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51 東部国境防衛戦 15


 午前四時、ジークムントはフェルディナント軍が夜営していた地点に到達し、愕然とした。もぬけのからだったからだ。

 そもそも彼の作戦はヴィルヘルミネがグロースクロイツの本営に攻撃を仕掛ける前に出向き、先に夜襲を仕掛ける――というもの。裏をかくつもりが、その裏をかかれてしまった。

 もちろん赤毛の令嬢にそんなつもりは無かったが、お陰でジークムントはヴィルヘルミネの評価をまた一段と高くしてしまったのである。


「――これが、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナンド。私の夜襲すら、読んでいたというのかッ! やはり軍事の天才は、一筋縄ではいかないッ!」


 下唇を噛んで虚空を睨み、ジークムントが夜空に吠える。軟体王子にしては珍しく、硬直する身体を震わせていた。


「となると、大公閣下の救援は諦めますか? 私としては、その方が宜しいと存じますが……」


 バルヒェットも意外そうに辺りを見渡している。しかし彼女は作戦自体に反対なので、ヴィルヘルミネがいなくても問題は無かった。

 むしろジークムントにはヴィルヘルミネと戦って欲しくないから、やんわりと撤退を勧めている。


「いや、後を追う。どうせ行く場所は分かっているんだ。今、叔父上を討たれるわけにはいかない」

「賛成致しかねます。今回の件はグロースクロイツ大公が招いた結果ですし、たとえ追いついたところで、必ずしも我が方有利とは限りません。最悪の場合、ジークムントさまの身に危険があるやも……と」

「ブリュンヒルデ、君は私が彼女に後れをとると思うのかい?」

「……はい。戦績を見れば分かりますが、アレは化け物の類かと。少なくとも五倍以上の兵力差が無ければ、戦うことはお勧め出来ませんね」

「フフッフー、随分とハッキリ言うねぇ――……けれど、私もそう思よ。しかしながら、人には何かを為さねばならない時がある。私にとっては、今がその時だということさ」


 ヴィルヘルミネには自分と同等かそれ以上の才能があることを、このときジークムントは素直に認めている。もちろん、こうしたことも彼の器量を示す材料だ。


 しかし残念なことに、そもそもヴィルヘルミネに対する評価が間違ってる。大きな勘違いだ。ジークムントとヴィルヘルミネの才能は、だって象さんとアリンコくらい違うんだもの。


 それでもヴィルヘルミネがこの場から離れジークムントの奇襲を躱した訳は、寒くて寒くて動きたかったから。

 まさか、そんな理由で攻撃開始時刻を早めるなんて、バルヒェットでも気付けない。まったくもって事実とは、小説よりも奇怪なのであった。


 ■■■■


 午前四時十分、ヴィルヘルミネは敵陣へ向けて砲による威嚇射撃を始めた。これは敵方へ紛れた味方に内応を促す為であり、弾は全て明後日の方向へ撃っている。


「作戦を説明せよ、トリスタン」

「は。まずは灯火の無い場所へ向けて砲撃し、内応者であるブレーディカーに我等の存在を知らせます」

「で、あるか」

「次にブレーディカーが天幕に火を掛け、陣営の門を開きます」

「ふむ」

「門が開いたら騎兵部隊を突入させて、敵陣を混乱させましょう。主将のグロースクロイツも、必ず前線に出てきますので……」

「むむ、何ゆえか?」

「彼の性格によるものです」

「で、あるか」

「歩兵部隊による攻撃は同士討ちを避ける為、夜が明けるまで待ちます」

「ふむ……それではしかし、内応した者はどうなるのじゃ? いかに我が軍の騎兵部隊が突入するとはいえ、一個連隊規模で敵中に孤立するのは、少々危険ではないか?」

「むろん、その点は覚悟しているでしょう。なにせ味方を裏切るのですから」

「じゃがなぜ、それ程の覚悟をしてまで、ブレーディカーなる男は味方を裏切るのか?」

「それは――……もしも彼が生きていたら、直接お聞きください」

「で、あるか」


 夜襲に関してヴィルヘルミネに対してトリスタンがした説明は、このようなものであった。


 ――ブレーディカーが信頼できぬ男じゃったら、どうするんじゃろ?


