70 流れ着いた赤毛の少女
「みんな、大変だ! 川辺で兵隊さんが倒れてるよッ!」
掘っ立て小屋の扉を開けて、牧童の少年が叫んだ。
中には少年の父、母、姉、祖父母がいて、彼の澄んだ青い瞳を見つめている。
一家六人で住むには狭い木の家で、家具や雑貨が所狭しと散乱していた。調理場は家屋から張り出していて、そこに母、姉、祖母がいる。彼女たちは忙しなく、夕食の準備をしていた。
祖父は暖炉の側で銃の手入れをしており、父はチーズを肴に酒を呷っている。すでに酩酊状態だ。
「兵隊ィ?」
祖父が、ジロリと孫の顔を見た。彼は若い頃、幾度も戦争に参加している。最終階級は曹長で、三十歳で退役をした。
「まあまあ、親父。いいじゃねぇか。倒れてるってんだから、助けてやろうよ。おい、テオ――どの辺だ、案内しろ」
ろれつの怪しい父が言う。
彼も軍にいたことはあるが、テオが生まれて間もなく、負傷して除隊した。左手の小指と薬指を銃弾に吹き飛ばされたのだ。以来、仕事をせずに酒ばかり飲み、憂さを晴らす日々であった。
そんな父に「案内しろ」と言われても、テオとしては素直に頷けない。酔っ払い足下がフラついているし、何よりテオは物心がついて以来、父を頼もしく思ったことが無いのだ。
「……お父さんが、来るの?」
「なんだ、不満か?」
「そんなこと、ないけど……」
不穏なやり取りをする父と弟を見て、レーナが苛立たし気な声を上げた。
「待って! あたしも行くわ! お父さんとテオだけじゃ、心配だもの。だいいち兵隊さんが怪我をしていたら、どうするのよ? そういう時の対処は、私じゃないと出来ないでしょ!」
レーナが白いエプロンで手を拭いながら、続けて言う。
「ごめん、お母さん、おばあちゃん! あたし、ちょっと行ってくる!」
「レーナ、でもねぇ。相手は兵隊さんなんだろう? 武器だって持っているだろうし、何かあったらどうするのさ?」
母は反対したが、姉は弟と同じ水色の瞳に力を込めて言った。
「大丈夫よ! あたし、軍医見習いとして戦場にも行ったんだから、武器なんか怖くないわッ! それに医者になるんだから、倒れている人を放っておくわけにはいかないでしょ!」
「レーナ、アンタまだ、そんなこと言ってるの? 女だてらに医者になるなんて、どだい無理なのよぅ。だいたい奨学金だって、打ち切られちまったじゃあないか」
「それはだって、ランスが今、内戦だから……終わったらきっと、また呼び戻して貰えるわ」
悲しげに下唇を噛むレーナに、父が追い打ちをかける。
「無理無理。お前に奨学金を出していたのは、王妃様の機関なんだろう? けど今じゃ革命政府とやらが、学校や医療機関を牛耳ってるっていう話だ。
やつら平等を謳っちゃあいるが、女にゃ随分と厳しいそうだぜ。そんなことよりレーナ、お前――……そろそろ諦めて、リンデンさんとの縁談を受けた方がいいんじゃあねぇか?」
「お父さん、その話はやめてッ! あたし、三十歳も年上の人と結婚するなんて嫌よ! お父さんより年上じゃない、あの人!」
乱暴にエプロンを投げ捨て、レーナが言った。戸口へ大股で歩き、「行くわよ、案内してッ!」と弟の背中を叩く。
「でもなァ。リンデンさんと結婚したら、お前が学校へ行くための資金だって出してくれるかも知れんぞ? 何てったって、あの人は商売が上手い。しかも今度、男爵になるって言うじゃあねぇか」
「ええ、そうね。爵位もお金で買ったんでしょうね!」
「ああ、そうだとも。そんなお方に望まれているんだ、え、レーナ。光栄なことじゃあねぇか」
父は顎に手を当て、ニヤニヤと笑いながら娘の横顔を見ている。酒臭い息が吐き出されて、レーナは眉根を寄せた。
「お父さんは、あの人に小麦やチーズやミルクを買って貰えなくなることが怖いんでしょう!? そうよね! 私がお嫁に行けば、絶対に買ってくれるものねッ! それも、相場より高くッ!」
