59 東部国境防衛戦 23
ヴィルヘルミネへ猛然と迫るグロースクロイツが、ドンッと弾き飛ばされた。馬だけが数十歩走り、急に軽くなった背中を不審に思ったのか、ひと声嘶いて足を止める。
グロースクロイツを止めたのは、白髪の老将ロッソウであった。
彼はトリスタンから本営へ引き返すよう命じられていたから、急ぎ味方を率いて駆け付けたのだ。そこで主君の窮地を見るやハルバードを一閃、グロースクロイツの腹を払ったのである。
横合いから腹部を狙って払われた一撃はグロースクロイツに、致命の傷を与えていた。
落馬して腹に手を当て、溢れ出る血を目の当たりにしたプロイシェ随一の猛将は、乾いた笑みを浮かべている。
「……ままならんものだな、人生は」
ジロリと老将を見上げ、グロースクロイツは言った。
ロッソウは無言だ。壮年の猛将を、じっと見下ろしている。
そこへ、ジークムントが駆け付けた。
「叔父上ッ!」
ジークムントが敢然としてロッソウへ、突進する。
「若造が――死に急ぐでない」
「急いでなどいない。だが、世の中には順番というものがある。あなたは、叔父上より先に死ぬべきなのだッ!」
「ふむ、威勢だけはよいのぅ。どれ」
グロースクロイツへの止めをささず、ロッソウは馬首を返してジークムントへ向き直った。小手調べでハルバードを一閃させると刀剣が絡みつき、その軌道を逸らされる。
「面妖なッ!?」
驚き、ロッソウはハルバードを引っ込めた。それから六連の突きを見舞い、ジークムントを牽制する。もはや、手加減は無い。けれど全てを躱され、気付けば押されていた。
辺りではジークムントの騎兵とロッソウの騎兵が激しくぶつかり合い、混戦の様相を見せている。
この間にグロースクロイツの下へ参謀長と第七師団長が駆け付け、身体を支えていた。何とか腹部に布を巻き、懸命の治療を試みる。
「閣下、お気を確かにッ! 傷は浅うござます!」
「参謀長、下手な嘘を言うな。私はもう、助からぬ」
「と、ともかく退きましょう! 軍医に見て貰わねば!」
「第七師団長――……この傷を見て、分からぬ卿でもあるまい。私を捨てて参謀長を連れ、ジークムントと共に退くのだ。見よ……ジークムントの姿を。フフ、フハハ、羊の皮を被る……狼であったわ……あやつを盛り立て、プロイシェに栄光を……コフッ」
グロースクロイツの腹部からは、大量の血が溢れていた。巻き付けた布も瞬く間に赤く染まり、背中を支える参謀長の手まで、べっとりと濡れている。肺も傷付いているのか、ゴポリと血を吐いた。
そうした状況をジークムントは目の端に捉え、怒りも露にロッソウのハルバードを跳ね上げた。突きを円運動の回転によっていなし、角度を変えて弾き上げたのだ。そして大きく開いた老将の胸部を、袈裟斬りにした。ロッソウは仰け反り、馬上でぐらりと揺れている。
「なっ……このワシが、負ける……じゃと!?」
ロッソウが崩れた隙に、ジークムントは馬首を翻して叔父の下へ向かった。
「叔父上を馬にッ! 決して死なせるなッ! 参謀長は私の後に付いて来いッ! 血路を開くッ!」
「無用だ、ジークムント。私のことなど捨て置き、この後はお前が――……全軍の指揮を執れ……それで……いいのだ」
グロースクロイツは渾身の力を振り絞り、首を左右に振っていた。目を閉じると口からもう一度血を吐き、ぐったりと項垂れる。プロイシェの宿将が、絶命した。
ジークムントは奥歯を噛み締め、目を見開いて赤毛の少女を睨む。
――プロイシェは叔父上を失った。ならばせめて、フェルディナントもヴィルヘルミネを失うべきだ。でなければ、釣り合いが取れない……。
黄金色の瞳が鬼火のように揺らめき、ジークムントは赤毛の令嬢へと馬首を向ける。
■■■■
ヴィルヘルミネは先程ロッソウとグロースクロイツが激突した際、やっとのことで目を覚ました。夢の中ではケーキが弾け、お腹が破裂。ヤバイ夢を見たせいで、額にびっしりと汗を掻いていた。
「ぷぎゃっ! ケーキはもうよい、余のお腹が破裂したのじゃ!」
そんな言葉を夢うつつの中で呟いたら、ショートケーキの上にのったイチゴよろしく、目の前に真っ赤な血の花が咲き乱れた。グロースクロイツがロッソウに斬られたからだ。
そんなものを寝起きで見せられ目を白黒させていると、今度はロッソウが、なよっとしたイケメンに追い詰められていく。
――ああ、今は戦いの最中であったか……しかし、ん? ロッソウが負ける? はて、そんな馬鹿な。これも夢じゃろか?
