56 東部国境防衛戦 20
「思っていたより、遥かに強い……」
珍しくジークムントが苛立たし気な声を出し、前方で展開される歩兵同士の戦いを見つめている。
確実に背後を衝いたというのに、ヴィルヘルミネ陣営を混乱させることが出来たのは僅かの時間であった。
混乱を抑えると陣形を再編したヴィルヘルミネの近衛連隊は、すぐさま正確な射撃でジークムント師団を押し返していく。どの兵士も良い面構えをした、一流の戦士であった。
砲撃にしても同様だ。陣営内のプロイシェ軍が撤退行動に移ったと見るや、フェルディナント軍は大砲をジークムント師団へ向けている。迂闊に騎兵を出すことも出来なかった。
――将軍も兵も質が高い。これでは、どちらが軍国か分からないな。
ジークムントは口元に苦い笑みを浮かべ、バルヒェットに言う。
「こりゃあ、虎の尾を踏んだかな? 背後から攻めて崩せないんじゃあ、お手上げだよ」
「一角獣の角に触れた、という方が正しいでしょうね。どちらにしても、手を上げるしかありません」
「フフッフー。君も冗談を言えるんだねぇ」
「これでお分かりでしょう。ヴィルヘルミネは自身が優れた砲兵士官であり、近衛連隊は精鋭です。まともにやり合うには、我々にも相応の準備が必要だということが」
「ああ、重々分かっているさ。我が軍のありようは、変えねばならない」
「国を、です――……とはいえ、大公閣下が逃げる隙くらいは作れたと思います。ならば目的は達成できるかと」
チラリと軟体王子を目の端に捉え、少しばかりムッとした表情でバルヒェットが言う。
変えるべきは、国か軍か。これが二人の大きな見解の相違だ。にも拘らず彼等は互いを必要としているから、大きく踏み込んで議論することも出来なかった。
「どうだろう? 叔父上はこの状況を、逃げ出す好機とは考えないと思うよ」
「おや、本当だ。まったく……――逃げれば良いものを、まさか戦局を引っくり返そうとでも、考えているのでしょうか?」
ジークムントの隣に馬を並べたバルヒェットが、冷たい視線を前方へ向けている。緑柱石を思わせる美しい瞳には、大地を駆けるグロースクロイツの騎兵隊が映っていた。
「もともとは兵を逃がす為の殿軍として、最後の攻撃を仕掛けるつもりだったのだろう。けれど私たちを見つけたから、乾坤一擲の勝負を挑もうということかな。
叔父上はそういう人だし、そういう人が率いていたからこそ、プロイシェ軍は斜陽であることをひた隠しに出来たのさ」
ジークムントもプロイシェ軍本営から飛び出した、五百ほどの騎兵に目を向けている。バルヒェットは意外そうに目を瞬いて、「あら、そうなのですか?」と首を傾げていた。
何せバルヒェットはグロースクロイツが殿軍を自ら買って出るなどとは、全く思っていなかった。というより彼の生死など、どうでも良かったのだ。そしてそれを、つい口に出してしまう。
「私には、どうでも良い事ですけれど」
「ブリュンヒルデは、どうも叔父上に冷たいね」
「あの方には、あまり価値を見出せませんから」
「それは手厳しい。けれど叔父上が騎馬突撃を仕掛ければ、間違いなく敵は崩れる。そこへ私達も突入したら――……いくらヴィルヘルミネだって、ね」
ヴィルヘルミネの本営は現在、二千余りの近衛連隊が守っているだけだ。これを、ジークムントが一万の兵力で攻撃している最中であった。
ここにグロースクロイツが騎馬突撃を仕掛けるのだから、近衛連隊の陣形が崩れることは必然。そこへタイミングを合わせてジークムントも突入すれば、一体どうなるか。
「あら……もしかしたら、勝てるかも知れませんね」
「ああ。つまり叔父上は間違いなく、名将の一人だってことさ」
