78 ミネルヴァの中のヴィルヘルミネ
翌日は早朝から古びた荷馬車に、一家総出でチーズを積み込んだ。ボロヂノ領へ向かう為だ。
もちろん積み込みはミーネも手伝い、白い息を吐いている。夜も明けきらぬ早朝のこと。春とはいえ、まだまだ寒かった。
ミーネは服をレーナから借りている。近衛連隊の華美な軍服では作業に不向き、との理由からだ。
そんな訳で今のミーネはペティコートの上に若草色のジャケットを羽織り、その上に分厚い毛糸のストールを掛けている。スカートも上着と同色で、いかにも村娘といった格好だ。
それにしても、チーズを満載した木箱は重い。ミーネはレーナと一緒に二人掛かりで運んだが、それでも息が切れてしまった。
軍人としての鍛錬をサボっていたせいか、ミーネに大した筋力は無い。なので重労働は堪えるのだ。「ハァハァゼェゼェ」と荒い息遣いで仕事を終えると、一人荷台へ潜り込み、彼女はぐったりとしている。そのまま、意識を失ってしまった。
――このまま出発の時間まで、休ませて頂きま……しょ――……。
太陽が東の空から顔を覗かせた頃、出発の準備が整った。
「それじゃあ、行ってくる」
馭者台のロホスが見送りに立つ家族に声を掛け、馬に鞭を入れようとした。隣に座る息子のスヴェンに、馬車を任せる気は無いらしい。
ロホスとしては、ともかく明るいうちに宿へ着きたかった。遅くなれば、その分だけ盗賊に出くわす可能性だって高くなるからだ。
しかし荷台の幌を捲り、馭者台に顔を出したレーナが慌てて言う。
「待って、おじいちゃん。ミーネの顔色が悪いわ、意識も無いッ! ちょっと薬を取ってくるッ!」
レーナは急いで馬車を降りると、小屋へ入りすぐに戻ってきた。再び荷台へ入ると、ミーネに薬を飲ませて、それから脈を測る。無駄のない動きは、一人前の医者のようであった。
「大丈夫、ミーネ?」
「さ、寒い――余は、死ぬのか?」
「ミーネ? ミネルヴァ? 余ってなによ?」
「ヘルムート、ラインハルト……エルウィン、トリスタン――……が……公式カ……プ」
「なに? 公式カプって何なの!?」
意味不明な言葉も口走るミーネに、レーナは表情を曇らせた。額の汗を拭いてやりつつ、「ミーネ、ミーネ!」と必至で声を掛ける。
意識が朦朧としているのか、ミーネは目を瞑ったまま「推し、カプが……違えば……戦争じゃああ……」などと言っていた。
「しっかりして、ミーネ! ここは平和よ! あなたは大丈夫! 戦争にだって行かないわ!」
寒さに震えるミーネを抱きしめながら、レーナは叫んでいた。もしかしたら彼女も、父のように戦争で癒えない傷を負っているのかも――と思ったからだ。
「――え、あ? 大丈夫ですわ。慣れないことをしたものですから、少し疲れてしまっただけですの」
十数秒後に薄っすらと目を開けたミーネが、弱々しく微笑んだ。
「どこか、苦しいところはない?」
「この服、少し胸が苦しいですわ」
「ミーネ、そういう意味じゃないのよ、そういう意味じゃ。もう一度訊くわね、身体でどこか、苦しいところは無い?」
「ええ、ですから胸が締め付けられて、苦しいのですわ」
「よーし、ミーネ。三回殺す」
ニッコリ微笑むレーナが恐ろしくて、ミーネの顔は引き攣った。
「え……?」
「冗談よ、冗談。それよりあなた、少し熱があるわ。ボロヂノ領へ行くのは止めなさい」
「それは――……ダメですの。わたくし、これ以上皆様にご迷惑を掛けるわけにはいきませんし、お礼をする為にも、身元が分からなければ……」
「お礼なんて、いいのよ。お金のことなら心配しないで。おじいちゃんが何とかするって言ってるんだし、なんとかなるわ」
「でも、ボロヂノ領へは何だかわたくし――……行かなければならない気がいたしますの」
真剣なまなざしで訴えるミーネの姿に、レーナは溜息を吐いて折れた。
「仕方が無いわね、だったら――……ねえ、おじいちゃん! やっぱり、あたしも付いていく! ミーネが心配だし、それにリンデンさんから頂いたお話を断るのなら、あたしもいた方がいいでしょ!?」
