80 善と悪のヴィルヘルミネ、真ん中は今どこへ?
騎兵が三人、荷馬車に近づいてきた。馭者台に座るロホスの前に並び、威圧的に言う。中央にいた男だ。
「おい、平民。積み荷はなんだ?」
彼は中尉の軍服を着ており、まだ若い。いかにも貴族士官といった風貌で、目には平民に対する蔑みの色を浮かべていた。
中尉の左右にいるのも若い士官で、同じく目には蔑みの色がある。彼等は弾を込めた馬上銃を構え、ニヤニヤと笑いながらロホスに銃口を向けていた。
ロホスは「気に入らねぇ」と内心で思いながらも、媚びた笑みを浮かべている。相手が目の前の三人であれば倒すことは造作も無いが、他にも仲間がいるようだ。全体の数を把握するまで、様子を見ようと考えていた。
「へぇ、チーズですよ、士官様」
「チーズか。美味いのか?」
「当然でさ」
「売りに行くのか?」
「へぇ。ボロヂノ閣下の城下街まで」
「ふむ。どこから来た?」
「南の方でさ」
「貴様だけでか?」
「いや、息子が荷台にいますがね……」
「なぜ、出てこない?」
「具合が悪いんでさ」
「……中を改めさせて貰うぞ」
「ああ、いや――……ちょっとお待ち下せぇ」
「なぜだ?」
「中には二人の孫娘もいますんでね、いきなり開けられちゃあ、ちょっと……」
「ほほう、孫娘が二人? では猶更、詳しく話を聞かねばならんなぁ」
士官の口元が、好色そうに歪んだ。それと同時に馬車を取り囲む人数が、三人から五人へと増えていく。最終的には十人の部隊となった。
「ところで、士官様は何処に所属しておられますので? 私は少しばかりボロヂノ子爵と懇意にさせて頂いている者ですが、ここは既に閣下のご領内でしょう。あまり無体な命令を下しているとは、思えねぇんですがね?」
ロホスが眼光も鋭く、若い中尉を睨み据える。土地の権力者と通じていることを匂わせ、暗に「退け」と言ったのだ。だが今は、それが逆効果であった。
「ほほう。すると貴様らは、あのデブ猫ジジイと通じている――という訳か。ハハハハハッ! ならば話を聞くまでも無い、ここで始末するのみだッ!」
中尉が笑いだし、ロホスは眉根を寄せた。ここはもうボロヂノ子爵の領内だ。そこで彼を愚弄するような言葉を発するのだから、正気の沙汰とは思えなかった。
――あるいは、何かあったのか?
ロホスは身構え、後ろに回した手で荷台へ向けてサインを送る。臨戦態勢を取れ――とスヴェンに伝えたのだ。
「よし、お前達ッ! さっさと荷台の中をあらためろッ!」
中尉の号令で、馬車を囲んでいた兵士達が動き出す。
「ど、どういうことですか!? 何をなさるッ! このようなご無体、子爵閣下が許されませんぞッ!」
「ヤツの許しなど、必要なものかよ、平民ッ! 今のボロヂノ領は、我ら北部ダランベル同盟のものだ。ボロヂノ子爵は我等に抵抗した咎により、地下牢へ入れられておるわッ!」
「嘘だッ!」
「嘘ではない。だから、そんな男と通じているお前達も、当然ながら無事に帰すという訳にはいかぬ。積み荷は没収、男は殺し、女は奴隷に落とすッ! さあ、やれッ!」
若い中尉の命令と共に、三人の部下達が荷馬車の後ろへ群がった。
■■■■
馬車の中ではスヴェンが後ろへ向かい、銃を構えている。けれど奥歯はガチガチと鳴って噛み合わず、手が震えるせいで狙いもブレブレだ。
「怖い、怖い……チクショウ、怖い……」
ミーネは幌の隙間から周囲を観察して、敵兵の数と配置を掴んでいる。何故か銃を手にしたことにより、やたらと思考が冴えていた。
「ふん。スヴェンよ、一体何を恐れておるのじゃ?」
ミーネの口調が変わっている。スヴェンとレーナが目を見張り、紅玉の瞳を爛々と輝かせる少女に顔を向けた。
「は? そんなの、死ぬことに決まってるだろう?」
「死とは、一体なんじゃ?」
「もう、生きちゃいないってことだろう――……嬢ちゃん、何だって今、そんなことを言う?」
「スヴェン、お前は今ほどみじめなままで、それでもなお生にしがみ付くと言うのか?」
「いや……死んでもいい。いっそ、死にてぇよ」
「お父さんッ!」
「ならば死とは、いっそ救いではないか。このまま奴等に殺されるのも、一興じゃの」
「いや、ダメだ。そうなったら、レーナが奴隷にされちまうだろう。嬢ちゃんもだ……」
「何を言う。どうせ貴様はレーナを売り、金に換えようとしていたのだ。今更そんな偽善を――……」
「偽善じゃねぇ! 俺はレーナを幸せにしてやろうと願って、だからリンデンさんの嫁に――……守りたい、守りたいんだよ! 家族を! レーナを! テオをッ!」
「ならば、死んでもともと。今こそレーナの為に、戦えばよいだけであろう。何を恐れるのじゃ?」
「ああ、ああ、そうだ。嬢ちゃんの言う通りだ。俺は一体、何を恐れてたんだ……怖くねぇ。こんなのは、何にも怖くねぇよ。怖いのは――……何も守れないこと……」
ミーネの言葉に、スヴェンの震えがピタリと止まる。
