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65 罪と罪 


 三月三日の早朝、北部ダランベル同盟の使者がリヒベルグの下へやってきた。既に彼が率いる軍勢はボロヂノ城から半日の距離にあり、緩やかな傾斜の台地に陣を構えている。

 早急に部隊を動かし街を包囲しなかったのは、捕らわれたボロヂノ子爵と家族に対する配慮であり、同時に来るべき「使者」を待っていたからだ。しかし、待ち人が来たにも関わらずリヒベルグの表情は暗い。


「使者と名乗る男が言うには、何でも閣下のご要望を叶えたとのこと。早急に会って話がしたい、と申しております」

「夜も明けきらぬ、このような時間にか。迷惑なことだな」


 ルードヴィッヒの報告を聞き簡易の寝台から身を起こしたリヒベルグは、「待たせておけ」と言い、悠々と身支度を整えはじめた。


「お急ぎにならずとも、よろしいのですか?」

「気にするな。私が急げば、それだけ奴等の寿命が縮まる。いわば、延命をしてやっているようなものだ」


 リヒベルグは顔を洗いながら、憤然として言った。そして言葉を続ける。


「それにな、つまらぬ奴に、つまらぬ用件で起こされたのだ。嫌がらせの一つも、してやりたくなるだろう」

「私は、つまらぬ奴ですか?」

「お前のことでは無い、ルードヴィッヒ」

「はは、分かっていますとも。閣下のお気持ちも、ですよ。使者は仰る通り、待たせておきましょう」


 その後たっぷり一時間ほど待たせて、午前六時にリヒベルグは使者を名乗る男達に会った。場所は天幕の外で自身は椅子に座り、相手の男達は立たせたままだ。

 手枷こそ嵌められてはいないものの使者を名乗る三人の男達は、どこか罪人を思わせる仕打ちに、落ち着きなく身動ぎをしている。


「私は北部ダランベルのマイヤーと申します。少将閣下におかれましては朝早くからお出まし頂き、恐縮の至り」

「ふん。私が遅れたから、皮肉か? ――……にしても男爵に過ぎぬ私に礼を尽くさねばならんとは、伯爵である卿としては、腸も煮えくり返る思いであろう。なぁ、マイヤー伯」


 リヒベルグは優美に長い足を組み、三人の中央で揉み手をしている貴族に視線を向けた。真っ先に口を開いたマイヤー伯だ。彼が最初に口を開き、最も豪華な服を着ていることから、今回の件の首謀者は彼で間違いないとリヒベルグは考えている。爵位もマイヤーが一番上だ。


「……そのようにお思いなら、リヒベルグ殿には、もう少し我等を労って貰いたいものですな。せっかくあなたが望んでいたモノを、持ってきたというのに。おい――……例のモノを」


 揉み手をやめて、マイヤー伯が右側に立つ若い貴族に顎をしゃくって見せた。

 若い貴族は両手で持っていた麻袋を地面に置いて、そっと開く。中からは驚愕に目を見開いた、子供の頭部が露になった。血塗れだが、涙の後がくっきりと残っている。


 リヒベルグの周囲にいた士官や兵が、嫌悪感に眉間を寄せた。リヒベルグは顎に手を当て、さも意外そうに言う。


「マイヤー伯。卿はとんでもないことを仕出かしたな。まさかオットー様を害されるとは……卿らの盟主ではないか」

「だからこそ、あなたは彼の命をご所望になった。それを私は、お持ちしたのです。さぞや嬉しいことでしょう?」

「戯言を言うな、マイヤー。誰が子供の命など、求めるものか。見れば哀れにも、涙の跡まで残っている。きっと、命乞いでもしたのであろうな。それを殺すなど、血も涙も無い所業と言わざるをえぬ」

「これは異なことを仰る。あなたがザルツァ伯爵令嬢の下を訪れた時、確かにオットー様の命を所望したと聞きましたぞ。実際、フェルディナントにとってオットー様が邪魔であることは、自明の理――……」

「言っておくがオットー様は、私にとってかつての主君のご子息だ。つまり私が彼に対して殺意を抱くことは、絶対にあり得ん」


 リヒベルグは、さも「困った」と言いたげに頭を振る。そんな彼に異を唱えたのは、麻袋を開いた若い貴族であった。


「お、お待ちください、リヒベルグ少将! あなたがザルツァ副指令の下を尋ねられたとき、確かに、こう仰られたはずだ! 『オットー殿の首を獲れ』と! とぼけるのも大概にして頂きたいッ!」