赤毛の令嬢が首を傾げているうちに、なよっとしたイケメンはロッソウを斬りつけ、馬首を翻した。倒れ伏した顔の怖いおっさんの下へ、駆け付けるようだ。
ここに至りヴィルヘルミネは手をポンと打ち、状況を理解。それと同時に斬られた傷を左手で押さえ、「……不覚」と唸るロッソウに目を向けた。
「……ロッソウ、退くのじゃ。軍医の下へ、早く」
まだ寝惚けていたせいか現実感が無く、かえってヴィルヘルミネは冷静だ。しかもボンヤリとして半目だから、周囲からは彼女が怒っているように見えた。部下達は戦いながらも、彼女の一挙手一投足に注目している。
そんな最中、ジークムントが叔父の死体を一瞥すると、ヴィルヘルミネに向き直った。相変わらず腕をユラユラと揺らしている。馬腹を蹴った。近づいてくる。
――ヒェェェェェェ。
超怖い。なのに刀剣を抜き、何故か迎撃の構えを見せるヴィルヘルミネだ。どうやら逃げるという選択肢を、うっかり夢の中に置き忘れてしまったらしい。
「ミ、ミーネ様ッ!?」
ロッソウが苦し気に主君の名を呼び、ハルバードを構えようと腕を持ち上げる。けれど傷が深く、身動きが出来ない。退けと言われて、いま退けるわけが無かった。
「なんでわたしは、こんな時に――……」
ゾフィーはようやくヨロヨロと立ち上がり、足を前に出す。けれど、今からでは赤毛の令嬢を守ろうにも、敵との間に入る時間は無さそうだった。思うままに動かない足が、恨めしかった。
ジーククムントの斬撃がヴィルヘルミネに迫る。が、赤毛の令嬢は動かない。というか、寝惚けているから動けない。緊張の余り、また寝そうだ。瞼がだんだん下がっていく。
目を細めてじっと自分を見つめるヴィルヘルミネを見て、ジークムントはゾッとした。細めた目が、ついには閉じられたからだ。
――私の動きを、見切っているとでもいうのか。目を瞑るだとッ!? いや、まさかあれは東洋に伝わる、伝説の『心眼』ッ!?
もともとジークムントが体得している『輪廻』は、後の先の技。つまり相手の攻撃を躱す、或いは崩して懐へ潜り込み、反撃が出来ない状態にして必殺の一撃を叩き込む――という戦法である。
その為には相手の目を見て動きを読むことも大切だから、ヴィルヘルミネが目を瞑り、しかも動かなければ威力は半減であった。
とはいえ『輪廻』とは、それだけにあらず。身体の関節を円で動かし、その力を先端に伝えて爆発的な力を生む技術でもある。その意味では相手の力を使わずとも、目を見て動きを読まずとも、必殺の一撃は放てるのだ。
ジークムントは手首をクルクルと回し、肘、肩と徐々に大きな円運動へ変えてヴィルヘルミネの首筋を狙い、水平の斬撃を放った。
「たとえ心眼といえども、躱せるものかッ!」
その時、幸い赤毛の令嬢は刀剣を縦に持ち上げることに成功。特にジークムントの攻撃が見えていた訳では無いが、怖くて自分の前に刃を突き出したのだけのことであった。
が、当然ヴィルヘルミネに円運動の力をマックス状態で乗せた斬撃を防げる筈もなく、剣と共にスポーンと身体ごと弾かれてしまう。そして天高く舞い上がり、クルクルクルクルと竹とんぼのように回転した。
「フフッフー、他愛ない……」
吹き飛んでいくヴィルヘルミネの姿に、ジークムントは笑みを浮かべた。
一方、空中で回り続ける赤毛の令嬢は、遠心力のせいで両腕が開いてしまう。そして錐もみ状態で墜落した先に、なんと運よく笑みを浮かべるジークムントの姿が……。
ギィィィィィン!
「な、なんだとッ!? こんな攻撃を仕掛けてくるなんてッ!?」
回転しながらの斬撃を、ジークムントは受け止めた。一瞬でも刀剣を持ち上げることが遅れれば、回転によって強力になった斬撃で、ジークムントの頭は柘榴のように割れていただろう。
だが戛然とした音が響き、二つの刃はぶつかった。凄まじい威力だ。二本の刀剣は共に砕け散り、馬上で二人の身体が縺れ合う。
ほぼほぼジークムントの独り相撲だが、それでも周りの目には二人が互角に戦っているように見える。なんてことだ。
ジークムントが背中から地面へ落ちて、ヴィルヘルミネは彼の上に乗った。
令嬢はジークムントに跨るような格好で、うつ伏せになっている。
ジークムントは折り畳んだ腕の先、手の平に柔らかいものを感じて目を開く。何かフワフワなものを、左手で鷲掴んでいる。それはどうやら、ヴィルヘルミネの少しだけ膨らんだ胸であった。
「あ、ごめ……」
――なぜ、私は謝ろうとしたのだ……? あ、でも、柔らかい……こ、これはッ!?
などとジークムントが思ったら、途端に目の前にある美しい顔が真っ赤になった。プルプルと肩まで震えている。
「貴様は余の、余の……――」
ヴィルヘルミネは何かを言い終える間もなく飛び起きて、軟体王子の顔をゲシゲシと踏みつけた。怒りに我を忘れた令嬢は強く、ジークムントは初めて触る女性の胸に放心状態。
「い、痛いッ! ちょ、ちょっと――……ヴィルヘルミネ……君はッ、私を誰だとッ――……はぁはぁ……もっと……はぁはぁ」
どうやら、ジークムントは何かに目覚めてしまったらしい。反撃することも忘れて赤毛の令嬢を陶然と見つめ、鼻血を垂らして蹴られ続けている。
ロッソウ以下ジークムントの強さを知る人々は状況を茫然と見つめ、「真なる最強はヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナンド」との認識を新たにするのだった。
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