 なんてことを考えながら、ヴィルヘルミネは砲戦の指揮を執る。といって、あらぬ方向へ砲弾を撃ち出すだけであったから、簡単なお仕事だ。

 

 一方、ヴィルヘルミネに猜疑心を抱かれてるとも知らないブレーディカー准将は、砲声とあらぬ方向に落ちた砲弾を見て天幕から飛び出し、即座に部隊を招集した。


「我が第八十二歩兵連隊は、これより白い腕章を付けよ! 我等はこれより、フェルディナント軍となる! さあ、敵は陣営内にいるぞッ!」


 突然のことに兵卒は目を白黒させたが、彼等にとって連隊長の言葉は神の声にも等しい。ましてや指揮官は目を爛々と輝かせ、紅潮した頬にやる気を漲らせている。

 兵卒も彼の熱気に当てられ命令に従った。誰もが先程まで寝ていた天幕に火を掛けるや、昨日までの味方に対して銃撃を開始した。


 ■■■■


「何事かッ!?」


 突然の物音に飛び起きたグロースクロイツは天幕を出て、遠くで燃え盛る炎を睨んでいる。


「敵襲でありますッ!」


 駆け付けた部下が叫び、強面の大公は「ふむ」と顎に太い指を当てた。


 ――敵襲だとして、なぜ燃えている天幕が集中しているのか? 視界の悪い夜間の事、灯火のある地点を全て狙えば、こうはなるまい……?


 ジロリと炎の方角を睨み、グロースクロイツは考えた。違和感が背筋を這いあがり、首筋を撫でる。だが、長考している余裕は無さそうだ。

 敵の砲弾が次々と放たれ、ヒューと不気味な風切音を鳴らしていた。今度は炎を避けるように、その周辺に砲弾がばら撒かれている。ある意味で、どこまでも正確な射撃であった。


「ええい! まずは敵の砲の位置を特定し、反撃しろッ! それから陣営の中へ入られぬよう、防御を固めるのだッ!」

「大公閣下! 閣下ッ! すでに陣営内部にも敵がいますッ! 攻め込まれましたッ! 急ぎ退避なさって下さいッ!」


 グロースクロイツの命令に、慌てふためく部下の報告が重なった。


「なにッ!?」


 ジロリと部下を見下ろして、グロースクロイツは引かれた馬に飛び乗った。

 

 ――陣営には常に歩哨が立っていた。ならば敵軍の接近は察知できる筈だし、そもそも陣営の周りは空堀と柵で覆ってある。これを無傷で突破するなど、あり得ん。ならば、考えられることは一つしかない。裏切り者がいるのだッ!


 グロースクロイツはあっさり真実に到達すると、いま炎を上げている場所へ兵を送るよう命令を下す。その判断は迅速であった。


「いや、私が自ら兵を率い、そこへ行くッ! 問題の根幹を見極めるには、それしかないッ!」


 けれど、恐るべきはトリスタンだ。彼はここしばらくグロースクロイツと対陣した経験から、その性格を読み切っていた。だから最前線に出てくるだろうことを、予測していたのである。


「ロッソウ少将をここへ」


 トリスタンの低く流麗な声が響き、暫くして白髪の老将が姿を現した。


 ■■■■


「ロッソウ将軍。炎が上がっている地点には、味方がいる。指揮官はブレーディカー准将という男で、プロイシェ軍の第八十二連隊を率いています」

「ふん、裏切り者か。大方、准将でありながら旅団長にもなれんと、腐っておったのじゃろう? そんな男、信用できるのか?」

「作戦が成功した暁には、フェルディナント軍少将の地位を約束しています」

「フ、フハハ! 参謀総長、まさか卿が宰相殿やリヒベルグの真似事をするとは、思わなんだ! ワシの同類だと思っておったが、卿も案外と策士だのう?

 だが、まあ良い。ワシはワシじゃ――……行けと言われれば、どこへでも行こう。そしてミーネ様の御為、あらゆる敵を屠ってくれようぞ。さあ、何なりと命令をッ!」


 ハルバードを持つ腕をゴキゴキと鳴らしながら、ロッソウが苦笑している。彼が乗る大きな黒馬は前足で土を掻き、早く突撃がしたいと言わんばかりであった。


「それは頼もしい――では、騎兵の指揮をお願いしても宜しいですかな、ロッソウ殿」

「ああ、任せろ。グロースクロイツを狙い、敵を混乱させるのが目的じゃな?」

「はい。グロースクロイツは必ずや、最前線へ出てきます。恐らくブレーディカーでは彼を止められないでしょう。ですから……」

「なんじゃ、ワシは抑え役か?」

「はい。夜明けと同時に、全軍に突撃を命じます。それまで、どうか」

「フフン、全軍が突撃するまでも無く、それまでにワシがグロースクロイツめを討ち取れば良いのじゃろう?」


 不敵に笑ったロッソウが、騎兵連隊二千を指揮して敵陣へ雪崩れ込む。

 プロイシェの宿将とフェルディナントの宿将が激突するのは、もう間もなくのことであった。

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