77 ロホスの追憶 4
帝歴一七六四年の当時、暁大隊はキーエフ帝国側で戦っていた。敵は北方で勢力を拡大したエーランド王国で、獅子王と呼ばれるグスタフが率いる七万の軍勢だ。
グスタフ王は生涯で三十二回も戦い、敗れたのは三度だけ。その三度も相手は全てヴァレンシュタインであり、それ以外の相手には全て勝利を収めている。つまりグスタフ王こそが、当時随一の名将であった。
一方キーエフ側は、時の皇帝が直率している。彼とて無能という訳ではなく、十分に準備を整え、十万の兵力でグスタフを迎撃したのだ。
普通に考えれば、兵力に勝り地の利がある帝国側が有利であった。
それにグスタフがいかに北方で名を為そうとも、所詮は田舎者。世界に冠たるキーエフ帝国に勝てるとは、到底思えない。だから暁大隊は帝国側に付き、戦うことにしたのだが……。
この一週間ほど帝国とエーランドは小競り合いを繰り返し、局地戦では全くの互角であった。であれば総兵力で勝る帝国が、決定打となり得る総攻撃を仕掛ける他ない。
そうして帝国は先鋒部隊に前進を命じ、もって総攻撃へ移行するよう命令を発したのである。
■■■■
キーエフ側が総攻撃を始めると、エーランド軍は脆くも崩れるように後退を繰り返した。
「いけ! 一気に決着を付けるぞッ!」
キーエフの先鋒部隊司令官が、声を嗄らして叫んでいる。前進を告げる勇壮な太鼓の音が戦場に響き、歩調を合わせた歩兵が整然と進む。
コンドルセは違和感を覚えつつも、上級指揮官の命令には逆らえない。部隊に前進を命じ、状況を冷静に分析しつつ戦っていた。
「――不味いな、味方が突出しすぎているニャ」
「どうしました、丸猫」
「猫言うな! いいか、これが敵の罠だとしたら――……」
コンドルセが不安を口にした瞬間だ、突出した味方の斜め前、左右から激しい砲撃が始まった。十字砲火地点へ誘い込まれたのだ。
皇帝軍の前衛部隊は僅かの間だけ立ち往生をし、瞬く間に崩れた。我先にと兵が後退し、将棋倒しさえ起こす始末。
前衛部隊は、その殆どが混成の傭兵部隊であった。つまり彼等が国家に忠誠を尽くす筈も無く、負け戦となれば、踏み止まることは難しいのだ。
前衛部隊を率いていたのは、皇帝の甥であった。帝位継承権は第三位で、圏内である。だからこそ、このような場所で失敗する訳にはいかなかった。
彼は「退くな!」と必至で叫んだが、潰走する味方は止まらない。結局は副官であった後のグロースクロイツ大公が僅かの部隊を統率し、皇帝の甥御を守って本営へ引き上げたのである。
司令部がそんな有様では前衛部隊の右翼、その中でも微妙な位置にあった暁大隊など見捨てられたも同然だ。
「不味いぞ。前はグスタフの大軍、後ろは渋滞を起こした味方でいっぱいだ。ここで敵を食い止めなければ、逃げることもままならん」
コンドルセは陰り掛けた正午の空を見上げ、溜息を吐いた。銃弾や砲弾が飛び交う中、彼の心は異様な程に冷静だ。傭兵になったときから、いつも心の中には死があった。
――ついに私の悪運も尽きたか。まぁ、皆と共に死ぬのも悪くは無い。
そう思ったところで頭を振り、思い直す。
――いかん、いかん。私は死んでも構わんが、しかし家族がいる者だけでも帰してやらなければ。
コンドルセはロホスを呼び、手短に作戦を説明した。少数を犠牲にして多数が生き残る作戦だ。
人の命とは、等価ではない。少なくとも今現在で最も軽んずるべき命とは、自分自身の命であるとコンドルセは思う。
「こうなっては止むを得ん。ロホス、私が殿軍として残る。お前は残存部隊を率い、撤退しろ」
「は? 馬鹿なことを言わないで下せぇ、隊長。あんた、男爵家の跡を継がなきゃならんのでしょう? それに生き残った仲間だって、養わなきゃならねぇ。てこたぁですよ、ここは俺が殿軍ってことでさぁ」
砂塵に塗れた顔に笑みを浮かべ、ロホスは言った。心の中で妻のキャリーナに、「すまねぇ」と一言詫びて。
「馬鹿野郎! 馬鹿なことを言ってないで、早くいけ!」
コンドルセが大声を張り上げた。
「だから、退くのはアンタだ! 五十も俺に貸してくれたら、きっと殿軍を立派に果たして見せますよッ!」
「黙れ、ロホス! 私の言う事をきけ! 貴様には妻と息子がいるんだ! こんなところで、死んでどうするッ!?」
「うるせぇな、そっちこそ黙れッ! 俺はアンタに惚れて付いてきたんだッ! そのアンタを、こんなとろで死なせてたまるか、この丸猫野郎がッ!」
ロホスの拳骨一閃――コンドルセは丸い身体を吹き飛ばされて気を失い、部下に背負われ退却した。
