81 ミーネとエミーリア
ロホスはエミーリアから丁重な謝罪を受けて、内心では渋面を作った。現在の情勢を把握していなかった、自身を責めてのことである。
冬季のゼーフェリンク家は、外界と隔離されていた。だからロホスは北部ダランベル同盟とフェルディナントが戦っていることなどつゆ知らず、ましてやボロヂノ領が敵の手に落ちているなどとは考えもしなかったのだ。しかも敵の総大将が目の前にいるのだから、何という運命の悪戯か。
ともあれボロヂノ子爵と敵対しているエミーリアに、全てを話すことは出来ない。また子爵が苦境にあると知っては、彼を助ける術も模索しなければならないだろう。
だからロホスはボロヂノ子爵との関係性を隠し、エミーリアに街へ向かう理由を簡潔に説明した。
つまり、チーズの販売をして現金収入を得ようとしていたことはそのまま話し、けれど孫娘のレーナが豪商リンデン氏と望まぬ結婚をしなくても済むよう、ボロヂノ子爵に仲裁を頼みたい――という部分を、「ボロヂノ子爵」という固有名詞から「有力者」に置き換えたのである。
また、ミーネについて問われたロホスは彼女が記憶を失った軍人、或いは軍属であろうと伝えたが、遭難していた場所については曖昧にした。
なにせ彼女を発見した位置と状況を考慮すれば、ミーネがフェルディナントの軍人であることは明白だ。したがって今、それを晒すことは出来なかった。
「なるほど、理由は分かった。だがリンデン氏との間に入るべき有力者に、伝手はあるのかな?」
話を聞き終えたエミーリアが、整った顎に指を当てて問う。首を傾げた拍子に、肩口で切りそろえたブルネットの髪が静かに揺れた。
「伝手は今んとこありませんが、まぁ、チーズを売ってりゃあ誰か見つかるでしょう」
「アハハ」と笑いながら、ロホスは話を切り上げようとした。けれどエミーリアは空気を読まない。良い事を思い付いた! とばかりに手を打ち鳴らす。
「そういう事なら、私が協力しよう。チーズも軍が買い上げる、どうだ?」
「あ、いや……何もそこまでして頂かなくても結構です。では、これで……」
冷や汗がタラリ。ロホスは頬をヒク付かせている。
チーズを軍に買って貰えれば有難い。しかし、これ以上話せばボロが出そうだった。
「まぁ、待ちなさい。どうせボロヂノ領で有力者を探さねばならんのなら、これも縁だ。それに、こう言っては何だが……私こそが現在のボロヂノ領において、最も力ある者だぞ。
レーナさんがリンデン氏との結婚を望まぬと言うのなら、同じ女性として協力するに吝かではない」
「まさか、そんな! 恐れ多いことでございます! エミーリア様が私らなんぞに、お力添えをして下さるなど……!」
「なに、私としても下心はあるのだ。ミネルヴァ殿も優秀な軍人と見受けたが、中々どうして――……あなたも、あなたのご子息も、良い動きをしておられた。元は軍人であったのであろう?」
「は、恥ずかしながら――……」
ロホスは背筋に冷たい汗が流れるのを感じて、目を伏せた。いよいよ正体を見破られたかと、肝が冷える。
しかしミーネはニッコリと微笑み、「そうみたいですわねー」などと言っていた。呑気にスカートの端をつまみ、ちょこんと頭を下げている。
「そういえばわたくし、貴族なのでしょうか? エミーリア様から見て、どうでしょう?」
――ばか、嬢ちゃん! そうじゃねぇだろ! こいつは敵かも知れねぇんだぞ! 誤魔化せよッ! 呑気にそんなこと、訊いてるんじゃねぇ!