「ミーネもお父さんも、訳の分からないこと言ってないで! あいつら、こっちに来るわッ!」
「死とは罪深き神の審判であり、愛すべき悪魔の恩恵じゃて。ゆえに最悪ではなく、熟れたる果実のようなもの。されど余に従えば、スヴェン、貴様にも一縷の望み、くれてやろうぞ」
「何だって嬢ちゃんに、俺が――……」
「腐り果てた貴様にも、使い道はある、ということじゃ」
「……本当か?」
「嘘などつかぬ。差し当たって今は、余が撃ったら続けて撃て。必ず一撃で敵を仕留めよ。脅しなど要らぬぞ――フフ、フハハ、用兵は奇をもって良しとす――じゃ」
邪悪な笑みを浮かべるミーネの横顔は、蠱惑的な美しさを持っていた。これぞ悪意に振り切ったヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの姿なのだが、そうと知る者は誰もいない。
元来から戦争ごっこが好きな彼女が善意や道徳、倫理といったリミッターを外すと、必然的に戦いを楽しむようになってしまうのであった。
加えてウ〇コ事件で得た「万人は平等」という知見により、死を均一化している。これはもう、ヴィルヘルミネ・オ〇タとでも言うべき存在であろう。
次の瞬間、幌が捲られた。敵の兵士と目が合い、ミーネが口の端を極端に吊り上げる。いつもの三日月を横にしたような笑いだ。
「グーテンモルゲン(おはよう)」
荷台を開けたらいきなり銃口を向けて挨拶をする赤毛の少女を目にして、三人の兵士がポカンと口を開けている。
ミーネはくつくつと忍び笑いを漏らし、「早速じゃが、グーテナハト(おやすみ)――……永遠に」と言い、躊躇わずに引き金を引いた。
ヴィルヘルミネはもとより砲兵だ。敵を狙い、撃つということに関してはプロである。それも至近距離であれば、額を撃ち抜くなど造作も無い。
「スヴェン、撃て。余の名の下に! されば貴様の罪を、余が許す!」
ポンコツ親父ことスヴェンは、ヴィルヘルミネの命令が何だか腑に落ちた。神が人に審判を下す時、こうした口調になるのではないかと、そんな気さえする。或いは妖艶な悪魔であろうか。
――そうだ、許しだ。神でも悪魔でもいい、俺は誰かに許して欲しかった。それを、この嬢ちゃんは見抜いていたんだ。だったら彼女がたとえ何であれ、俺はもう迷わないッ!
スヴェンの心に勇気の炎が灯り、構えた銃の引き金を引く。今こそレーナを守る為、戦おうと誓っていた。
パンッ!
乾いた音が響き、正面にいたもう一人の兵を撃ち抜いた。
残りの一人は慌てて背を向け、逃げ出した。
「よいか、人とは予想外のことに直面するや、算を乱す。どちらが有利で不利かの計算も、出来ぬようになるのじゃ」
ミーネは言いながらも新たな弾を込め、馬車の外へ出る。スヴェンも僅かに遅れて彼女の後ろへ付いていき、共に御者台の方へと回った。
「何事だッ!?」
喚く馬上の指揮官を下から見上げ、ヴィルヘルミネが笑う。
「ヴィー ゲート イーネン(ご機嫌いかが)?」
「な、なんだ貴様はッ! 村娘風情がッ!」
敵の指揮官に銃口を向け、ヴィルヘルミネは口を端を吊り上げた。
「中尉殿ッ!」
指揮官を守らんと、彼の周りにいた二人の少尉が銃口をヴィルヘルミネへ向ける。だが一人をスヴェンが銃で撃ち抜き、もう一人をロホスが懐に忍ばせた短剣で仕留めた。
そうしてミーネは悠々と引き金を引き、盗賊に落ちた北部ダランベル同盟の中尉を討ち取ったのである。
残りの敵は茫然とヴィルヘルミネを見つめ、判断に迷っている。
「さて、下衆ども。並べ――余が順に殺してやろうぞ」
悪魔めいた微笑を浮かべ、傲然と言い放つ赤毛の令嬢。その姿に怖れを為した賊兵は、我先にと逃げ出した。全てはヴィルヘルミネの計算通りである。
そこへ白馬に跨る女士官が現れて、逃げ散ろうとした兵達を悉く捕まえてしまう。それから彼女はヴィルヘルミネの前へ馬を寄せ、下馬して丁重に頭を下げるのだった。
「私は北部ダランベル同盟軍、エミーリア=フォン=ザルツァです。不手際から、このような事態を招き、申し訳ありませんでした。
……それにしても、お嬢さん。あなたの銃の腕前は実に見事だ。惚れ惚れしました」
「え、あ……わたくしの方こそ、あなたに惚れて九十三点……ではなくて」
「九十三点?」
「いえ、その、無我夢中で。それに謝罪の言葉なら、こちらのロホスさんに申し上げて下さい。わたくしはただの、その、同行人に過ぎませんので」
両手を前に突き出し首を左右に振るミーネの姿に、エミーリアは僅かの違和感を覚えた。どうも先程とは、雰囲気がまるで違う。
もちろんミーネに対して、そうした印象を抱いたのは何も彼女だけではない。この場にいる誰もがミネルヴァことヴィルヘルミネの変化に、戸惑いを覚えている。
荷台から恐る恐る降りてきたレーナは特に、ヴィルヘルミネの足元に転がる銃を見つめ、何事かを思うのであった。
お読み頂きありがとうございます!
面白いと思ったら感想、評価、ブクマなどを頂けると励みになります!




