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53 東部国境防衛戦 17


 ブレーディカーの死に多少なりとも同情してしまったロッソウは第八十二歩兵連隊の援護をしつつ、後任となった副連隊長を呼びつけた。

 もともとブレーディカーの歩兵連隊が劣勢に立たされた理由は、グロースクロイツが率いた騎兵による攻撃のせいだ。ロッソウの騎兵がこれに対応すれば、状況が再び拮抗するのは当然である。


「小官が連隊の指揮を引き継ぎました、キンベルガー大佐でありますッ!」


 いかにもプロイシェ人らしく金髪を短く切りそろえた眼光の鋭い青年が、ロッソウを前に敬礼をした。上官の死を嘆いているのか、灰色の両目は赤く充血した状態だ。

 身長はさほど高く無いが、動作はキビキビとしている。銃剣バヨネットの先端が血に汚れているから、既に敵を幾人か屠っているのだろう。


「ブレーディカーの件は、気の毒であったの。ワシがあと一歩早く到着しておれば、むざむざ死なせずに済んだものを……」


 ロッソウの言葉に、キンベルガーは下唇を噛んでいる。戦いの続く中、悲しみに暮れている場合ではない。けれどフェルディナント軍の大幹部から掛けられた言葉が余りにも温かくて、涙が溢れそうになっていた。


「ロッソウ閣下のお言葉で、ブレーディカー閣下も報われましょう。この上は必ず、フェルディナント公国の勝利に貢献致しますッ!」


 目に涙を堪えるキンベルガーを見て頷き、ロッソウは言葉を続けた。


「うむ。お前さんがそう言ってくれれば、ワシとしてもやりやすい。そこでじゃ、キンベルガー大佐。勝利を目指す為に、お前さんにはワシの指揮下に入って貰いたいのじゃが――……。

 まあ別個に戦っても良いし元々はそのつもりだったのじゃが、しかし、その方がお前さん達の損害を減らせるじゃろう。どうかの?」

「ありがたい申し出と存じますし、この状況下にある以上、小官に否やはありません」

「よろしい、ならば作戦の概要を説明しよう。我が軍の本隊が、夜明けと共に敵陣への総攻撃を開始することは、既に聞き及んでおるか?」

「いえ、詳しくは何も……」

「そうか。では、総攻撃があるものと考えてくれ。それまで今から凡そ一時間ほどじゃが、その間に敵を攪乱させることがワシらの任務なのじゃ」

「攪乱――……でありますか?」

「うむ。当初はワシがひたすらグロースクロイツを付け狙い、攪乱させようと思うておったのじゃが。お前さんが協力してくれるのなら、話も大分変るでのぅ」

「つまり我々がプロイシェ軍――いえ、敵を攪乱させる、ということですね?」

「そうじゃ。やれるか?」


 キンベルガーは二度ほど瞬きをしてから、「出来ます!」と大きな声で答えた。


「小部隊に別れて敵中へ分け入り、発砲するなどして同士討ちを誘発させることならば、十分に可能でしょう」

「よし。ではワシが一度突撃を仕掛け、敵軍を後退させる。その間に敵中へ幾つかの部隊を潜り込ませ、存分に攪乱してやるのじゃ」

「はッ! しかし、それはそれとして、閣下がグロースクロイツを付け狙うという戦法も、同時に行っては如何でしょう。さすれば敵は、全体の指揮統率を欠くことになるかと。

 何せグロースクロイツが指揮を執らないとなれば、第七師団長が司令官代理を務めることになりますから――……あの男は果断さに欠けますし、混乱した部隊を収集しつつ総攻撃に耐えるなど、到底不可能でしょう」


 ロッソウは目を細めて若い大佐を見つめながら、「面白い事を言う若造じゃの」と口元を歪めていた。


「ふん、狙うに決まっておろう。じゃが――……なんじゃ、その顔は。お前さんもヤツを狙いたい――と言わんばかりじゃのう? 敵を攪乱している最中にでも、背後から狙ってみたらどうじゃ?」