「ああ、誰かと思えば、ザルツァ副指令の副官殿か。あれはな――……冗談だ。まさか、誰が幼い子供を殺せなどと、本気で言うものか。ましてやヴィルヘルミネ様のお身内であらせられるのだぞ。

 現にエミーリア殿は、何もしておられぬではないか。それを卿らは――……」


 リヒベルグの目が怪しく輝き、一方で若い貴族の顔色は蒼白になる。彼は今や仲間の貴族からも疑いの視線を投げかけられて、唇をワナワナと震わせていた。


「わ、私が殺した訳じゃないッ! 私だって、こんなことには反対だったんだ! それをマイヤー伯が、強引に命じたんだッ!」


 若い貴族は身を翻し、慌てて逃げ出した。けれど兵士に取り押さえられ、その場で縛り上げられてしまう。マイヤーの隣にいた貴族は泡を吹いて倒れ、やはり兵士に両腕を縛られていた。


「計ったな、リヒベルグッ!」

「計ったなどと、人聞きの悪い。さあ、そこの恥知らずを捕らえろ。子供を殺すような輩だ、容赦はいらんぞ」

「おのれ、おのれ! 寄るな平民どもッ! リヒベルグッ! たかが男爵の分際で、私を一体どうするつもりだッ!? 私を裁ける者は地上に唯一人、皇帝陛下だけなるぞッ!」


 最後の抵抗か、マイヤー伯がリヒベルグに対して叫んだ。三十代に入ったばかり、それなりに端正な顔の伯爵は、人を叱咤することに慣れている。だから彼に近づく兵士達は狼狽え、思わず足を止めてしまうのだった。


 ■■■■


「皇帝のことなど、知ったことか。我が国においてはヴィルヘルミネ様の従弟殿を殺したとなれば、重罪だ。

 いいか、マイヤー――……どうするかと私に訊いたな? 教えてやる。お前の未来は、こうだ。罪人として、縛り首に処される。

 だからさっさと貴族の誇りになどドブに捨て、這いつくばって慈悲深い神に祈りを捧げてはどうだ。神は全てを救って下さるという。貴族の誇りなどより、よほど役に立つではないか。事実なら、な」


 リヒベルグは薄笑みを浮かべて立ち上がり、しれっと不敬な言葉を口にした。ルードヴィッヒが頬を掻き、「今はまだ、皇帝には陛下と敬称を付けなければ」などとリヒベルグの耳元で囁いている。彼もまた、立派に不敬であった。


「なっ、私は栄えある伯爵家の当主だぞッ! それを平民か農奴のような縛り首にするなど……皇帝陛下のご意向を無視しようというのか、フェルディナントはッ!」

「皇帝の威を借るのも結構だが、貴様が殺した相手はボートガンプ侯爵の忘れ形見であり、フェルディナント公爵閣下の甥、そして摂政ヴィルヘルミネ様の従弟であらせられる。この事実を忘れてくれるなよ」

「だからこそ、お前達には邪魔なのだろうが……」

「さて、何のことやら」

「万事……休す……か」


 マイヤーは膝から崩れ落ち、地面に両手を付いた。たとえ皇帝の前に訴え出ても、伯爵としてあるまじきことをした事実は変わらない。公爵と伯爵では、爵位に天と地ほどの開きがあるのだ。

 キーエフ帝国とフェルディナントの仲が拗れているとはいえ、いや、拗れているからこそ、裁判ともなれば、皇帝はフェルディナントの主張を是とするに違いない。マイヤーは絶望した。


「我が領土は――……北部ダランベル同盟は、どうなるのだ?」

「虎の尾を踏んだのだ、食われるのは当然だろう」

「妻や……子供たちは……」

「貴様はオットー様が命乞いをした時、どのようにした?」

「ぐ、ぐぐ……己の立場を脅かすオットーを私に始末させ、それをもって大義と為し、北部ダランベルへと侵攻する。見事な策略だが、それを指導したのがヴィルヘルミネならば、あの小娘こそ血も涙もない悪魔だッ!」


 マイヤーの言葉を聞き、リヒベルグは初めて眉を吊り上げた。跪き項垂れる伯爵の顔を、強かに蹴りつける。歯が砕け、飛んでいく。


「――……我が主を愚弄することだけは、絶対に許さん。次に同じことを言ってみろ、縛り首など生温い。腹を裂き中身を引きずり出して、口へ臓物を突っ込み殺してやるぞ……私自らの手でなッ!」


 余りも凄まじいリヒベルグの怒りにマイヤーは股間を濡らし、「あうあう……」としか言えなくなった。どうやら心が崩壊してしまったらしい。

 リヒベルグは汚物を見るような目でマイヤーを見下ろし、処刑を命じて立ち去るのだった。

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