84 フェルディナント軍のデリカシー
ミーネが北部ダランベル同盟軍において八面六臂の大活躍をしていた頃、ヴィルヘルミネを失ったフェルディナント軍は大惨事であった。
なにせ全軍を統帥すべき司令官の不在だ、指導部が混乱するのも無理はない。一方でヴィルヘルミネの不在を誤魔化す為に、紫眼の宰相ヘルムートは様々な手段を講じている。
その結果、令嬢の側近たるゾフィーやエルウィンには多大なストレスが掛かり、鬱屈した思いを抱えているのだった。
とはいえヴィルヘルミネの失踪当時、授業の開始時間までに彼女が戻らなかったことから、ヘルムートは即座に大天幕へトリスタンを呼び、捜索を始めている。だからこそ、全軍崩壊という最悪の事態には陥らなかったのだ。
「ケッセルリンク参謀総長。ヴィルヘルミネ様が、その――……花摘みから戻られません。今から捜索をして欲しいのですが、少々デリケートな問題に発展するかも知れませんから、もしもヴィルヘルミネ様がしゃがんでいたら、決して声を掛けないように」
「しゃがんでいたら、声を掛けない? では、見つけたらどうしろと言うのです?」
「難しく考えず、そっと見守ればいい。そしてヴィルヘルミネ様が立ち上がったら、優しく声を掛けてあげて下さい」
「は……なぜです? 花を摘んでおられるだけなら、声をお掛けしたところで、何の問題もないでしょう?」
ヘルムートとトリスタンの会話を横で聞いていた金髪の少女が、怒りに肩を震わせ烈火の如くに叫んだ。
「参謀総長、あなたという人にはデリカシーが無いのですかッ! 花摘みと言えば、用を足すことの隠語ですッ! つまりヴィルヘルミネ様は、外でウ〇コをなさっておいでなのです! それを誰かに見られたら、どうするというのですかッ!? しゃがんでいるとは、そういうことですッ!」
フンス! と息巻く金髪の少女の剣幕に驚きつつ、トリスタンは目を瞬いた。
「デリカシーとは?」と暫時首を傾げたトリスタンだが、しかしそれも一瞬のこと。ヘルムートの表情が常に無く余裕を失っている様を見て、事態が一刻の猶予も無い事を知る。
「承知しました」
トリスタンは一礼して天幕を後にすると、近衛連隊長たるエルウィンを呼び出した。赤毛の令嬢の身辺警護は、元来から彼の仕事だからだ。
「エルウィン。近衛連隊を率い、内密にヴィルヘルミネ様の捜索を始めろ」
「ハッ! しかし捜索とは――……一体どういうことです?」
「行方が、わからなくなったらしい。大事に至っていなければ良いのだが……」
「そ、それは……急ぎ、捜索を開始しますッ!」
「しかし、慌てるなよ。ヴィルヘルミネ様は、ウ〇コをなさっておられるとのこと。しゃがんでいたら、決して声を掛けるな。大切なのはデリカシーだぞ」
「……も、勿論です」
■■■■
エルウィンはデリカシーについて考えながら、雪の残る山中の捜索を開始した。辺りは闇に飲まれそうな時刻で、各人が掲げる松明の灯りだけが頼りだ。
そんな中、雪に埋もれる茶色くて小さな物体を見つけた。ホカホカだ。生物からの排泄物であろう。エルウィンはハッとして、辺りに目を凝らした。茂みの影から、ガサゴソと音がする。
「ヴィルヘルミネ様――……僕は、ウ〇コなど見ておりませんよー……」
――大切なのは、デリカシー。
エルウィンは、己に言い聞かせた。しかし、言い聞かせただけであった。その行動からは、何の配慮も見て取れない。
ガサゴソ。
音がする方向へ、エルウィンはゆっくりと近づいた。すると闇の中でキラリと目が光り、次の瞬間「ザザッ」と音を立てて去っていく。正体は、すぐに分かった。
「――なんだ、猪か」
ただの動物であった。色んな意味でガッカリだ。
だが猪を追った先に小さな丘があり、そこで人が滑落した跡を見つけた。ヴィルヘルミネが好きそうな、手に持ちやすいサイズの小枝も落ちていた。
「エルウィン卿! ヴィルヘルミネ様が、こちらに?」
「ゾフィー?」
振り返ると、松明を掲げたゾフィーが後ろにいた。彼女もホカホカの物体を見つけて、こちらへ来たらしい。
「いや、猪だった。しかし――……」
「そうですか。ヴィルヘルミネ様にしては、大きいと思いました。それに、色艶もおかしい。あの方のモノであれば、キラキラと金色に輝いているはずですからね。ええ、ええ、違うだろうとは思っていましたよ」
「ゾフィー……なんていうか、うん。とにかく、これを見てくれ。人が滑落したであろう跡だ。それに、この小枝――いかにもヴィルヘルミネ様が好きそうだろう」
「小枝? はい、確かにそうですね。だったらヴィルヘルミネ様は、ここから……」
いつの間にかゾフィーはエルウィンの隣に立ち、崖下をゴウゴウと流れる川面を見つめていた。松明の炎で揺れる彼女の横顔には、確かな決意が宿っている。
「そういうことであれば、ミーネ様! 今、ゾフィーがお迎えに上がりますッ!」
ゾフィーが一歩足を前に出し、崖下の川へ飛び込もうとした。
「バカッ! やめるんだ、ゾフィー!」
エルウィンがゾフィーの手を掴み、引き留める。
「追います! 止めないで下さいッ! わたしは、ヴィルヘルミネ様を追うんだッ!」
「川の水は冷たい! 何より飛び込んだところで、この暗さだ! 見つけることなんて出来やしないぞッ!」
エルウィン自身とて、ヴィルヘルミネの為に飛び込みたい気持ちであった。今ここで彼女を失うくらいなら、死んだ方がマシだ。けれどゾフィーの無鉄砲な行動が、幾分かの冷静さを取り戻させたのである。
「でも、こんな冷たい川に流されて、ヴィルヘルミネ様がお可哀想で……!」
「分かっている、僕だって同じ気持ちだ。今から川に沿って、ヴィルヘルミネ様を捜索する。昼夜問わず、見つけるまでだ。
大丈夫、絶対に死なせない、死なせてたまるものか。だからゾフィー、君は僕を信じて、大天幕へ戻ってくれ」
「わたしも一緒に探します……人は、一人でも多い方が良いでしょう?」
「ダメだ。君はヴィルヘルミネ様の妹として、大天幕にいてくれ。君は今、酷く動揺している。そんな姿を兵が見たら、不審に思うだろう。何よりヴィルヘルミネ様に何かあったら、その時には、君が――……」
「嫌だ、嫌だ! ヴィルヘルミネ様に何かあるなんて、そんなの絶対に嫌だ!」
「分かってる! そんなこと、あり得ない! あくまでも万が一の話だから!」
ボロボロと涙を零すゾフィーを宥めて下がらせ、エルウィンは下唇を噛んだ。最悪の事態を考えると、悪魔の黒い手に首筋を捕まれてるような気分だ。
寒風が吹き、ピンクブロンドの髪が揺れる。背筋を這い上がる冷たさは、雪を孕んだ風のせいだけではないのだった。
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