69 ヴィルヘルミネ、蒙を開く
まだ雪が残る初春の山中を夕日が照らし、辺りを赤々と照らしていた。枝に積もった雪がバサリと落ちて、冬眠から目覚めたリスが小さな足跡を残し駆け去っていく。人が戦争に明け暮れようとも、動物たちにとっては関係ないのだ。
長い睫毛を揺らしてヴィルヘルミネは、そんな様子をボンヤリと見つめていた。
「余、やっぱり外でウ〇コしてると思われとるんじゃろか……」
ぐすんと鼻水を啜る。世界が滲んだ。ヴィルヘルミネは策略によって貶められる人間の気持ちが、少しだけ分かる気がした。
――何も悪いことなどしていないのに、悪とされてしまう人間の気持ちは、こんなものなのじゃな。
一つ知見を得たヴィルヘルミネは「ふうむ」と唸り、そこでふと正義について考えた。
彼女は貴族であり、貴族にとっての正義とは皇帝を頂点とした縦割りの社会だ。その中で公爵という爵位は王に次ぎ、ましてやフェルディナント家は小なりといえど国を持っている。
即ち貴族にとっては体制の護持こそ絶対の正義であり、その為ならば他者を殺すことも躊躇わない。その上で名誉や利権、或いは国益といった概念が貴族達を着色し、大勢を巻き込み戦争を起こすのだ。
しかしながら、教会勢力においては殺人が絶対の悪だという。
また、あらゆる国の法律でも、殺人は悪だ。事実フェルディナントの国法でも、理由の如何を問わず殺人は悪である。だから殺人を罪と明記し、罰を定めたのだ。
だが人を殺したからと言って、誰しもが死刑になる訳ではない。たとえば貴族が奴隷を殺しても、「あぁ、やっちまいましたか」で済んだりもする。
ヴィルヘルミネであれば奴隷階級の一人や二人を遊び半分で殺しても、余裕で揉み消せる。どころか「懲罰」という謎の理由で、奴隷の方を悪に仕立て上げることも出来るだろう。
男爵程度だって、奴隷殺しなら罰金刑で済む。しかも、裁判所へ金を持っていくのは従者である。
まあ、幸いフェルディナントに奴隷制度は無いのだが。
つまり社会正義たる貴族が悪を行っても、罪にはなり得ない。では、奴隷であることが悪なのか……?
そこまで考えて、赤毛の令嬢は頭がグルグルとしてきた。
ヴィルヘルミネの下では諜報機関が日夜暗躍し、国益の為と称して様々な人を陥れている。意味も無く殺すようなことはしないが、意味があれば拷問の上、人を消すことなど日常茶飯事だ。
リヒベルグから上がってきた報告をヘルムートがオブラートに包みヴィルヘルミネへ伝えるのだが、理解してみれば、大体はそんな話である。
彼等は国家の為になることが正義と信じて疑っていないが、果たしてそれは正義なのだろうか? なんて思い始めたせいで、赤毛の令嬢は頭から湯気が出そうだった。
――余は、本当に正義なのか? 戦争は人を殺す。これは国家の護持に必要とはいえ、殺人そのものが悪だとするのなら、余は、余は――……悪なのじゃろうか? なんとなれば、このような目に合うのも因果応報というもの……。
散々悩み抜き、自らに与えられた罰とは、「外へウ〇コをしに行った令嬢、なんて思われたこと。恥ずかしくて死ぬのじゃ!」という結論に至ったので、やっぱりヴィルヘルミネと哲学は程遠い。
けれど夕日を眺めて目を細める赤毛の令嬢は、それなりの雰囲気を出していた。今にも「人間は考える葦である」とか言い出しそうである。
そうして思考を進めた結果、「人間とは?」という本質的な疑問を持つに至り、ヴィルヘルミネは一つの真理に到達した。
――はっ!? 正しい者も悪しき者も王も奴隷も、等しく同じ行為をする。それ即ち、ウ〇コじゃ! 即ち人間とは、ウ〇コ製造機なりッ!
