85 ヘルムート、ヴィルヘルミネの意図を知る
ヴィルヘルミネの失踪から三日ほどして、川の下流に一軒のあばら屋を見つけたのは、近衛連隊と共に捜索をしていた鋼鉄の薔薇であった。
彼等は参謀本部直下の特殊部隊という性質上、極秘任務に用いられやすい。それは中隊が壊滅して小隊規模となった現在でも、同じことであった。
今や正式に鋼鉄の薔薇小隊の隊長となったジーメンスは、エルウィン以上に昼夜を問わず、ヴィルヘルミネを探していた。
それに鋼鉄の薔薇にしてみれば、ヴィルヘルミネは隊の為に涙を流してくれた、得難い主君である。何としても彼女を見つけたいという想いは、近衛連隊以上のものがあったのだ。
とはいえヴィルヘルミネが行方不明になってから、既に三日。誰の心の内にも、諦観は忍び追っていた。それは令嬢の学友たるジーメンスとて例外ではなく、正直なところ、冷たくなった愛しい主君の遺体と対面する覚悟だって固めている。
そんな時だ、川沿いを下った先に一軒の民家を見つけ、犬と共に羊を追う牧童の少年を見つけたのは。
「シュミット! もしも今ヴィルヘルミネ様が生きているとしたら、それは誰かに助けられたという可能性が考えられないかね!?」
「と、いうより――……自力で助かったとしても、誰かに助けを求める必要はあるでしょうね」
「ようし! だったら、あの少年に訊いてみよう。小屋には大人だっているかも知れない!」
「そうですね。何か手掛かりの一つでも、見つけられれば良いんですが……ただし、油断はせんようにして下さいよ? 敵の手が伸びている可能性だって、ある地域なんだ」
ジーメンスの補佐役となったシュミットは、堂々たる体躯を誇る童顔の男だ。純粋な格闘戦能力だけでいえば、義兄のブルーノを凌ぐ程である。
その彼がジーメンスを鍛え、特殊部隊のありようを一から教えていた。だから少年の動きは、いつの間にか洗練された戦士のものになっている。
「分かっているとも、シュミット准尉。当然ヴィルヘルミネ様が窮地にあるのなら、敵を排除、制圧するだけのことさ。何と言ってもボクらは、鋼鉄の薔薇だからね!」
ジーメンスは年長の部下に頷くと、犬と共に羊を追う牧童の少年の下へ馬を走らせた。彼は内心の焦燥を隠し、笑顔で少年に声を掛ける。
「君! 君! ボクはフェルディナント軍少尉、ヴァルダー=フォン=ジーメンスという者だ。少々訪ねたいことがあるのだが、良いかね?」
「――ん、なに? オイラはテオ。お兄ちゃん、話ならちょっと待って。この羊たちを全部、柵の外へ出してからでいい?」
「ああ、いいとも。ボクはエリートだからね。大人しく待っているさ」
「うん、ありがとう! あっ、お兄ちゃんの服、ミーネの服と、とっても似ているね! もしかして、仲間なのかな!?」
こうしてジーメンスはテオの証言により、ミネルヴァと名乗る赤毛の少女の存在を知るのだった。
■■■■
ジーメンスは本営へ戻ると、すぐにヘルムートへ報告をした。五日ほど眠っていないから目の下に隈を作り、フラフラとしてる。
だが鋼鉄の薔薇は極限状態にあって、なお戦う組織だ。眼光に宿る輝きは衰えず、くすんだ金髪の少年の声は、今もって張りを保っていた。
「――以上のような理由に基づき記憶を失われたヴィルヘルミネ様は、ミネルヴァを名乗っているものと思われます」
「なにか、証拠になるような物があれば良いのですが……」
ヘルムートは目を閉じ、腕を組んだ。
これまでの間ヴィルヘルミネは病ということにして、一角獣旗が翻る大天幕はそのままの状態であった。
しかし進軍を停止して、既に五日。そろそろ下士官や兵士も事態に疑問の目を向け始め、ヘルムートは何らかの対応に迫られていたのだ。
「証拠と言うには弱いかも知れませんが、赤毛で美しく、華美な軍服を着ていたとのこと。容姿の特徴は一致していますし、ミーネという愛称があることを自ら口にしたそうですから、まず間違いは無いかと思います」
「分かりました。そしてロホス=ゼーフェリンクという名の老人と共にボロヂノ領へ向かった、と」
人払いをした大天幕の一隅で、ジーメンスの報告を聞き終えたヘルムートが顎に指を当てている。
机の脇に積み上げた書類は、本国から送られた決済の束であった。むろん全ての処理を終え、あとはヴィルヘルミネのサインを待つばかりのモノである。
「はい。それから、牧童の少年は点数を付けて貰った、とも証言をしていました。ほら、ヴィルヘルミネ様がよく人を評して言うアレですよ。たしか宰相閣下は九十六点、でしたっけ?」
