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50 東部国境防衛戦 14


「……さ、寒いのじゃ」


 午前二時――五時間ほど眠ったところで、赤毛の令嬢は目を覚ましてしまった。なにせ普段は戦場であっても天幕の中で暖炉に火を入れ、ぬくぬくと眠っていたヴィルヘルミネだ。焚火すらない冬空の元、毛布を数枚重ねただけで長く眠れるはずが無い。


 それでも大っぴらに文句を言わない辺り、公爵令嬢としては随分と我慢強いヴィルヘルミネだが、肉体の基本性能は他のワガママ令嬢達と大差ないので、ブルブルと震えながら鼻水を啜っている。


「余は、死ぬのか」


 ちょっとした肉体的苦痛で超弱気になり死を間近に感じてしまうヴィルヘルミネは、他人の痛みは分からなくとも自分の痛みには敏感なのである。


 となりで眠るゾフィーは、「ムニャムニャ、ミーネしゃまぁ……」と可愛い寝言を言いつつ爆睡中。彼女は主君と真逆の特性を備えているから、自らの苦痛にひたすら鈍感である。なので自分の毛布をヴィルヘルミネへ渡し、たった一枚の毛布に包まっただけで眠っていた。


 ――これ、ゾフィーと一緒に眠れば暖かいんじゃなかろうか? 毛布も一緒に使えばプラス一枚じゃし、じゃし。


 そんな訳でヴィルヘルミネはゾフィーの上に毛布を掛けて、そっと中へ入ろうとしたのだが。何かしらの気配を感じたのか、ゾフィーがいきなり目を覚ましてしまった。


「ヴィルヘルミネ様……そんな! 毛布なんて恐れ多い! このままでも十分わたしは眠れますから、気を使わないで下さいッ!」 


 金髪の親友は、どんな環境でも眠れる豪胆な性格だ。けれど純粋戦士である分、人の気配には敏感だった。

 しかもヴィルヘルミネが毛布一枚だけで眠る自分を心配して、そっともう一枚掛けてくれたのだと勘違いをしている。


 ヴィルヘルミネとしてはゾフィーの体温プラス、毛布をもう一枚。よって、余、ぬくぬく! 大作戦だったのに、こうなってはもう後には引けなかった。

 

「このような真冬にいくさなど、ゾフィーには苦労を掛けるの……」


 こんなことをほざくしかない赤毛の令嬢は今、信頼という名の真綿で首を締め上げられ、「クェェ……」と奇声を発してしまうガチョウの気分である。


「いえ、そんな。幼いあの日、ミーネ様に救って頂いたご恩を返せるのなら、どのような艱難辛苦があろうとも、決して厭いませぬ。ですからこの程度のいくさ、望むところです」


 将兵の寝息が静かに聞こえている。そんな中だからゾフィーは声を潜め、そっとヴィルヘルミネの両手を握った。温かい言葉を紡ぐ主君の手が、氷のように冷たかった。

 そんな時だ、シャッ、シャッ――という不吉な音がどこからか聞こえてきて……。


「む?」

 

 基本ビビリなヴィルヘルミネが、紅玉の瞳をキョロキョロと忙しなく動かした。といって夜目が利くわけもなく、うすぼんやりとした世界を無為に見回しただけである。


「この音は……ヴィルヘルミネ様、わたしの後ろへ」


 ゾフィーが立ち上がり、腰の刀剣サーベルに手を当てる。彼女は夜目が利くので、音の方向へ目を向けた。


「……なんだ、エルウィン卿ですか」

「すまない、起こしてしまったようだね」


 仕方なくゾフィーと同じ方向を向いたヴィルヘルミネの目に、ピンクブロンドの髪色をした背年が映った。どうやら彼は薄闇の中で、刀剣サーベルを研いでいたらしい。


「何じゃ、エルウィン。何もこのような時間に研がずともよかろうに……」


 言いながら、ヴィルヘルミネがエルウィンの方へ歩いていく。ビックリして目が覚めたので、暇だったのだ。


「ヴィルヘルミネ様も起こしてしまいましたか。これは、すみません」 

「いや……別に、卿のせいではないのじゃ」


 ヴィルヘルミネは物憂げな表情で言った。寒かったから目が覚めたのだと正直に言えば良いものを、なぜだか意地になって言い出せない。

「むぅ」などと唸っているうちに、そこかしこから咳やクシャミの音が聞こえてきた。


「今夜は特に冷えますね。兵もきちんと眠れていれば良いが……」

「なんじゃ、エルウィン。卿も寒くて眠れなかったのか?」

「いえ、多少は眠りましたよ。ただ、この寒さですからね。凍死する兵がでないかと見て回ったりしていたら、目が冴えてしまいました」

「で、あるか」


 ――考えてみれば、余は一人で厚手の毛布を五枚も使っておった。それでも寒かったのに、兵達は一枚か多くても二枚じゃ。寒くて当然じゃし、それでは眠れるはずもない。となれば休息を長引かせるのは得策にあらず、じゃの。


