55 東部国境防衛戦 19
東側以外の三方を囲まれたプロイシェ軍は、フェルディナント軍の激しい攻撃に晒された。だが一方でキンベルガーの攪乱戦術が終わったことから、第七師団長にも全体を見渡す余裕が生まれたらしい。グロースクロイツの置かれた状況を察するや、彼はすぐにも総司令官を救出すべく兵を動かした。
「我が師団より二個連隊を大公閣下の下へ向かわせよッ! 敵を抑え込み、閣下を可及的速やかに本営へお連れするのだッ!」
第七師団長としては、これ以上全軍の指揮を執りたくない。だからグロースクロイツが釘付けとなっている戦場に多くの兵を投入し、まずは彼の自由を確保しようと考えたのだ。
これによりロッソウの攻撃を振り切ることに成功した大公は、何とか本営の天幕に辿り着いたのである。
グロースクロイツを迎えたプロイシェ軍司令部は、俄かに活気を取り戻した。大公さえ健在であれば、どうにかなると皆が考えたからだ。それ程にグロースクロイツはプロイシェ軍にとって、なくてはならない精神的支柱なのである。
「閣下、戦局は極めて不利と言わざるを得ませんぞ」
「なんの。確かに我が方が兵力の上では不利だが、しかしまだ土塁も砲台も健在だ。叛乱騒ぎが収まった今、それらを有効に使うことも出来る!」
大公の帰還に勇気付けられた幕僚達から、口々に建設的な意見が飛び出した。けれど現状を冷静に分析すれば、決して楽観は出来ない状況だ。
頼みとする土塁は次々と崩され踏み越えられて、戦線は刻一刻と後退を余儀なくされている。となればグロースクロイツは、いよいよ重大な決断を下さなければならないと考えていた。つまり、撤退である。
「どう取り繕ったところで、兵力、火力とも敵に劣り、土塁も崩されつつる状況だ。事ここに至っては、撤退を決断するより他に道は無いと思うが――卿らの意見はどうか?」
静かに、だが威風堂々とグロースクロイツは言った。敗軍の将という風情ではない。だから幕僚達は大公が何を言い出したのか理解できず、みなポカンと口を開けていた。
「どうした、何をポカンと口を開けておる。皆は――……撤退に反対か?」
野戦用の長机を囲む幕僚の面々を見て、グロースクロイツは腕組みをした。
「あ、いえ……反対という訳では……」
「撤退と申されましても、敵軍に包囲されつつあります。囲みを破るとなれば、中々に難しいかと」
言葉の意味が脳に届いた幕僚から、順に意見を口にする。
グロースクロイツは頷き、話を先へ進めることにした。
「幸い東側は、まだ敵軍に包囲されていない。また東は本国へと通じる道でもあるから、撤退するにも適していよう」
「お言葉ですが、閣下。この状況で撤退などしようものなら、どれ程の損害を出すか分かりませぬ。ならば何としても今日を凌ぎ切り、日が暮れた後にでも講和の使者を出されては如何でしょう?」
「小官も第七師団長の意見に賛成です。三方から攻め寄せたとはいえ、未だ我が軍には第五師団が健在であり、これはフェルディナント軍にとっても無視し得ぬ戦力。これを交渉において持ち出せば――……」
「こちらから講和を持ち出せば、それは即ち降伏と同義であろうが、参謀長ッ! それでは軍国プロイシェの名が地に埋もれるッ! それが分らんのかッ!?」
雷鳴の如き大音声が司令部天幕に響き、第七師団長と参謀長が首を竦めている。
グロースクロイツは言い過ぎたとばかりに頭を振って、再び静かに話し始めた。
「とはいえ、このまま戦っても敗北は目に見えておる。惜敗であれば、まだいい。このままでは大敗、いや――惨敗というべきであろうな。故にこそ、なるべく多くの兵を整然と撤退させ、故国へ帰さねばならんのだ」
悔しさの滲む大公の顔を見て、幕僚達は息を飲んだ。現実を見れば、まさにその通りであった。
「しかし閣下。整然とした撤退など、敵が許しますまい。少なくとも三方から押し迫る敵を、誰かが食い止めませんと……」
第七師団長が額の汗をハンカチで拭いつつ、恐る恐る言う。