「いえ。先日は九十八点と言われましたが、けれど勉強を教えている時は七十点だと、乱高下しますね。
しかし……となるとヴィルヘルミネ様は、本当に記憶を失っているのでしょうか? あえて偽名を名乗られた――という可能性の方が高そうです」
「あえて偽名を名乗る? どういうことです? エリートであるボクにも、分かるように説明をして貰えませんか?」
本当にエリートだったら言いそうもない言葉を、ジーメンスが言う。ヘルムートは若干の苦笑を浮かべ、ヴィルヘルミネの忠臣に説明をした。
「どうも私には、ヴィルヘルミネ様に何らかの意図があるように思われます。そうでなければ、ボロヂノ領へなど行く訳がない」
「ロホス殿とボロヂノ子爵が旧知の間柄で、ヴィルヘルミネ様の身元も分かるのではないか――とのことだったらしいですが。
もしもヴィルヘルミネ様が記憶を失っていないとしたら、他にもボロヂノ領へ行きたい理由があるということですか?」
「フフ……もちろん、あるでしょうね。あなたには分からなくとも、私には分かります」
意味深な笑みを浮かべ、紫眼の宰相が豊かな黒い前髪を指先で弾く。ジーメンスは同じ男でありながらも、美しすぎるヘルムートの仕草に見惚れてしまった。
「さ、宰相閣下はずるいです。ヴィルヘルミネ様が子供の頃からお傍にいて、何でも知っていて……ボ、ボクなんか――……そうやってボクを馬鹿にしたように見て! 知っているなら、教えて下さいよ! ずるいですよ、閣下!」
何故か頬を赤く染めて、ヘルムートから目を逸らしてしまったジーメンスである。
紫眼の宰相は立ち上がると、ジーメンスの汚れた頬にハンカチを当てた。
「まぁ、仕方がありませんね。このように、汚れも厭わずヴィルヘルミネ様をお探しした功績に免じて、特別に教えてあげましょう」
「ふぁぁぁっ……」
頬の汚れを拭き取られつつ、長身の宰相にジーメンスは目を向けた。思わず鼓動が速くなる。
――こんな大人になんて、勝てっこないじゃないかね。うぅぅ……ずるい、ずるいのだよ!
「ジーメンス、君はヴィルヘルミネ様がボロヂノ子爵を何とお呼びになっていたか、存じていますか?」
ジーメンスの劣等感など気にせず、ヘルムートは彼の頭を撫でながら問う。ヴィルヘルミネの学友だからこそ、紫眼の宰相にとってジーメンスはまだまだ子供に過ぎないのだ。
「い、いいえ、いいえ、知りません」
「ヴィルヘルミネ様はボロヂノ子爵をニャン・ニャーとお呼びになり、大層お気に入っておいででした。ですから恐らく、彼を助けに行ったのでしょう。このまま北部ダランベル同盟と戦わば、彼の命はきっと失われる――……それで」
「え、まさか、それじゃあ!?」
「ええ、そうです。恐らくは今回の失踪そのものが、ヴィルヘルミネ様の狂言――……なのでしょう」
「そんな……命を賭してまで配下の者を助けに行くなんて、流石はヴィルヘルミネ様だッ! ボクはいま、猛烈に感動しているッ! していますよ、宰相閣下! ミーネ様は、何という慈悲の心をお持ちなんだ! ウオォォォオオオオ!」
「やっと分かりましたか、ジーメンス。あの方の慈悲心は、神をすら凌ぐのですよ」
「仰る通りです、宰相閣下! それに、そんなヴィルヘルミネ様の行動から意味を読み取れるあなたも、凄い、凄すぎるッ!」
「フフ、フフフ――……なぁに、長い付き合いですからね。ともあれ、そうと分かれば、再び全軍に進撃を命じるべきでしょう。あの方の意図は、我が軍が足を止めることなく、それでも子爵を救うことにあるのでしょうから」
「はい、宰相閣下! さっそく参謀総長を、お呼びしますッ!」
勘違いに勘違いを重ねていくと、このような結論に至るらしい。イケメン過ぎる馬鹿兄弟が、手に手を取って頷いている。絵面的には、そのようなものであった。
全てはヴィルヘルミネがボロヂノ子爵を救出する為に演じた狂言だと信じ、得心したヘルムートとジーメンス。彼等は大きな大きな妄想により、感動の渦中にいるのだ。
こうして令嬢の捜索は打ち切られ、代わりに赤毛の侍女を影武者として、フェルディナント軍は一先ず前進を再開させる。
そして鋼鉄の薔薇は人知れずボロヂノ領へと向かい、陰からヴィルヘルミネを助けるという任務に就くのであった。
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