58 東部国境防衛戦 22
グロースクロイツの刀剣が、轟音をと共に空を斬る。銀光が弧を描き、ゾフィーの鼻先を掠めていった。踏み込むと見せかけて、ぐっと身を引き避けたのだ。
「――フッ!」
ゾフィーの動体視力は群を抜いている。だから彼女は高速で振り抜かれる刃先と、刀剣を振り抜くことで身体が流れ、露になった敵の脇腹へと目を向けた。
自分の方が速いと確信し、そして状況も狙い通り。思わず少女の口元に笑みが零れた。
黄金色の髪を靡かせ、ゾフィーが刃を振るう。露になったグロースクロイツの脇腹に、閃光のような斬撃が刻まれた。
「……ぐぅッ!」
くぐもった呻き声を漏らしながら、グロースクロイツが手綱を引く。馬は主の意志を敏感に感じ取り、二歩、三歩とゾフィーから遠ざかる。
プロイシェの宿将は、命拾いしたのだ。ゾフィーに力が足りなかったことと肋骨のお陰で、斬撃は内臓まで達さなかった。
もしも金髪の少女の身長があと五センチ程も高く、力があればグロースクロイツは今の一撃で絶命していたはずだ。
そうと分かるから、ゾフィーも渋い顔で敵を睨んでいる。技術は十分なのに、まだ肉体が追い付いていないことが悔しかった。
けれどグロースクロイツは、少女以上に悔しい。戦場を往来すること三十有余年、これ程の屈辱に塗れたことは初めてだ。
焼けつくような痛みに耐えて、なおもグロースクロイツは刀剣を構えている。たとえ死んでも、負けを認めるつもりなど無かった。
「その右腕は、もはや動かすこともままならないはず。決着は付いた、この上は潔く降伏なされよ、グロースクロイツ大公ッ!」
油断なく二刀を構えながら、ゾフィーが言う。
「――……黙れ、小娘。この程度の傷で、怯む私と思うなよッ!」
奥歯をギリリと鳴らし、グロースクロイツが馬腹を蹴った。
先程受けたゾフィーの攻撃は、誘いに乗って攻撃を仕掛けた結果のカウンター。それでも致命傷を与え得ない程、相手は非力なのだ。ならば純粋な力をもって押し潰そうと考え、グロースクロイツは突貫した。
馬体もさることながらグロースクロイツが百八十五センチであるのに対し、ゾフィーは成長途中とはいえ百五十七センチに過ぎない。しかも体重は九十キロと四十五キロという、ほぼ二倍の開きがあった。
このような肉体的優位を活かせば、グロースクロイツにもまだ勝機はあるのだ。
そうした敵の意図を察し、トリスタン=ケッセルリンクが動く。ゾフィーであれば滅多なことでは負けないと踏んでいたが、相手がなりふり構わぬとなれば話は別だ。
パァァン!
トリスタンは銃を構え、躊躇わずに撃った。
「参謀総長閣下ッ! わたしの勝負にッ――……!」
「ゾフィー。あなたは養子とはいえ、フェルディナント公爵家の一員だ。危険があるとなれば、見過ごせぬ。それに、これは戦争だ。己のロマンチシズムを満足させるための一騎打ちなど、無益と知れ」
「はい……すみません。出過ぎました」
グロースクロイツは馬上で大きく揺らめき、憤怒の形相でトリスタンを睨む。左肩に受けた銃創から血が滲み、軍服をジワリと濡らしていた。
「貴様……平民か――……貴族の……武人の誇りを……何と心得る……」
「下らん。そんなものは、犬にでも食わせろ」
「くっ……」
「閣下ーッ!」
プロイシェ軍参謀長の叫び声が響く。それと同時に馬蹄の轟きが聞こえ、グロースクロイツは眉を顰めた。敵の増援が来たと思ったのだ。
「参謀長、もうよい。卿だけでも逃げよ……」
「閣下、援軍ですッ! 味方の援軍が来ました! 気を確かにお持ちくださいッ!」
「味方……?」
諦めの中で目を閉じようとしたとき、不愉快な――それでいて希望を抱かせる声がグロースクロイツの耳に届く。
「叔父上! 叔父上ーッ!」
閉じかけていた瞼を開き、声の方へと目を向ける。すると柔弱そうな外見に反比例して、くるくると刃を回転させながら次々と敵を屠り突き進む、逞しい甥の姿が見えた。