声に出して言いたいが、出たのは鼻水だけであった。警鐘が心の中で鳴り響き、ロホスは歯軋りをしている。
「物腰を見る限りミネルヴァ殿は、かなり上等な教育を受けたのであろうな。何か身に着けていたものなどがあれば、見せて欲しい。身元を知る手掛かりになるだろう」
「申し訳ありません、エミーリア様。そうしたことをうっかり失念していまして――……全部ロホスさんの家に置いてきてしまいましたわ。わたくしったら、ドジですわね」
どうやら、ロホスの心配は杞憂だったらしい。なぜなら、ミーネが嘘を付いたからだ。
実際のところ彼女は衣服や武器を全て持ち、ここにいる。ボロヂノ子爵に見せ、そこから身元を辿るつもりだったのだから当然だ。しかしミーネは、その事実を隠したのである。
エミーリアも「それは、迂闊だな」と笑って応じ、追求することはなかった。それ程にミーネの受け答えは堂々として、嘘を付いているようには見えなかったのだ。
「ところでエミーリア様。さきほど仰っていた下心とは、一体どのようなものでしょう? それはわたくし達が、元は軍人であったことと関係があるのでしょうか?」
ミーネの質問を訊き、エミーリアは自身を警護する兵を遠ざけた。それからロホスとミーネ、スヴェンを手招し、声を落とすと囁くように言う。
「うん。なに、他でもない。あなた達には、私の為に働いて貰いたいのだ。そうすれば私がゼーフェリンク家とリンデン氏の話し合いを仲介をする筋も通るし、報奨金とて出してやれる。借金を返すにも良い手立てだと思えるのだが……どうかな?」
■■■■
ロホスは表情を引き攣らせたまま、頬を指で掻いた。
「エミーリア様は私らに、一体何をしろと仰るので?」
いきなり断っては角が立つ。ゆえに慎重を期し、ロホスはエミーリアの申し出を丁重に断るつもりであった。
「身内の恥を晒すようで情けないが、今、私は全軍を統率出来ているとは言えぬ。今日とて民に不逞を働く輩を始末する為に、東奔西走していた始末だしな。
そこでロホス殿とスヴェン殿にはボロヂノ領の市井に紛れ、我が兵士達の動向を監視して貰いたい。そしてミネルヴァ殿には、そうさな――……私の副官にでもなって貰おう。ちょうど先日、副官を失ったところなのだ」
ロホスは顎に手を当て、「有難い申し出ですが……」と前置きをした。
「――しかし、そういう任務には不慣れでしてね。私は傭兵隊にいた身ですし、諜報活動は門外漢でさぁ。息子のスヴェンも狙撃兵でしたから、どうにも」
申し訳なさそうに腰を折るロホスの横で、ミーネがニッコリと微笑んでいた。
「そういうことでしたら、わたくしだけでもエミーリア様のお傍へ参りましょう。それでレーナさんを助けて下さる、というのは虫が良過ぎるお話でしょうか?」
「いや。私としては、それだけでも十分に助かる。あなたの顔も兵達は知らんだろうから、市井に紛れることも十分に可能だろう。もちろんレーナさんとリンデン氏の間に入ることは、約束する」
「それでしたらわたくし、頑張ってみますわ!」
「ウフフ」と笑うミーネに、思わず「嬢ちゃぁぁぁああああああああん!」と激烈なツッコミを入れるロホスは、目が三センチほども飛び出していた。
「ま、まて、嬢ちゃん。エミーリア様の副官になったら、元の身分はどうするんでぇ!? アンタ、見たとこ十三、四歳だろう?」
「ロホスさん、ハッキリ仰って頂いて結構ですわ。わたくしが敵国に所属する軍人だったかも知れない――と、仰るのでしょう?」
ロホスは大きく仰け反り、「言っちゃった! 嬢ちゃん言っちゃった!」と目をひん剥いていた。
「いや、そうは言わねぇが! もしもの場合だ! ま、万が一そうだったとしたら、どうするつもりなんだよ!?」
ロホスが額の汗を腕で拭っている。
だがミーネは涼しい顔でエミーリアを見つめ、微笑んでいた。
「その時は、その時ですわ。ね、エミーリア様?」
「ああ、そうだな。それこそミネルヴァ殿は十三、四歳の少女だ。精々が幼年学校の生徒といったところだろう。ならば、たとえ敵対関係にある貴族であっても、悪いようにはせぬよ。いっそ記憶が戻った後でも、私の下にいればいいさ。ハハハ」
ミーネの肩をポンと叩き爽やかに笑うエミーリアは、完全に善意の人であった。
そもそもミーネを副官に迎えるといっても、こんな少女が役に立つとは思っていない。あくまでも先程の銃撃を見て興味を抱き、茶飲み友達に丁度良いと思った程度のことである。
それにエミーリアは、副官の人選に迫られていた。
だが以前は男の副官で失敗したから、今度は同性の副官が良いと考えていたのだ。要は形だけの副官で良かった。そんなところへミーネが現れたから、タイミングも良かったのである。
ミーネはミーネで、内なるサーチ&スコアリング機能が働き、エミーリアに好感を覚えている。離れがたいと思っていた。
だから今も微笑み、「まあ、お優しいですわね。まるで、お姉様ですわ」なんて呑気なことを言っているのだ。
困ったのはロホスであった。彼は固唾を飲み、ミーネを見つめている。全力の目力を発揮し、彼女に翻意を促していた。
――嬢ちゃん、それ絶対にダメェェェェェ! だって嬢ちゃんの着ていた軍服はァァァ、上級士官のモノだったからァァァァ! 幼年学校の生徒とか、そんなレベルじゃないからァァァァァ! 軍服見つかったら大変なことになるよォォォォォォォ!
が、ミーネはニッコリ微笑み首を傾げている。
「目、充血していますわよ。ロホスさん?」
――違うのォォォォォォオオオ!
ロホスが腰から砕け散る。
こうして話は纏まり、一行はボロヂノ子爵の居館へと向かうのであった。
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