強面の大公がふっと笑みを見せ、大きく頷いた。
「卿の言う通りだ、第七師団長。ゆえに、殿軍は私がやる。此度の敗戦は偏に私の責任。ならばその程度のことを引き受けるのは――……当然のことであろう」
「は、え? いや、お待ちください、閣下! 閣下こそプロイシェ軍の要! 閣下に万一のことあらば、我が国は如何なりましょうや!?」
参謀長が蒼白にした顔で、両手をブンブンと左右に振っている。質実剛健、冷静沈着をモットーとするプロイシェ軍人には似つかわしくない動作であった。
「そうでもないさ。私がいなくとも、ジークムントがおる。あやつめ、この状況下で兵を纏めて故国へ帰れば、敗戦とはいえ――……いや、敗戦だからこそ、国王陛下は周囲の目を逸らすためにもヤツを英雄と祭り上げ、中将、あるいは大将へ昇進させるであろうさ」
「しかし、それでは我が国軍はどうなるのですッ!?」
「フフッ。参謀長、卿の目は節穴か? あれは私などより、よほど才の有る男だよ。故に卿らはジークムントをよく盛り立て、支えてくれ。さすればプロイシェは、必ずや千年栄える王国となろう」
負け戦だというのに、まるで憑き物の落ちたような顔でグロースクロイツは言う。周囲の者は、これが彼の遺言なのだと理解した。国の柱が、ポッキリと折れた瞬間であった。
「すまんが私と共に死んでもらう者が、五百は必要だ。誰か志願者はおるか?」
周囲をぐるりと見まわしたグロースクロイツを前に、幕僚達が立ち上がる。
今まで追従するばかりだと思ってた部下が、みな目を吊り上げていた。怒っている。グロースクロイツは、小さく首をかしげていた。
参謀長の一言が、全員の気持ちを代弁する。
「ジークムント殿下には申し訳ありませんが、小官はグロースクロイツ閣下の参謀でありますれば。せめて最後まで、そうありたく存じます。皆も同様にて、あまり見損なわないで頂きたい」
強面の大公は小さく頷き、「馬鹿どもが……」と言う。だが、その声は掠れていた。
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清々しい絶望感と共にグロースクロイツが最後の反撃に出ようというところで、あらぬ方角から鬨の声が上がった。
既にプロイシェ軍の陣営はフェルディナント軍に踏み込まれ、グロースクロイツがいる本営まで先鋒の部隊が迫っている。これを一時でも押し返し、味方を少しでも多く逃がそうと言う時であった。
何が起きたかは分からない。けれどフェルディナントの軍勢が大きく乱れ、統率を失っている。グロースクロイツは好機とばかりに馬を駆り、彼に付き従う三千ほどの兵が共に駆けだした。
「あれは――……」
グロースクロイツはフェルディナント軍の本隊を挟んだ西の先に、プロイシェの軍旗が翻る様を見た。見慣れた黒地に黄色で描かれた双頭の鷲だ。しかもⅤと記載されているから、第五師団である。
「大公閣下、ジークムント殿下の援軍ですッ!」
「分かっている、あの馬鹿者めッ! 敵の背後を衝くとは、粋な真似をッ!」
グロースクロイツの中で絶望は希望へと姿を変え、口元には傲然とした笑みが浮かんだ。
ジークムントの第五師団は一角獣旗を一直線に目指し、突き進んでいる。それを見れば甥の狙いは一目瞭然、明らかにヴィルヘルミネの確保であった。
「乾坤一擲ッ! ヴィルヘルミネを捕えれば、我等の勝ちぞッ! この際だ、殺しても構わんッ!」
グロースクロイツは叫び、馬に鞭を入れる。
「で、では、やはり全軍を呼び戻しますかッ!?」
僅かに遅れて馬を駆る参謀長の声も、僅かに弾んでいた。
「無用ッ! 今からでは間に合わんッ!」
こうしてフェルディナント軍が三方からプロイシェ軍を包囲する中で、ヴィルヘルミネの本営が前後から挟撃されることとなり。けれど赤毛の令嬢は未だ余裕をぶっかまし、鼻提灯を膨らませているのだった。
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