち上がった。彼女を後ろで見守っていたスヴェンが回り込み、リンデンの腕を掴んで縛り上げる。
「ミネルヴァ……許さない、許さないぞ。私は何があっても、必ず貴様に復讐する……この恨み、絶対に忘れないからなァァ……」
「黙れ、リンデン。てめぇ俺を騙しやがって、何が五千ターラーだ! こっちこそ、この恨みは一生忘れねぇからな!」
スヴェンはリンデンを足蹴にしながら、牢へと連れていく。
ミーネは耳にリンデンの恨み言が張り付いたような気がして、どうしようもなく不快な気分だ。
――なんじゃ、あの四十二点。
「え、だれ? 四十二点? 何ですの?」
――スヤァ……。
「ね、寝ましたの!? 文句を言うだけですの!? 一体何なんですの!?」
ミーネは中空に漂った言葉の主を探し、辺りに目を向ける。けれど正体は掴めず、そっと胸元へ手を置くのだった。
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