47 東部国境防衛戦 11
二十三時二十分までに第五師団司令部へ齎された情報は、三つの敗北と一つの勝利を伝えるものであった。
「先ほどフェルディナント軍の夜襲をグロースクロイツ大公閣下が退けられた由、ここにお伝え致しますッ!」
「ふぅん。で、叔父上は私にどうしろと仰るのかな?」
ジークムントは薄笑みを浮かべながら、伝令将校の報告を聞いている。
「ですから、何も心配することは無いとの仰せでした」
「つまり第三、第六師団はヴィルヘルミネに敗れ、第二師団はベーア=オルトレップに敗れた――けれど叔父上が夜襲を退けたことで、何とか我が軍は面目を保った、という話だね。
……フェルディナント軍の夜襲が、本当にこれで終わりなら、だけど」
「と、申しますと?」
「いや、何でもない。フフッフー」
地上が闇の領域に侵されてから、はや数時間。冬の夜は底冷えがして、司令部天幕の中にあっても各人の吐く息は白い。そんな中で伝令将校の報告を聞いたジークムントは、長机を囲む幕僚達に苦笑して見せた。
――ヴィルヘルミネが仕掛けた夜襲は、擬態さ。あえて早い時間に仕掛け、撃退したと思わせてこちらの油断を誘う。だとしたら本格的な攻撃は払暁といったところか。
「小娘の夜襲を防がれるとは、流石は大公閣下だ」
「全くです。とはいえ、我等はいつまでここに、留め置かれるのやら……」
「あの小娘のことだ、このまま引き下がるとも思えん。我等は警戒を怠らず、いつでも戦える体制を整えておくべきであろう」
「然り」
幕僚達が互いの顔を見合わせ、口々に言う。
軽薄の仮面を顔に張り付けたジークムントが、彼等をゆっくりと見渡した。
ギュンダーから引き継いだ第五師団の幕僚は、みな優秀だ。何事かを命令すれば、誠実かつ確実に実行してのける。まるで機械のように無慈悲で精密な彼等は、今やジークムントにとって必要不可欠な存在だ。
けれど話し合えるのは精々が戦術レベルまでで、戦略や、ましてや政略について話し合える部下達かと言えば、それは違う。彼等は能力の不足か意志の不足により、大きな視点で物事を見ようとしないのだ。
むろん、これは部下としての美点でもある。だが同時に、ジークムントは僅かばかりの物足りなさを感じてもいた。
現に今もヴィルヘルミネが夜襲を行った意図(本当はトリスタンの作戦)を、正確に把握している者はいない。みなグロースクロイツから齎された情報を鵜呑みにし、その背後にある危機に目を向けようとしないからだ。
そんな時のことであった。第三師団参謀のブリュンヒルデ=フォン=バルヒェット中佐が、ジークムントの下へ姿を現したのは。
「い、急ぎジークムント王子に、ご報告申し上げねばならぬことがあり……ます……ハァ、ハァ」
ボロボロになった軍服で、足を引きずりながら第五師団の幕僚が揃う司令部天幕に姿を現したバルヒェット中佐は、彼等の前で力尽きたかのように膝を折る。ドサリと音がして、彼女は前のめりに倒れた。
「しっかりしろ!」
末席にいた幕僚が、バルヒェットに肩を貸す。彼女は力なく微笑み、「申し訳ありません」と項垂れた。
「だ、大丈夫です、それよりも、早くご報告申し上げねば……」
弱々しく立ち上がり、バルヒェットは震える右手で敬礼をした。
むろん――彼女は弱ってなどいない。全ては少しでも哀れに見せる為の、自作自演の演技である。
まさか戦う前に第三師団から逃亡したとバレては、たまらない。だから必死に戦ったけれど、命からがら戦場を離脱した――という体にしたのだ。
――まぁ、こんな演技に騙されるようなら、ジークムントもハズレなのだけれど……。
などという不遜なことをバルヒェットが考えているなど、誰も思わない。
ジークムントは薄笑みを浮かべて黒髪の女性士官を見つめ、軽く答礼をした。
「そう、慌てるな。まずは水を飲み、喉を潤すがよい。そのあとで、ゆっくり話を聞こうじゃあないか。なに、慌てなくとも敵は攻めてこないし、私は逃げたりしないのだから」
「はっ、では失礼致します」
杯に注がれた水を一息に飲み、バルヒェットがキョロキョロと辺りを見渡した。多すぎる黒髪がフワフワと揺れ動く中、ぴっちりと揃った前髪だけは微動だにしない。その下で怪しげな緑眼だけが、爛々と輝いていた。
――ふぅん。幕僚の中に優秀なヤツは、いない、と。
■■■■
――白々しい演技をする。味方を見殺しにして、おめおめ逃げてきただけだろう。叔父上の下へ行ったのでは見破られるから、甘く見える私のところへ転がり込んできた、というところか。舐められたものだな……。