「確かに准将の仇を討ちたい、とは思います。ただ、夜陰に乗じて背後から撃つというのは、あまり小官の好みではありませんし、今は任務を優先したく思います」

「ふっふ、その意気や良し。見事任務を果たせば、ミーネ様へのお目通りを、ワシから願い出てやろう――しかと励めよッ!」

「はっ!」


 ロッソウは手綱を引き、馬腹を蹴った。彼の後にはフェルディナントの精鋭たる重装騎兵が続き、グロースクロイツが指揮する騎兵に突進した。


 白髪の老将が指揮する部隊は強く、グロースクロイツ麾下の部隊を散々に蹂躙する。

 一対一でぶつかれば、誰もロッソウ麾下の騎兵には敵わない。グロースクロイツは舌打ちを一つして、悔しそうに命令を下す。

 

「鬼人の騎兵と、まともにぶつかってはならん。戦うならば、必ず二人一組で当たれッ! 歩兵は後方へ下がり、距離をとるのだッ! 方陣で固めよッ! 敵はすぐに攻撃限界点に達するぞッ!」


 グロースクロイツの命令は適切であり、ロッソウの攻撃もすぐに限界点を迎えた。

 けれど、その時にはキンベルガーが指揮する四個分隊八十名がプロイシェ陣営の内側深くへ入り込み、そこかしこで同士討ちの種を仕込んでいるのだった。


 ■■■■


 午前五時二十分。東の空から淡い朱色の光がじんわりと広がっていく。幸いにして分厚い雲の切れ間から、朝日が覗いていた。

 

「砲戦用意」


 グロースクロイツ陣営の西から南にかけて全軍の展開を終えたヴィルヘルミネが、指揮杖を手の内でピシリと鳴らしている。


「撃つのじゃ」


 高々と掲げたヴィルヘルミネの右腕が、真っ直ぐ前に振り下ろされた。

 敵陣の土塁に砲弾が落ち、土砂を辺りに振りまいていく。反撃が無いのは攪乱作戦が功を奏したからで、赤毛の令嬢は口元を綻ばせていた。とても悪い子に見える笑顔だった。


 現在、彼我の兵力は僅かながら逆転している。

 フェルディナント軍が約二万であるのに対し、プロイシェ軍は一万九千に過ぎない。

 しかも主将たるグロースクロイツがロッソウに釘付けにされているから、全体の指揮は第七師団長が執っていた。第七師団長はグロースクロイツに比べ、指揮統率能力が数段劣っている。


 こうしたことからプロイシェ軍の動きは鈍重であり、フェルディナント軍の総攻撃に対し、組織的な抵抗すら出来ない有様だ。

 とはいえ、フェルディナント軍にも問題はある。なんと敵を舐めきった赤毛の令嬢は、勝てると思った途端に眠くなったのだ。


 だって考えてもみて欲しい。もともと体力に乏しい彼女が、午前二時に起きたのだ。当たり前だが、もう限界。五時間睡眠なんて、お昼寝と同じである。ウトウト、ウトウト……と、ヴィルヘルミネは馬上で船を漕いでいた。


「頃合いですな。全軍に前進を命じますか?」


 トリスタンは敵の様子から、勝機だと感じている。だが参謀総長という立場上、自ら命令を発することは出来ない。だから令嬢に助言をしたのだ。

 

 一方、ヴィルヘルミネは夢うつつ。目の前には大量のケーキが広がっていた。

 青空に浮かぶケーキ、大海原に浮かぶケーキ、大地を転げまわるケーキ。ケーキ、ケーキ、ケーキ。

 夢の中、涎だらだらケーキへ這い寄るヴィルヘルミネの耳に、トリスタンの声が聞こえてきた。「これ全部、食べますか?」


「んむ……食らいつくすのじゃ……むにゃ、むにゃ」

「御意。全軍、百歩前へ出て一斉射! そののち、突撃するッ!」


 トリスタンは自分の助言に対し、前進どころか「喰らい尽くせ」と、突撃を命じるヴィルヘルミネの戦術眼に舌を巻く。


 ――流石はヴィルヘルミネ様。勝機とみれば躊躇なく攻めよ、との仰せかッ!


 またしても、酷い勘違いである。

 そんな訳でフェルディナント軍は、いよいよプロイシェ軍を押し潰そうと前進を始めるのだった。

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