たいして面白くもなさそうに言うバルヒェットに、ジークムントは肩を竦めてみせるのだった。
■■■■
突然後方から敵軍が現れたからと言って、動揺するトリスタンではなかった。
馬上で爆睡する赤毛の令嬢など、動揺以前に情報が耳にも目にも入っていない。だから悠然として、馬上で相変わらずユラユラと揺れている。
けれど近衛連隊を指揮するエルウィンは、やや狼狽えていた。
「総員、後方の敵に備えよ! 敵をヴィルヘルミネ様に近づけるなッ!」
一万にも及ぶ敵勢を見て、エルウィンは心拍数を上げていた。ここはヴィルヘルミネがいる大本営、即ち最後の砦なのだ。
そうした気負いが気持ちを逸らせ、陣形の再編に手間取ってしまった。それでも矢継ぎ早に下す命令は、まずまずの及第点といえる。
「後方の敵に対し、防御陣形を敷けッ! 砲兵は随時、援護射撃を続行せよ! 防御陣の完成後、歩兵は輪番射撃を開始。当たらずともよい、絶え間ない攻撃で敵の前進を阻めッ!」
そうした命令が全て実行されて暫くすると、参謀の一人が前方の敵本営を睨み、大声で叫んだ。また新たな問題が発生したらしい。
「参謀総長! 撤退する敵に紛れて、騎兵が出てきましたッ! こちらへ向かって来ますッ!」
「見えている。攻撃目標は、ここであろう」
参謀総長たるトリスタンは、静かに頷いた。
――偶然であれ必然であれ、敵にとっては今が勝利する千載一遇の機会だからな。
そうした報告を聞いてなお、何も言わない赤毛の令嬢をトリスタンは見た。
――私を信頼している、ということか。ならば、ここは何としても凌ぎ切らねば。
またも激しく勘違いしたトリスタンは、参謀総長としての職責を果たすべく部下に問うた。
「撤退中の敵軍に動きは?」
「ありません!」
「よろしい。ならば、ロッソウ少将とオルトレップ少将に伝令。決戦の地は、大本営なり――……と」
「なッ! 参謀総長! それではヴィルヘルミネ様の安全が確保出来ませんッ!」
ピンクブロンドの髪を振り乱し、エルウィンが叫ぶ。
「ヴィルヘルミネ様は、決定的な勝利をお望みだ」
「それは、分かっています! しかしこのままでは、挟撃されるッ!」
「だから、支えてみせるのだ」
「そんな、無茶を言わないで下さいッ!」
「ならばエルウィン。卿は敵軍に翻るあの旗を見てもなお、退けと言うのか? 卿にはヴィルヘルミネ様の深淵なるお考えが、僅かなりとも理解できぬということか?」
「あれは――……グロースクロイツ大公の旗ッ!? まさかヴィルヘルミネ様は、自らを囮として、あえて敵を呼び込んだとでもッ!?」
「その、まさかだ。敵の主力は撤退を開始し、彼我の兵力差は敵の増援を合わせても余りある。確かに局地的に不利な現状とは思えるが――……これを凌げば我が方の勝ちなのだ」
「そうか。それも、ただの勝ちではない。グロースクロイツの首、という付録のついた完璧な勝利ですね。流石はヴィルヘルミネ様だ……!」
「うむ、エルウィン――……よく気付いたな」
どこまでも都合よく主君の考えを解釈した二人は頷き合い、赤毛の令嬢へと目を向ける。そこには燃えるような赤毛を風に靡かせ、悠然と馬に跨る美少女の姿があった。彼女は目を瞑り、三日月を横にしたような口元でニンマリと笑っている。それは、あたかも勝利を確信しているかのようであった。
けれど実際はケーキをお腹いっぱい食べた夢を見たせいで、嬉しさの余り笑顔を作っているだけのこと。だから未だにスヤスヤ、スヤスヤと夢の中なヴィルヘルミネなのであった。
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