ヴィルヘルミネは、ついに新たな知見を得た。清々しい。まるで自分が至高の存在になった気がして、やたらと空気が美味かった。
――そもそも神だって、ウ〇コをするのじゃ!
ついには神への冒頭だ。そうしてヴィルヘルミネは口の端を吊り上げ、左手で顔を覆い、高笑いをする。そして吐いたセリフは、中二病のソレと同じであった。今年ちょうど十四歳なので、年齢相応なのだが……。
「ファーハハハハハハハッ! 神とは即ち、クソなのじゃ!」
――我、世界を知り得たりッ!
何かを食べて、出す――この行為に関しては、聖性も無ければ邪悪でもない。ただ生命が為すべき本能と言ってよく、つまりは人も獣も変わらない。これが本質ではないか。
こうして教会勢力を完膚なきまでに愚弄する知見を得て、赤毛の令嬢は意気揚々と歩き出すのだった。
■■■■
新たな知見を得て元気になったヴィルヘルミネは、その辺の木の枝を折り、ブンブンと振り回して先へ進む。自らの存在価値を知った今だからこそ、気概だけは世界を飲み込む程に大きくなっていた。
――己を知ることは即ち、万物を知ることに通ず。それはヘルムートの言葉じゃが、つまりはこういうことじゃったのか!
絶対に違う。万物が「ウ〇コ製造機」ではあんまりだ。
けれど生まれてから今まで戦争に次ぐ戦争で、赤毛の令嬢にとっての命とは、その程度のものだった。
つまり死体は放置すれば汚物よりも酷い腐臭を放つということを、戦争を知らない令嬢たちよりも彼女は遥かによく知っていたのだ。
だからこそ今までのヴィルヘルミネは死を直視せず、イケメンや美少女のみに価値を見出していた。
けれど――……全ては「ウ〇コ製造機」ということなら納得できる。人は何かを食べて、植物の肥料を作っているのだ。
要するに全ての生き物には価値があり、遍く世界は循環をしている――と、赤毛の令嬢は考えるに至ったのだ。すなわち、合理的寛容の精神である。ここに、ちょっとずれた啓蒙君主が誕生した。
悟りを開いたヴィルヘルミネの視線の先に、小高い丘が見えた。まだ雪の残る丘の先は、帳を降ろし始めた藍色の空だ。その中に、ひときわ輝く一番星が見えた。
それが天界へと繋がる道のような気がして、手を伸ばせば届くような気がして、赤毛の令嬢は丘へ登ろうと駆け出した。
世界の謎を解き明かした自分だ。何としても、その先の景色も見なければと思う。
ヴィルヘルミネは調子に乗っていた。とにかくもう、絶対無敵の気分なのだ。
やがて丘の頂上に辿り着くと、その先には何もないことが分かった。それどころか、少し進むと断崖である。恐る恐る足を前に出して下を覗き込んだら、雪解け水で増水した川がザアザアと流れていた。超怖い。
ヴィルヘルミネが川面を覗き込みプルプル震えていると、足元の雪がズズズ……と動く。
「あっ」
令嬢が小さな悲鳴を上げた。
ズリズリズリズリ。
頼りない足下が川面へ向けて、動いている。ヴィルヘルミネが乗ったことで、溶けかけていた雪の地面が滑り始めたのだ。
もはや赤毛の令嬢は立っていることもままならず、四つん這いになった。そのまま這って逃げようとした瞬間。
「ぷぇ?」
雪と共にヴィルヘルミネは落下した。
――ヒェェェェ。
声にならない悲鳴が、心の中で響き渡る。
なんとヴィルヘルミネは、そのまま崖から真っ逆さま。
サブンという音と共に水飛沫が立ち上り、ヴィルヘルミネは急流に飲み込まれたのだった。
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