ようやく人心地ついたと胸を撫で下ろすバルヒェットを見て、ジークムントは冷笑を浮かべていた。命惜しさに下らない演技をしているような人物なら、さっさと殺してやろうと思っている。
だが、そう思うのも別にジークムントが冷酷だからではない。本来の彼は卑怯も臆病も人の性だと思っていた。だから逃げ出す者も闇討ちをする者も嫌いでは無いし、非難する気もサラサラ無いのだ。
けれど一方で、それらの行為を言語によって飾り立て正当化し、本来あるべき非難の声から逃れようとする輩だけは好きになれない。
つまりジークムントはこの時、バルヒェットが「怖かったから逃げた」と正直に話せば助けるが、一方で「必死に戦ったけれど、味方からはぐれた」などと言うなら、敵前逃亡で断罪しようと決めたのである。
もっともバルヒェットは敵前逃亡をしたが、正直に言えば「怖かったから逃げた」のではない。ジークムントのところへやってきた理由は確かに「助かる為」ではあるが、それ以上に彼女は果たしたい目的を持っていた。
彼女はプロイシェの社会体制が大嫌いなのだ。ぶち壊したい。けれど女伯爵という立場は、それをするには微妙過ぎる。だから宿り木を必要としていた。
それはヴィルヘルミネでも良かった。彼女は古い封建制を一気に崩し、いとも容易く中央集権の政府を作り上げた実績もある。
けれどヴィルヘルミネには、既に十分な人材がいた。自分の居場所を確保するだけでも、五年くらいは掛かりそうだ。それにプロイシェの破壊という目的を告げても、彼女が動くとは思えなかった。
だからバルヒェットはジークムントの瞳に鬱屈した猜疑が宿っている様を見て、ゾクゾクとしている。「この王子は、当たりかも知れない」と思っていた。現代人で言えば、SSRのレアキャラを引き当てた気分、とでも言えば良いのだろうか。
だがバルヒェットは、べつに忠誠を尽くそうというのではない。ジークムントの身分も権力も、何もかもを徹底的に利用しようと考えているだけだ。
その一方で、自分が利用されても良いと思っている。最終的にどちらが食われるか――そういう話なのだ。彼女にとっては国家に対する復讐さえも、甘い毒入りの果実なのである。
――ギュンダーを囲おうとしていたから何かあると思っていたけれど、この眼は……いいねぇ。
バルヒェットが値踏みするように見返すと、ジークムントは殊更に冷徹な声を出して言う。
「で、報告というのは何かな、バルヒェット中佐。と、その前に、第三師団は壊滅したと聞く――にも関わらず参謀である貴官がこの場にいるというのは、いささか奇妙であろう。
これが、もしも敵前逃亡の結果だというのなら、私は貴官を銃殺にせねばならん立場なのだが――……しかし」
「おや。ジークムント殿下は、既に私の名をご存じでしたか。これはこれは、光栄の極みに存じます」
「知っているとも。貴官は女伯爵でもある――……だから敵前逃亡だとしても、その名誉を考慮し、自死でも構わないと私は考えているのだよ。というわけで、潔くしたらどうだい?」
「殿下は何か、勘違いをなさっておられます。私は何も、敵が怖くて逃げ出した訳ではありません。それよりも、ご報告申し上げたきことがあるのです。
むろん聞く、聞かないの選択の自由は殿下にありましょう。されど――……聞かずに私を死なせて損をなさるのは、殿下の方かと存じますが?」
「詭弁、ではなさそうだね。それなら君は、自分の命が惜しくは無いのかな?」
「私の命の価値は、あなたが決めるものだ。少なくとも今、この場においてはそうでしょう」
瞬間、バルヒェットの表情が変わった。そこには己を一切正当化しようという薄っぺらい言い訳など無く、まるで世界を俯瞰して見ているような凄みがある。
ジークムントの考えが俄かに変わり、金色の瞳には興味という彩りが添えられた。
「なるほど。そういうことなら貴官の価値を知る為にも、報告を聞かせて貰おうか」
「では、お人払いを願います」
「一中佐が、師団長を相手に人払いを望むのかい?」
「バルヒェット女伯爵として、お願いしておりますのよ、殿下。貴族の名誉を重んじるのなら、当然のことではありませんの?」
「フフッフ――……良いでしょう。皆、少しの間、出ていてくれないか」
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