73 テオとじいちゃん
一晩眠り朝食をご馳走になると、ミーネはすっかり元気になった。記憶が全く戻らないのには困ったが、あったところで大した役にも立たない記憶だから、さしたる問題も起きていない。
それどころかヴィルヘルミネ的な負の部分が消えてしまったせいで、まったくの善良なお嬢様になった。お陰で、むしろ対人関係はいつもより円滑な程である。
けれど赤毛の少女が記憶を失っていることに一家の長であるスヴェンは苛立っていたし、彼の苛立ちは家族間の亀裂を明確にした。
祖父のロホスが息子を勘当しなかったのは、彼もまた兵士として戦場へ出た経験があるからだ。
ロホスの戦友とて、何人も死んでいる。手足を失った者も多く見たし、そうした者が心に抱えた闇は、晴らそうとして晴れるものではない。
ロホスが苦々しく思うのは、息子の心に生じた穴に巣食う闇を、それと知っていながら払ってやれないこと。そして、その闇が孫娘の未来まで破壊するかも知れない――という負の連鎖である。
――元を正せば、俺がこの土地へ帰ってきたせいじゃねぇか。ここにいたからスヴェンだって、ロクでもねぇ領主に狩りだされて戦争へ行き、指を失っちまったんだ。ちくしょう。
ロホスは息子の苦悩を、自らの選択による責任だと考えていた。そうでなければ、働かずに酒ばかり飲んでいる時点で、息子であろうとも追い出している。
そうした想いを再確認しつつ、食事を終えたロホスは苦虫を噛み潰したような気持で、水車小屋へと向かうのだった。
■■■■
水車小屋では先に来ていたテオが石臼の調整を終え、誇らしげに胸を反らしている。仕事なら出来るぞ、一人前だ! と言わんばかりの表情だ。
ロホスは大きく頷きテオの頭を一撫ですると、手早く水車と石臼を連動させる。小屋の中にゴーッと石臼の回る音が響き始め、小麦が見る間に粉へと変わっていく。
こうした作業をゼーフェリンク家では男が週に一度か二度おこない、出来上がった小麦で女たちがパンを焼く、というのが習慣であった。
「ねぇ、おじいちゃん。どうしてお父さんをカンドーしなかったの?」
石臼の音に負けない大声で、テオがロホスに問うた。昨日から今朝に掛けての父の行動が、納得できなかったからだ。
「ああ……まぁなぁ。じいちゃんが父ちゃんを勘当したところで、問題が解決する訳じゃあねぇだろう」
「でも姉さんを売るなんて、父さんはあんまりだ! 姉さんだって嫌がってたじゃないか!」
「そうだな。だから、じいちゃんが解決してやろうと思ってる」
「それじゃ、おじいちゃんは父さんを許すの? でも父さんは、悪いことをやったんだ。罰が必要でしょう!? オイラは、カンドーした方がいいと思うな!」
テオはプンプンしながら小屋の中を歩きまわり、そこかしこを殴っている。
「――……なぁ、テオ。父ちゃんは――スヴェンは病気なんだよ」
「え? 手を怪我しているだけじゃないの?」
八つ当たりをやめて、テオが振り返った。
「ん、ああ……手の怪我が元で、ココが病気になっちまったのさ」
自分の胸を親指で指し示し、ロホスがテオに言って聞かせた。
「心?」
「ああ、心さ。テオは病人を罰するのかい?」
ロホスの問いかけに、テオは首を傾げて考えた。心の病気と言われても、よく意味が分からない。
「病気っていうか――父さんは、お酒を飲んだから、おかしくなったんじゃあないの? お酒を飲むと世の中が歪んで見えるって、お母さんが言ってたよ」
「ああ、そいつァ間違っちゃいねぇ。でもな、テオ。酒はあいつにとって、薬なんだよ。世の中をぐにゃりと歪ませて見なきゃ、生きちゃあいられねぇって連中も多いんだ……特に戦争で、酷い目にあったヤツはな……」
「でも、だからってさ、家族を金で売ろうなんて――……それにミーネの事だって、金としか見ていないし……オイラ、やっぱり父さんのこと、許せないよ!」
孫の怒りを込めた空色の瞳を正面から受け止め、ロホスは白髪交じりの頭をガリガリと掻く。
「テオ……父ちゃんがどうでもな――……リンデンさんに姉ちゃんはやらんし、ミーネのことも悪いようにはしねぇ。そいつぁ、じいちゃんが約束する。
それにスヴェンのことも、じいちゃんが必ず治す。お前が誇れる、立派な父ちゃんにしてやるとも。だから、じいちゃんに時間をくれ、な、テオ」
膝を屈めて孫と視線を合わせ、ロホスがゆっくりとした口調で言った。
テオは頷きながらも、ロホスに疑いの眼差しを向けている。知性を湛えた青い瞳は、とても九歳とは思えない。
「どうやってさ? 父さんがミーネに言った金額、凄く大きかったじゃない。オイラがリンデンさんなら残念だけど、おじいちゃんが何を言っても信じないよ。だってとても――……父さんが返せる金額じゃあないもの」
「ああ、分かってる。俺が何を言っても、リンデンさんは信じないだろう。だからボロヂノ子爵にご相談申し上げ、リンデンさんとの間に入って頂く。
借金を帳消しにすることは出来んが、娘を差し出す、という条件を取り消して貰うことくらいは出来るだろう。それにミーネの方も、子爵閣下の人脈を頼れば、身元くらいは分かるはずだ」
ロホスはテオをしっかりと見据え、大人に語るような口調で説明をした。
「子爵さまに、お願いするの?」
「ああ、そうさ。偉いな、テオ。意味が分かるんだな?」
「分かるけど、でも、子爵さまって偉いんでしょう? どうしておじいちゃんが、そんな偉い人を知っているの?」
「ああ、それはな――……」
ロホスは遠い過去に想いを馳せて、ボロヂノ子爵との縁を記憶の中に辿るのであった。
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