79 ボロヂノ領にて
ゼーフェリンク家を出て四日目。一行はボロヂノ領へ入り、街へと至る街道を進んでいた。
家族の苦悩などどこ吹く風と、ミーネは荷馬車に揺られ、のんびり旅を楽しんでいる。案外タフな赤毛の少女に、むしろレーナの方が顔色を青くし、驚いていた。
「ミーネ、馬車は平気なの? 昨日、今日と熱も出ていないみたいだから、具合も大分良くなったみたいだけど……」
「馬車は――……そうですわね、あまり苦になりませんわ。それに気分も、レーナのお陰で大分よくなりました。ありがとうございます」
何しろミネルヴァことヴィルヘルミネは貴族生まれの軍隊育ち、強そうなヤツらは大体友達、である。本人も筋力こそ無いが、何だかんだでタフだった。
対してレーナは長旅と言えば実家とグランヴィルの往復くらいで、それすらヒィヒィ言っていた。いくら勝気な少女とはいえ、根本が医師志望のインテリだ。軍事の天才とまで云われるヴィルヘルミネと比べれば、肉食獣と草食獣ほどの差があるのだろう。
レーナよりも更にだらしないのが、一家の家長たるスヴェンであった。
彼は数日間酒を飲んでいないから、体調こそ良くなっている。けれど「太陽が怖い」などと訳の分からないことを言い、荷台の隅で蹲っていた。プルプルのお父さんである。
「……ああ、もう、お父さん、大丈夫?」
「ダメだ。酒、酒をくれェ……レーナ、死んじまうよぅ」
「死ななわいわよ。ほら――……お薬。これを飲んで我慢して」
「我慢ってお前、俺から酒を取ったら、干からびちまう」
「情けない事言わないで、ねぇ。昔の強いお父さんに戻ってよ……」
溜息交じりに言うレーナの言葉を聞き、スヴェンは髪を掻きむしっていた。
「俺だって、好きでこうなったわけじゃねぇんだ、チクショウ」
「分かってるわよ、分かってる……」
「クソ……――すまねぇ……レーナ。本当に、そう思ってるんだぜ……俺だって、戻りてぇんだ」
そんな時だ、馬車が急に止まったのは。
馭者台に座るロホスが、囁くように言った。
「どうも軍隊崩れの賊らしい。相手は二、いや……目の前に出てきたのは三人だ。恐らく、物陰にも潜んでいるだろう。合わせりゃ十人ってとこだな。
いいか、スヴェン――……テメェも元軍人なら、腹を括って銃に弾ァ込めとけ。親友を助けてやれなかったってのが心の枷なら、今こそ克服しろ。何があっても娘たち二人、守ってやれよ」
今まで蹲っていたスヴェンは奥歯を噛み締め、荷台の隅にある銃へ手を掛けた。手早く弾を込めると、静かに幌の一部を持ち上げ外を見る。
ミーネはじっと彼を見つめ、それからもう一丁の銃を手に取った。
「お、おい、嬢ちゃん――……下がってろ、あ、危ねぇだろ?」
目の下に隈を作ったスヴェンが慌てて首を振り、ミーネの行動を止めようとした。
「いいえ、わたくしも軍人だったはず。それに銃の扱い方なら、熟知している――気がしますわ」
スヴェンに反論しつつ、手慣れた動作でミーネは銃に弾を込める。不思議と銃は彼女の手に馴染み、嗅ぎ馴れた火薬の匂いに口元が綻ぶのだった。
■■■■
ダランベル会戦が終わって四日後の三月八日、エミーリアは朝からボロヂノ領内を西へ東へ、三百の騎兵を率い駆け回っていた。方々で略奪をする兵や諸侯に懲罰を下す為である。
先の戦いでエミーリアは、リヒベルグ率いるフェルディナント軍に痛撃を与えた。
お陰で勝報を聞きつけた諸侯が幾人か帰参し、北部ダランベル同盟軍の総兵力は一万二千にまで回復した。しかし一方で有力貴族の帰参により、統制が著しく緩んでしまったのである。
何しろ帰参した貴族達はエミーリアの手柄に負けじと、ボロヂノ領の周辺を荒らしまわった。彼等は盗賊まがいの行為を働き、それをフェルディナント軍に対する勝利と報じるのだからタチが悪い。
当然ながら軍規では、住民に対して不当な行いを禁じている。だが北部ダランベル同盟の諸侯に、そんな規則を守る気など無かった。
「いやはや、決戦に備えて意気上がるのは良いことではないか、エミーリア殿」
「兵が増えれば物資も必要であろう。ここは大目に見るべきではないか?」
「うむ。ここで彼等を罰しては、それこそ士気に関わる。まあ、穏便に」
軍議の席でこんなことを言われ、黙っていられるエミーリアでは無かった。
「馬鹿を言うな、諸卿! 補給線は確保してある! そもそも、ここはダランベルの地! 損害を与えた所でフェルディナントに対する勝利ではなく、自らの手足を食い千切っているだけだと気付かれぬのかッ!?」
「そう仰るがエミーリア殿、今やボロヂノ領はフェルディナントの属国も同然であろう? ならば、そこから物資を奪うことは、当然の勝利ではないか?」
「何だとッ!? ――……ともかく司令官オットー=フォン=ボートガンプ亡き今、全ては副司令官たる私の命に従って頂く。諸卿は略奪に出している部隊を、速やかに撤収されよ。さもなくば私自らが出向き、彼等を処断することとなる。よろしいなッ!?」
そんなわけでエミーリアは有言を実行し、盗賊まがいの兵を処断して回っている最中なのであった。
「くそっ、くそっ! あんな馬鹿どもの帰参など、認めなければ良かったッ!」
舌打ちを繰り返しながら馬首を翻すエミーリアの背後には、小さな村を襲った十人ばかりの兵が倒れている。彼等は住民に危害を加えた咎により、軍法に照らして銃殺刑に処したのだった。
――どうして私は、こんなことをしているのだろうな。
次の集落へ向かうべく馬を歩ませながら、エミーリアは肩を落としている。本当なら今頃はフェルディナントをプロイシェと挟撃し、公都バルトラインを攻略している頃では無かったか。
そんなことを考えつつ、彼女は首を左右に振った。
――いや。そうなったとして、我等に何の利益があった? 私とて、名誉欲に取りつかれていただけではないか。その挙句がプロイシェに良いように使われ、この有様だ。だというのに諸侯連中は、まだそんな事実にも気付かないとは……何と愚かな。
エミーリアの気持ちが、ささくれ立っていく。誰にも理解されず、勝利を収めてすら軍を掌握できない。何の為に責任を果たし、誰の為に戦おうとしているのか――そうしたものが、靄に包まれたかの如くに霞んでいった。
パン、パン!
そんな時だ、二発の銃声が立て続けに響いた。距離は近い、街道沿いだ。馬を飛ばせば数十秒で着くだろう。
「急げ! これ以上、我が方の兵に民を殺させてはならんッ!」
エミーリアは迷うことなく馬腹を蹴り、銃声が聞こえた場所へと急ぐのだった。
お読み頂きありがとうございます!
面白いと思ったら感想、評価、ブクマなどを頂けると励みになります!