孫娘の申し出に、馭者台のロホスは肩を竦めて息子を見る。
スヴェンはバツが悪そうに舌打ちをして、顔を背けるのだった。
■■■■
無言で御者台を降りようとしたスヴェンが、ロホスに腕を掴まれ止められていた。
「何だよ、親父。レーナが行くなら、俺が行く必要ねぇだろう?」
「何言ってんだ、スヴェン。元はと言えば、テメェが撒いた種だろうがよ」
「いや、でもな……」
スヴェンとしては、これから自分が吊るし上げられるのだと思うと、どうにも気分が悪い。ましてや荷馬車には酒を積んでおらず、それも心を曇らせる原因であった。
「でも、なんだよ、テメェ」
「いや、俺まで出たら、家に男が一人もいなくなるだろう?」
「テオがいるじゃねぇか」
「テオは、まだ十歳だ」
「十歳でも、貴様の何倍も役に立つ。少なくとも放牧は出来るし、粉ひきも覚えたからな」
「お、俺には指が足りねぇから――……それは仕方ないだろう」
「だったらテメェなんぞ、家にいてもいなくても変わらねぇってことじゃねぇか。だいたい何だ、レーナが来るから自分は行かないだと? ふざけんのは顔だけにしやがれッ!」
ロホスが軽くスヴェンの顔を殴り、眉根を寄せる。
「殴るこたぁねぇだろうが、親父ッ!」
「黙れ。テメェのやろうとしたことを、思い出しやがれ。親が娘を売るなんざ、あっちゃあいけねぇことなんだよ。いいか、俺がガキの頃はな――……いや、いい。とにかく、その落とし前を、俺が付けてやろうってんだ。せめて最後まで、見届けやがれッ!」
ロホスがジロリとスヴェンを睨む。
「落とし前だ何だと言うなら、俺にも言い分はあるぜ――親父」
「何だよ?」
「俺はな、親父、お袋にもだが、生んでくれなんて一言も頼んじゃいねぇ。でもアンタらは、俺を生んだ。つまり俺がいなきゃ、今回みたいなこたぁ起こりようも無かったんだ。なぁ、分かるか、親父。全ての原因を辿れば、アンタとお袋なんだよ」
「おい、スヴェン。俺はともかく、お前はキャリーナ――……母さんまで侮辱するのか?」
「侮辱? 違う、事実だろうがよ。俺だってな、生まれなければ指を失うことも無かったッ! 親友が目の前で死んでいく様を見る事だって、無かったんだ! ――……助けられなかった、俺は――……俺が、逃げたから……」
血走った目でロホスを睨み、スヴェンは下唇を噛んでいる。
「なぁ、スヴェン。お前、いい加減に自分の弱さを許してやれよ。このままじゃ、お前、マクダはどうなる? せっかく嫁に来てくれたってのによ。子供達はどうするんだ。レーナは? テオは?」
「マクダには、済まねぇと思っている。レーナとテオも――……こんな貧乏暮らしの家に生まれるより、貴族の家に生まれたかったろうなぁ。はは……俺なんかが親で、済まねぇなぁ……ははは」
「テメェ、謝りゃ済むってモンじゃねぇぞ! 少しは二人の気持ちを考えてからモノを言いやがれッ!」
「考えたから、こう言ったんだろう! とにかく、もともとアンタが俺を作らなきゃあ良かったって話なんだよ、これはッ!」
「――……ああ、そうかい、分かったよ。お前が救いがたい馬鹿野郎だってことがな。そういうことなら確かに、全てはお前なんぞを作っちまった俺の責任ってことだ。だったらこりゃあもう、壊さなきゃあならねぇよな――……このクソ野郎を」
明確な殺意を込めて、ロホスが言う。
「やれよ。得意なんだろ、人殺しが……」
スヴェンも退かない。馭者台の端をバンと叩き、父の睨み据えていた。
「止めてよ! お父さんも、おじいちゃんも! お父さんが戦争で大変な目に遭ったのは、みんな知ってる! だから何も言わないんじゃない! それにあたしは、感謝してるのよ! 生んでくれてありがとうって! お父さんだって、居てくれてありがとうって思っているのに……!」
耐えきれなくなったレーナが荷台から馭者台の方へ顔を出し、泣きながら叫ぶ。初めてスヴェンが頭を下げ、「すまん、レーナ」と謝罪をした。
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