そうして残ったロホスは先任曹長として五十人ほどの決死隊を率い、殿軍を務め上げたのである。
■■■■
敗戦の後コンドルセは、きっちり百名の部下を連れてボロヂノ領へと入った。その時、先の戦いにおける彼の功績を評価し、キーエフ皇帝は彼を子爵へと昇爵させている。
単に敗戦を口外するな――という意味かも知れない。だが何であれ、お陰で領地が少しだけ広がり、コンドルセは傭兵になった本懐を遂げた。
一方ロホスも生還したが、その旨をボロヂノ子爵となったコンドルセには知らせていない。
彼が自分の生存を知れば、何かしら報いようとするだろう。そうなれば、新たに生まれたボロヂノ家の秩序を壊すのではないか――と思ったのだ。
実際、それから十五年程してロホスの生存を知ったボロヂノは、彼を家令としてボロヂノ家へ迎えたいとの意向を示している。
だがこの時、ロホスの故郷は新たな領主を迎えていた。ただでさえ息子たちを兵隊として差し出していたから、別の領主の下へ行く訳にもいかなかったのだ。
そうしてロホスは丁重に断りの手紙を出し、十年が経つ。けれど返事には「何かあれば、力になる」とあったから、それを頼りにボロヂノ子爵へ会おうと決めたのであった。全ては、家族の為に……。
■■■■
粉ひきを終えたテオとロホスは麻袋に入れた小麦粉を担ぎ、一家が暮らす小屋へ戻った。向かった先は台所も兼ねる張り出した場所で、そこには根菜類や干し肉、干し魚などが天井からぶら下げてある。
その隅に小麦粉の入った袋を置くと、ロホスは言った。
「二週間分だ――……まあ、足りるだろう」
「二週間分なんて、多いわねぇ?」
答えたのは妻のキャリーナだ。彼女は丁度、ミーネにパンの捏ね方を教えている所だった。
「ああ。リンデンさんとの話を付ける為に、コンドルセ様の力を借りようと思ってな。ボロヂノ子爵領へ行ってくる。ついでに冬の間に作ったチーズも売って、金も作らんとなぁ。そんなところで、まぁ、ざっと二週間ってところだ」
「ボロヂノ子爵のところへ……そうね、そうするしか無いわね」
その時、ずっとパン生地をコネコネしていたミーネが、不意に動きを止めた。
「……ボロヂノ?」
首を傾げながら、ミーネが額の汗を拭う。顔に小麦粉が付いてしまった。
「なんだ、嬢ちゃん。子爵を知っているのかい?」
「ええ、ロホスさん。わたくし――……その方を知っている気がしますわ」
真剣なまなざしで頷くミーネだったが、おでこと鼻の頭が小麦粉で白くなっている。だからテオが「プッ」と吹き出してしまった。
「ミーネ! 顔に小麦粉が付いてるよッ!」
「……? あら、あら。わたくしったら、パンを作るのなんて初めてですから、恥ずかしいですわね」
「ていうか、何だって貴族の嬢ちゃんがパン作りなんかしてるんだい? キャリーナ、お前、まさか虐めてるんじゃあねぇだろうな?」
ロホスが眉根を寄せた。
キャリーナの代わりに、レーナが答える。
「まさか、おばあちゃんは止めたわよ。もちろん、あたしだってね! だって、まだ体調だって万全じゃないだろうし。でもミーネったら、せめてお手伝いさせて欲しいって言って聞かないんだもの。仕方ないじゃない」
「ごめんなさいね、レーナ。でも、ただ寝ているだけというのも申し訳なくて……」
「ううん、いいのよ。それにミーネ、あなた、案外パン作りが上手だもの。器用なのね!」
申し訳なさそうに頭を下げるミーネに、レーナが笑って見せる。
ロホスはそうしたやり取りを見つめ、暫し考えてから言った。
「そういうことか。ああ、そうだ、ミーネ。お前さんがボロヂノ子爵と知り合いってんなら、どうだ――……一緒にボロヂノ領へ行くか? 身元が分かるかも知れねぇぞ?」
「え、よろしいのですか?」
「ああ、構わねぇよ。このまま、ここで暮らしていてもよ、いつ記憶が戻るか分からねぇもんな。いや、アンタがここで暮らしてぇなら、俺は構わねぇよ。家族が増えるってぇなら、大歓迎さ」
「そう仰って頂けると、気持ちが楽になります。けれどわたくし自身、わたくしが何者なのか気になりますわ。ですからロホスさん、ぜひ、ボロヂノ領へ連れて行って下さいまし」
「おう、じゃ、決まりだな」
話がトントン拍子で決まる中、テオは不満そうに顔を背けている。これからミーネと色んなことをして遊ぼうと思っていた矢先に、彼女が出て行ってしまうのだ。
自分が見つけた大切な宝物を、祖父に取られてしまうような気持のテオなのであった。
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