「ジークムントめ、自ら来るとは……馬鹿なことを……!」
■■■■
敵の援軍が近衛連隊を突破し、迫っていることを察知したトリスタンは、すぐさま銃を捨てて刀剣を抜き、ヴィルヘルミネの前へ出た。
ジークムントの剣捌きは、尋常ではない。間違っても主君に近づけてはいけないと、参謀総長自ら護衛を買って出たのだ。
エルウィンもトリスタンの横に並び、刀剣を抜いている。その僅かばかり後ろで、ジーメンスもヴィルヘルミネを守ろうと刀剣を構えていた。
万が一前の二人が抜かれるようなことがあれば、ジーメンスなど肉の壁になる程度の役にしか立たないであろうが、それでも良いとの覚悟なら彼も持っている。
そうした状況を見てゾフィーは、グロースクロイツと決着を付けるべく馬の腹を蹴った。もはや降伏を促せる状況ではない。迫る敵を止める為にも彼の首を獲り、フェルディナントの勝利を宣言するべきであった。
「ハァァァァァァァァァァッ!」
裂帛の気合と共に、ゾフィーがグロースクロイツへ迫る。敵は既に右わき腹を負傷し、刀剣の扱いも鈍重だ。加えて左腕も銃撃によって負傷していたから、防御もままならない。
ゾフィーの刃は、容易くグロースクロイツの首を捉えるかと思われた。しかし――弾かれてしまう。
いつの間にかヴィルヘルミネの正面から姿を消して、ジークムントが叔父の救援に駆け付けたのだ。
ギィィィィィン。
甲高い金属音が響き、青白い火花が散る。それと同時にゾフィーの右手が刀剣と共に、大きく弾きあげられた。次の瞬間、がら空きの胴に向けて斬撃が迫り。
――あっ!?
ゾフィーは驚き、目を見開いた。けれど訓練に訓練を重ねた身体が咄嗟に動き、左腕のマンゴーシュで迫る斬撃をガッチリと受けとめた。
けれど余りにも重い斬撃は、マンゴーシュと共にゾフィーの身体を馬上から落としてしまう。
背中を地面へ強かに打ちつけた金髪の少女は息が詰まり、ゴロゴロとその場を転がった。
――どういうことだ、グロースクロイツよりも強いなんてッ! この男は、いったいッ!?
背中の痛みと同時に、悔しさが込み上げてくる。ジロリと馬上を見上げれば、サラサラとした長い金髪を風に靡かせる優男が座っていた。
しかも常に刀剣をユラユラと揺らし、身体はくにゃくにゃと動いている。円運動だろうか――とあたりを付けたものの、流派などゾフィーには分かるはずもなく。
ゾフィーは意識が遠のきかけたところで、グロースクロイツと乱入者の会話を聞きハッとした。
「なぜ来たか、ジークムントッ!」
「さあ、退きましょう、叔父上ッ!」
「馬鹿を言えッ! 奴等がお前に気を取られた今こそ、ヴィルヘルミネを討ち取る千載一遇の好機ッ!」
確かにグロースクロイツの言う通り、迫るジークムントに備えていたからエルウィンやトリスタンは皆、ヴィルヘルミネよりも後方にいた。そして今は、軟体王子が率いた騎兵と戦っている。
となれば今、グロースクロイツとヴィルヘルミネを遮る者はいない訳で……。
――動け、わたしの身体、動けッ! こんな時に動けないなら、意味なんか無いのにッ! ヴィルヘルミネ様ッ!
ゾフィーは声にならない叫びを上げて、ヴィルヘルミネへと駆けるグロースクロイツの後姿を見送った。
だが大公も必死だ。顔を顰めながらも刀剣を構え、馬腹を蹴る。激痛が全身を駆け巡り、脂汗があらゆる個所から噴き出していた。
そんな中、相も変わらずヴィルヘルミネはスヤスヤ、スヤスヤと眠り姫状態。だがそれが、あたかも悠然と敵を迎え撃つように見えるから、ゾフィーは少しだけ安心して、こう思うのだった。
――あ、そうだ。ヴィルヘルミネ様は、ブラッディー=メアリーにも勝っているし。つまり、わたしなんかよりずっとお強いのだから……グロースクロイツになんて負けるわけない、か。
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