「そりゃお前、リンデンさんにゃあ世話になってるってのは間違いねぇが……ただ、俺はお前の幸せを思ってだな……そもそもリンデンさんと一緒になりゃ、いい暮らしが出来るじゃあねぇか……なァ? 頼むよ、レーナ……え、おい」
「いい暮らしって何よ!? お酒を沢山飲めたら、お父さんにとってはいい暮らしなんでしょうけどね、お生憎様、逆なのよ! お父さんがお酒を減らしたら、あたし達はもう少しまともな暮らしが出来るの、分かってる!?」
「いや、レーナ。そんな風に言うなよ……俺だって毎日仕事を……」
「してないじゃない! 朝からお酒飲んでばっかりで! ……もういいわ、テオ、兵隊さんのところへ案内して! 無駄な口論で時間を潰して、兵隊さんが死んじゃったら目も当てられないわッ!」
結局父はフラフラとして、戸口に背中を付いた。それを見て祖父が頭を振り、「我が息子ながら、情けない。スヴェンにゃ任せられん――俺が行こう」と溜息を吐く。
祖父といっても彼はロッソウより若く、まだ五十代だ。肉体も頑健だから、人を一人背負う位なら、何の問題も無いのだった。
■■■■
姉弟と祖父の三人は犬を連れ、ランプを手に下げ川辺へと向かう。既に辺りは、すっかり暗くなっていた。
サアサアと、川の流れる音がする。そちらを指差し、テオが言った。
「――ここだよ、ほら」
祖父のロボスがランプを翳すと、川辺に倒れ伏す人の姿がボンヤリと浮かび上がる。
確かに濃紺色の軍服を着た小柄な軍人が、うつ伏せに倒れていた。髪は炎のような赤毛で、背中まである。一見すると死んでいるようにも見えるが、その時、軍人が小さく一言、こう呟いた。
「さ、寒い。余は――……死ぬのか」
レーナが慌てて駆け寄り、軍人を仰向けにする。
「まだ息がある! でも、眠っているのかしら!?」
すかさず軍人の呼吸と脈拍を確かめ、レーナはハッとした。
「この人――……女の子よ。それに、私より年下だわ」
祖父のロホスが兵隊の顔へランプを近付け、覗き込む。テオもぐっと顔を近付け、「わぁ、綺麗」と言っていた。
軍人の顔は白く青ざめていたが、キリリと整った眉、高く通った鼻筋、多少薄いが柔らかそうな唇など、美少女の条件は概ね揃っている。年頃の少年であるテオの目が輝くのも、無理からぬことであった。
けれど医者の卵であるレーナは、それどころではない。彼女は手早く少女の身体を見渡すと、外傷の有無を確認した。大丈夫、問題ない――そう結論してから、祖父に家まで運ぶよう頼んでいる。
「うん、傷は無いようね。じゃあ、一刻も早く温めてあげないと。おじいちゃん、お願いッ!」
「――よし、任せろ」
祖父のロホスは軽々と少女を背負い、歩き出した。
彼は元軍人であり、今も普段から不甲斐ない息子に変わって、あらゆる農作業に従事している。大人になりきらぬ少女を背負って歩くなど、造作も無い事だ。
一方テオはポーッと頬を上気させ、祖父に背負われた少女の背中を見つめていた。
――なんて、綺麗な子なんだろう。
今年十歳になるテオにとって、同年代の少女とはもっと薄汚れた存在だ。それは精神的にという意味ではなく、物理的に薄汚れていた。例えば顔は埃と泥に塗れていたし、髪は櫛も通さずシラミが湧き、ボサボサだ。服はツギハギだらけで、見れたものでは無い。
もちろんテオ自身も、薄汚れている。それが集落における平均的な子供の暮らしであったし、それを不思議に思うことも無かった。
むしろランスの王都グランヴィルから帰ってきた姉を見て、「どこの貴族様!?」と思うほど綺麗だと思ったが――この少女はそんなレベルではない。
つまりテオは、
――天使さまだ! 天使さまを見つけた!
というくらい、逆上せあがってしまったのである。
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