64 策略の行方
リヒベルグが大本営から出撃を命じられたのは、二月二十二日のこと。
先月末にプロイシェ軍を破ったヴィルヘルミネが、返す刀で北部ダランベル同盟を攻撃するのは当然であった。しかもヘルムート=シュレーダーは、これを好機と一気にダランベル地方の併合を狙っている。
つまり、リヒベルグ師団は北部ダランベル制圧の先鋒を担う、というわけだ。
今まで七千の兵で一万五千の北部ダランベル同盟軍を、あの手この手で掻き回してきたリヒベルグとしては、ようやくこの時が来たか――という思いで命令書を受け取った。
「東部戦線の防衛に従事した三千は、ツヴァイクシュタインに残す。彼等にも休養は必要だ」
ツヴァイクシュタインの執務室で、リヒベルグが部下のルードヴィッヒに言った。
「七千で北上すると、申されますか?」
「いけないか、ルードヴィッヒ。もともと我等は、七千で任に当たっていたはずだが?」
「北部ダランベル同盟軍は、公称二万。実質は一万五千ほどでしょうが、それでも我が方とは二倍以上の戦力差があります。いささか危険では、ありますまいか?」
「プロイシェ王国の敗北を知り、北部ダランベル同盟は揺らいでいる。ただでさえ烏合の衆が、狼狽えているのだ。七千も率いて行けば、十分に震え上がるだろうよ。
それに本隊としてヴィルヘルミネ様が二万を率い、バルトラインを出撃なさるとのこと。それを知り、なおも我等に手向かう気概を有する者が、奴等の中にいるとは思えん」
口元に冷笑を浮かべ、リヒベルグは執務机に両足を乗せた。
「そういえば、閣下――……エミーリア=フォン=ザルツァは、あれから何も言ってきませんね。本当に彼女は、オットーを生かしておくつもりなのでしょうか?」
「ふむ。武技に優れ、戦術にも明るいという話であったが、それ以上にキチガ――……一本気な小娘だ。アレがオットーを殺すことは、まずあるまい」
「それでは……」
「なんだ? 私が失敗したとでも思うのか、ルードヴィッヒ?」
机から脚を降ろし、リヒベルグが目の前に立つルードヴィッヒを覗き込む。
ルードヴィッヒは心の奥底まで見透かされているような気になって、思わず目を逸らしてしまった。
「いえ、そのような……ですが現状で何ら成果が出ていないことは、事実です」
「まあ、そう言うな――……仕込みは済んでいる。我々が前進を開始すれば、色々と面白いものが見えてくるだろうさ」
「お教え下さい、閣下。この任務は閣下ご自身が敵地へ赴き、交渉をなさる必要が、本当にあったのですか?」
「ふむ。私は以前、一つの行為には必ず二つ以上の意味を持たせろ、と――卿に教えたな?」
「はい」
「今回は、まさに、そういうことさ」
「と、申しますと?」
「エミーリア殿が私の話に乗れば良し、断り私を殺しても良し、或いは私の話がエミーリア以外の諸侯へ漏れてもまた――良し、ということだ」
「そんな――……どのような意味を持たせるのであれ、閣下のお命が失われたのでは釣り合いが取れません! 閣下は今や、ヴィルヘルミネ様の重臣なんですよッ!? 工作ならば、私が担当すると幾度も申し上げているではありませんかッ!」
「そう怒るな、ルードヴィッヒ。本当のことを言うとな、退屈だったのだ、許せ。だが長閑な日々も、終わりを告げる。さあ、戦争だ。存分に、武勲を立てろよ」
リヒベルグは立ち上がるとルードヴィッヒの肩にポンと手を乗せ、部屋を後にした。
ルードヴィッヒはその背を追い、眉根を寄せる。彼は何処までも太々しい上官を、誰よりも敬愛していた。けれどだからこそ、どこか破滅的とも思えるリヒベルグの言動が、ときどき心配になるのだった。
■■■■
二月二十六日、リヒベルグは国境を越えて南部ダランベル地方へと入った。すると南ダランベルの諸侯達は我先にと彼に目通りを願い、私兵を率いて参陣を乞うたのである。
「今こそ我等も共に、北部諸侯を打ち倒しましょうぞ!」
リヒベルグの天幕に参集した南部ダランベルの諸侯は二十人にも及び、兵力は五千を数えた。もしもこれがボロヂノ子爵の下へ救援に駆け付けていれば、彼の城は十分に持ちこたえたであろう。
――ダランベルの諸侯とは、北も南も風見鶏ばかりだな。
そう思うからリヒベルグは冷笑を浮かべて礼を言い、彼等の指揮する兵を適当に分散して配置した。こちらが不利と見れば、いつ寝返るとも知れぬ連中だ。主力にすることなど、到底考えられない。
「まったく、下らん連中だ。奴等と話をしていると、まるで肥溜めの中にいるような気になってくる」