 という謎理論を展開したヴィルヘルミネは、とにかく温まる方法を考えた。基本的には自分の為だ。考えた結果、答えは簡単に出た。人が暖を取る方法など、極論すれば二択である。身体の外から温めるか、内側から温めるか――しか無いのだ。


 今回の場合、外側から温める方法は論外である。すると内側から温める他無いが、酒はダメだ。ならば、運動するしかない。動いて、それを熱へと変換させるのだ。


 ――ようし、余、冴えてる! 冴え渡っておる!


 ヴィルヘルミネは、自ら勘違いしていくスタイルらしい。


 ともあれ令嬢の決断は早かった。動くとなれば、進軍の再開である。

 どうせ一度目の夜襲は終わっていることだし、今から行動を開始したところで進軍予定が一時間ほど早まるだけ。だったらさっさと決着を付け、安心して眠った方がお得だろう。その方が兵もこれ以上、寒さに震えなくとも済む。

 よって赤毛の令嬢は「ズズッ」と静かに鼻水を啜り、エルウィンに言った。


「予定変更じゃ、今より進軍を再開する」

「え、しかしまだ将兵が十分な睡眠をとったとは言えませんが……」

「異なことを言うの、エルウィン。卿とて皆が心配で起きていたのじゃろう?」

「あ、いえ、僕は――……」

「そもそも、この状況下で悠然と眠れる者は少ないのじゃ。眠れる者は、よほど強靭な肉体を持っておるか、それとも神経が麻痺しておるだけじゃろう」

「えっ……」


 しっかり眠っていたゾフィーは、思わず両頬を押さえて赤面した。「え、わたし神経麻痺しているのかな?」なんて不安になったのだ。けれど羞恥でモジモジとする彼女の表情は、暗がりなのでバレなかった。


「それにの、妙な胸騒ぎがするのじゃ」


 胸元に手を当て、それっぽく言うヴィルヘルミネは演技をしていた。流石に寒いから進軍開始とは言えず、だからと言って適当な言い訳も無い。だが軍事の天才と言われる自分の「胸騒ぎ」なら、進軍を再開させる理由としては十分であろう。


 そうしたヴィルヘルミネの発言に、エルウィンの瞳が不安そうに揺れる。天才の一言は重い。彼は即座に命令を実行に移すべく、行動を開始した。


「御意、それでは近衛連隊に起床を命じます」

「よし。そうと決まれば、余はトリスタンを起こしてくるのじゃ」


 エルウィンを納得させたことに気を良くして、ヴィルヘルミネはペンを手にトリスタンの下へ向かった。起こす前に、ちょっとだけ顔に落書きをしようと思ったのだ。すっかり調子に乗った、ポンコツ令嬢である。

 けれど暗がりで、顔の部位がよく分からない。だからヴィルヘルミネは顔を近付け、トリスタンをまじまじと見つめた。


 ――ほっぺたに渦巻きでも描こうかの。それとも無難なところで、瞼に目じゃろうか……いや、ここは一つ、黒い唇でいこう。


 そうして赤毛の令嬢はペン先をチョン、と参謀総長の唇に付けた。その時だ。彼の瞼が開き、二色の瞳が露になって……。


「――か、閣下、いったい何を……!?」


 ヴィルヘルミネは慌てて手を引っ込めた。だが暗がりだったから、顔が異常に近かった。まるでキスをした後みたいになっていた。


「な、何でもないのじゃ……!」


 ヴィルヘルミネはペンを隠すように手を後ろで組み、内心で「あぶねー!」と思っていた。ビックリして超ドキドキである。


 ――いきなり目を覚ますんじゃもん! 驚きじゃ!


 トリスタンは自らの唇に指先で触れ、先程のチョン、とした感触を思い出してみる。


 ――ヴィルヘルミネ様が、私にキスを? まさか、いや。そんなことが――……あったらいいな!


 トリスタンはヴィルヘルミネとは別の意味で、とってもドキドキした。十三歳の少女に、三十間近の男がときめいている。軍人としては大陸屈指の男が、思春期の少年みたいな気持ちになっていた。


「トリスタン、進軍を再開させよ。この寒さの中、これ以上の休息は敵軍以上に危険である」

「キス……ではなく、御意」


 色々と思う所のあったトリスタンだが、全てを覆い隠して令嬢の命令に服す。

 こうして総員を起こし、フェルディナント軍は進軍の準備を整えた。結果として予定よりも一時間早く、彼等は進軍を開始したのだった。

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[良い点] お疲れ様でした。 流石ミーネ様! 神がかってるぅ!!
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