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45 東部国境防衛戦 9


 軍帽の上に毛皮のフードを被り、つるつる頭を幾重にも覆ったオルトレップは前進を続けていた。


「うぅ、寒いのう」


 現代で言うところのアラフィフおっさんオルトレップは、冬の寒さが身に染みる。けれど六十歳を超えたロッソウが元気いっぱいだから、まだまだ老け込むわけにもいかなくて、なんだかなぁ――と思う今日この頃。

 少なくとも寒さに関しては、頭髪が一本も無いから他の人に比べて耐性が無いのだろう、なんて考え、余計に悲しくなるオルトレップなのであった。


 ――どうして俺は、白髪にならずにハゲちまったのかなぁ。


 そこはかとなく悔しい気持ちを抱きつつ、オルトレップは悠然と前方に展開する敵陣を見た。


 辺りは山腹にある台地で、一万もの軍勢を展開するには少々狭い。けれど敵は段々になった各所に陣営を設けて、こちらを待ち構えているようだ。

 そうした様子を望遠鏡で眺め、オルトレップは「よし」と部下に告げた。


「後方を確認しろ、ライナー大佐。そろそろ我等の退路を断とうと、敵の別動隊が回り込んでくるはずだ」

「ええ、こちらから見えないように、ぞろぞろと移動しているようですね。風が音を運んで来ますから――私の耳には、良く聞こえていますとも」


 ライナーと呼ばれた士官は砂色の髪を短く刈り込み、空色の瞳に底抜けな明るさを宿したイケメンである。だがそれよりも彼を特徴付けるものは、背中に背負ったバイオリンだ。

 といって彼は軍楽隊の一員ではなく、れっきとした連隊長である。にも拘らず楽器を持ち歩くこの男は、実のところ宮廷楽師を志望しているのだった。


「数はどの程度か、分かるか?」

「もちろん――……五千ってところでしょう。敵が一個師団なら、約半数ですね。しかしまぁ、敵さんはなんだって回り込むんでしょうね?」

「分らんか、ライナー。敵が欲しいのはフェルディナントへの侵入経路だ。となれば必要なのは橋であり、我々と戦うことは二次的な目的に過ぎん。

 だからこそ敵は我等を素通りさせて、通り過ぎたあとの橋を確保すべく動いた。そうと分かっていなければ、どうして敵前を堂々と進軍など出来るものか。

 ……まったく、もう少し用兵というものを学べ」

「はぁ……深く考えるのは、ちょっと苦手なもので」

「いつまでもそれでは、困るのだがな。まあいい、で、アンハイサー大佐。前方に見える敵の配置図は、もう描けたか?」


 自分を挟みライナーの反対側で駒を進める小柄な士官に、オルトレップは問いかけた。しかしアンハイサーはオルトレップに近寄り、「スンスン」と鼻を鳴らしている。質問には答えない。


「なんか、臭いっス……」


 そして、暴言を吐いた。


 アンハイサーは少女とも見紛う単身痩躯で、馬上にありながら画板を持ち、今も何やら絵を描いていたらしい。身体的な特徴は眠そうな鳶色の半目と、ぴょんぴょん跳ねた栗色の髪であろう。まずまずの美人だ。


 彼女は宮廷画家を目指していたのに、どういう訳か軍隊に入り今に至る。

 というか絵で生活するには音楽と同じくパトロンが必要で、それならヴィルヘルミネ様が良い! と考え軍隊に入って彼女の気を引こうとしたら、うっかり軍事的才能が開花してしまった。

 本人は正直コレジャナイ感でいっぱいだが、戦場にも画材を持ち込めるから、今のところ不平不満を漏らすことは余り無い。


 ちなみにアンハイサーもライナーも、共に今年二十四歳だ。つまりランスの英雄バルジャンと、奇しくも同年生まれなのである。


「止めないか、アンハイサー大佐。臭いとは何だ、臭いとは。こう見えてもハゲ――オルトレップ閣下は加齢臭を気にしておられる――……ああ、ハゲもだ。君も少しはデリカシーというものを持ってだな、臭いとか言うな。せめて……ハゲ、なんか匂いますよ? くらいにしておけ」

「え、またまたー! ライナー大佐こそ、そんなこと言って。ハゲ閣下が、ハゲを気にしているわけ無いっしょ? だって気になるなら、カツラを被ればいいじゃないっスか。あの貴族がみんな被ってる、クルクルってやつを」

「おいおい、ドライファ=アー、考えてもみろ。この禿熊にだ、カツラが似合うと思うか? 帽子すら似合わないのに。少しはハゲに気を使え、仮にも私達の上官なんだぞ!」

「ぐぬぬ……ウチはドライファ=アーじゃねぇっス。その呼び方は止めろっス。不愉快っス」

「アンネ=アンネ=アンハイサー! 立派に三つのアーが並んでいるじゃあないか!」

「コンチクショウ! バイオリンより剣が得意な、へっぽこ楽師のクセにッ!」

「なんだと!? 絵筆より銃が得意な、えせ画家の分際でッ!」


 ライナーとアンハイサーがオルトレップを挟み、キレそうな表情で睨み合っていた。けれど今キレていいのはハゲを連呼され、しかも質問に答えて貰えないオルトレップだけであろう。

 だがハゲはともかく、うら若き乙女に臭いと言われたことが、珍しくオルトレップの心を少し抉っていた。口髭を忙しなく摘まみながら、傷心のオルトレップが上目遣いにアンハイサーを睨む。ちょっぴり可愛いおじさんであった。


「おい――……アンハイサー。私はその……臭いかな?」

「あ、臭いッス。ヴィルヘルミネ様に嫌われない為にも、もう少し身だしなみに気を使った方がいいっス。それこそケッセルリンク閣下だって、最近はお風呂に入ってるんスから」

「え、アイツが? そうなのか?」

「そうっス。ああ、あと前方の敵陣は、こんな感じッスよ。ほら、描けたっス」


 アンハイサーは頷くと、胸の前に抱えていた画板をオルトレップに見せた。


「ようし、狙い通りだな」

「師団長が何を狙っていたのかは知らないッスけど、ウチらを呼んだのってやっぱり、敵本隊を叩け――って話っスか?」

「うむ、アンハイサー、その通りだ。敵は今、全軍を二つに分けている。そうすると当然、我が方と敵本隊の兵力差は無くなっている訳だからな。叩くには好機だろう?」

「となると私が左翼、アンハイサーが右翼――そしてオルトレップ閣下が中央と、いつもの陣形でゴリ押しですね」


 砂色の髪をしたイケメン――ライナー大佐がニッコリ微笑みながら言う。


「ああ、いつものやつだ」


 オルトレップも獰猛な笑みを見せ、クツクツと笑う。


「ようし、ハゲ師団、出撃っス!」

「ハゲ師団の恐ろしさ、敵に思い知らせてやりましょう!」

「……私はお前達に、色々と思い知らせてやりたい」

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