諸侯連中との顔合わせが済むと、リヒベルグは吐き捨てるように言った。春が近いとは言え、夜はまだまだ寒い。吐く息が白かった。
天幕の中では何本もの蝋燭に火を灯し、リヒベルグの横顔を照らしている。高い鼻筋が濃い陰影を作り、揺らめいていた。
ルードヴィッヒは上官の美貌に見惚れていたことを隠すように、手元の書類へ目を落として言う。
「いっそ奴等の私兵を解体し、再編成なさいますか?」
「それは、今回の戦いが終わったあとで、だな。今はまだ、奴らまで敵に回すことは出来んよ」
「では、北部ダランベル同盟との戦いにおいて、先鋒としてぶつけては如何でしょう」
「それこそ、まさかだな。諸侯どもは潰すべきだが、兵士達は皆、いずれ我がフェルディナントの貴重な戦力となる。使い捨てには出来んさ」
このような事情からリヒベルグは前進に手間取り、エミーリアの籠るボロヂノ城付近へ到達したのは、三月二日のことであった。
■■■■
エミーリアはボロヂノ子爵の居城で、ジリジリとした日々を過ごしていた。入ってくるのは凶報ばかりで、心楽しくなる話題など一切ない。
二月二十三日にリヒベルグがツヴァイクシュタインを進発し、南部ダランベル諸侯が兵を率い、これに合流。今やその数は、一万三千にも膨れ上がっていた。
しかも二月二十五日にはヴィルヘルミネが二万の軍勢を率いて公都バルトラインを進発し、一路北上していると聞く。万が一これに合流されては、もはや勝算は皆無である。
これに対処するべく連日会議を繰り返していたが、北部ダランベル諸侯に事態を打開する案を出せる者など誰一人としていなかった。
いや、事態を打開するどころではない。兵を率いて領地へ戻る諸侯までいる始末だ。お陰で兵力は今や、一万を切っている。これではリヒベルグが率いる部隊を迎撃するだけで、精一杯だろう。
ならばと諦めて領地へ戻ったところで、今度は合流した敵軍が満を持して攻め寄せるだけのこと。エミーリアはフェルディナント軍を、ここで迎撃する他に道を見いだせないのだった。
そうして悶々としていた夜の事、耳を劈くような甲高い声が聞こえた。悲鳴だ。
エミーリアは慌てて立ち上がり、刀剣を左手に持ち廊下へ駆けだした。蝋燭を持った人々が左右往生し、何事かを囁き合っている。
「何事かッ!?」
「人が、人が殺されたのです、ザルツァ閣下!」
「誰が、誰を殺したと言うのだッ!?」
左右を見回して問いかけるエミーリアに、周囲の者はモゴモゴと口を噤み俯いている。「もう終わりだ」と項垂れる壮年の諸侯が、額に手を当てていた。
窓の外も騒がしい。深夜にあるまじき、馬の嘶きが聞こえた。それも一つではない。馬車の車輪が石畳を斬りつけるような音も響いていて、内も外も騒然としている。
エミーリアは窓辺に寄って外を見た。ここは三階だが、篝火のお陰で地上にいる人々の顔くらいは判別が出来る。そこに、見知った顔があった。副官だ。
「貴様ッ! そこで何をしているかッ!?」
エミーリアの問いかけに、副官は驚愕の表情を浮かべている。側にいるのは幾人かの諸侯で、彼等はエミーリアを見上げてニヤニヤと笑った。
諸侯の中で、ひときわ煌びやかな服を着た男が言う。彼はザルツァ家に家格こそ劣るが、同じ伯爵位を持つ貴族だ。
「私があなたの代わりに、北部ダランベルを救って見せよう! これから、リヒベルグ殿の下へ交渉に行くッ! 手土産を持ってなぁ! それでは、ごきげんようッ!」
貴族の男は大きく手を振り、恭しく頭を下げた。
エミーリアはハッとして、廊下を駆ける。リヒベルグが求めていたものを考えれば、おのずと答えは出た。駆ける、駆ける、駆ける。
幾人かの人々にぶつかり、辿り着いた先はオットー=フォン=ボートガンプの部屋だ。かつてはボロヂノ子爵が寝室として使っていた、この城でもっとも豪奢な部屋である。
エミーリアは扉を開けて、周囲を見渡した。扉に鍵が掛かっていないことが、彼女の疑いを確信に変える。
「オットー殿ッ!」
エミーリアの声が空しく響く。
部屋の中心で兵士達が輪になり、何かを見下ろしていた。
「どけッ!」
この時、既にエミーリアは事態を正確に察していた。何故なら天蓋付きのベッドには、激しく飛び散った血の跡があったからだ。そして兵士達の足元まで、それが続いている。
エミーリアが兵士達を掻き分けると案の定、彼等の足元には首を失ったオットーの死体が、絨毯の上に横たわっているのだった。
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