42 東部国境防衛戦 6
十六時半を過ぎ、辺りは暗くなり始めていた。けれど敵第三師団を鮮やかに撃破したことから、フェルディナント軍の士気は高い。敵第六師団がいるという地点へ向かう最中でも、将兵の表情は明るかった。
ヴィルヘルミネも上機嫌で、「余、天才!」という思いから、ささやかな胸を反らしている。
そんな中、一人エルウィンは浮かない顔をしていた。全軍の総司令官たるヴィルヘルミネが、余りにも前線に出過ぎだからだ。
むろん赤毛の令嬢は軍事的天才だし、指揮統率に関してはトリスタンが補佐している。護衛として近衛連隊のみならず、鋼鉄の薔薇の生き残りだってヴィルヘルミネの周囲を固めていた。エルウィン自身も万全の態勢で令嬢の身辺を守ってはいるのだが――……。
しかしどれほど万全を期したところで、流れ弾の一発でも頭に当たれば人は死ぬ。しょせん人間は、運に大きく左右される生き物だ。それはヴィルヘルミネとて例外ではなく、そのことがエルウィンの心に、どうしても暗い影を落としてしまうのだった。
――もしヴィルヘルミネ様に万が一のことがあれば、フェルディナントの未来は潰える……それは世界の人々にとっても、大きな損失となろう。
そう思うエルウィンは、既にフェルディナント公爵フリードリヒの余命が幾ばくも無い事を知っていた。となれば後継者たるヴィルヘルミネの命は、何より重いモノとなる。
ましてやピンクブロンドの髪色をした青年は、令嬢を守るべき近衛連隊の長だった。となれば、ここは一つ苦言を呈して然るべきというもの。
今後無数に積み上げられるであろう戦場の勝利より、ヴィルヘルミネの命は遥かに重い。そのことを自覚して貰いたかった。
「夜間の戦闘というのは、些か危険ではありませんか? ここは一端後退し、明日、再び戦端を開いては如何でしょう。どうせ敵は糧食も少ないのですし、一日ごと、士気が低下することは疑いありません。
それに、ヴィルヘルミネ様が自ら前線で指揮をなさるのも、些か危険かと思われます。ここはトリスタン少将をお信じあり、摂政閣下には後方にて督戦して頂ければ存じますが……」
進軍しつつ、エルウィンがヴィルヘルミネに進言した。幸い雪は止んだが、厚く垂れこめた雲の下では、月明りさえ望めないだろう。
無理をして危険に身を晒すより安全策を取るべきだというのは、近衛連隊の長たるエルウィンにとって、当然といえる意見なのであった。
「まだ完全に日が暮れた訳ではない。それに敵とて、我等が退くと考えていよう。ヴィルヘルミネ様の各個撃破戦術は、まさにそうした敵の虚を衝かんとしたものなのだ。
それにな、エルウィン。私は億の単位でヴィルヘルミネ様に及ばぬよ。だから鮮やかに勝利を収めようと思うなら、このままが摂政閣下に指揮を執って頂くのが一番だ」
もはやヴィルヘルミネ様最高! 天才! 無敵! としか思わないトリスタンは、赤毛の令嬢が考えてもいない戦術をポンポンと口から吐き出している。
お陰で無策のヴィルヘルミネとしては、彼の言う事を全てなぞるだけで良いという寸法なのであった。結果、今も大仰に頷いている。
「――で、ある」
十七時を回ると辺りはいよいよ夜の領分に入り、視界が極端に悪くなった。だが前方に敵第六師団を発見したのは、そんな時分のことである。
どうやら敵も前進していたらしく、事態は遭遇戦の様相を呈していた。場所が山中であり曇天の薄暮だったから、双方とも発見が遅れたのであろう。
「やれやれ。ようやく敵を見つけましたなぁ、ミーネ様。此度は一つ、この『じい』めに全軍の指揮をお任せ頂けませんか? なぁに、ご迷惑はお掛け致さぬ。小一時間ほどで決着を付けますゆえ」
温厚な好々爺といった雰囲気のロッソウが、ヴィルヘルミネの側に馬を寄せて言う。だがしかし手にした極太のハルバードが、血を求めてでもいるかのように、鈍くギラリと輝いていた。
「ロッソウか。ふぅむ――……」
「先程の戦は間に合いませんでしたからな、ワシもここらで働いておきたいのですじゃ。ミーネ様のお役に立ちませんと、背筋がムズムズしますのじゃ」
ロッソウが後続の一万八千の軍勢と共にヴィルヘルミネと合流したのは、ゾフィーが第三師団長を討ち取ってからすぐのことだ。当初は「ぬぅぅぅん! 戦闘に間に合わんとは、何たる不覚!」と激しく地団太を踏み、悶絶しながら悔しがっていた。
けれどゾフィーから敵将を討ち取ったとの報告を聞くと、ロッソウはニッコニコで彼女の軍功を喜んでいる。なにせランスの幼年学校へ行くまでゾフィーに剣術や槍術を教え込んだのは、このロッソウなのだ。弟子の成長が嬉しくないはずは無かった。
「ロッソウ少将! やりました! わたし、敵の師団長を討ち取りましたッ!」
「おうおう、ゾフィーや。そうか、そうか、それは、ようやったのぅ。なになに、ジーメンスの小倅も、敵の参謀長を討ちよったか。ふむふむ――……これは我が軍も、確実に世代交代の波が迫っておるのぅ~~~これならワシも、安心して死ねるわい」
もっとも、ロッソウの内心は多少複雑であった。ゾフィーの成長を喜びつつも、実のところ「若いモンには、まだまだ負けん! 世代交代の波? んなもん、ワシが世界最大の堤防じゃ!」と闘志を拗らせ――否、漲らせていたのである。死ぬ気に至っては、微塵も無い。
そうしたことから、現在の「お願い」に繋がったのである。
「うむ。しかしロッソウは年じゃし、無理をする必要はなかろ? 卿は余の側にいてくれれば良いし、何より、ここはトリスタンに任せて、問題無いと思うのじゃが、じゃが?」
ロッソウの提案に、小首を傾げてヴィルヘルミネは反対した。
赤毛の令嬢はおじいちゃんっ子だが、いまいちロッソウの力を信じ切れないでいた。
確かに、彼の武力は凄いものがある。けれど戦場で大軍を指揮するには、ちょっと違う力なんじゃないかな――と思っていたのだ。
「ぐぬぬ……ミーネ様は、ワシの力が衰えたと申されますかッ!?」
「いや、そんなことは一言も言っておらぬ。でも軍の指揮はトリスタンの方が得意じゃろうから……」
「おろろーーーーーん! ミーネ様に必要とされぬとあらば、この老いさらばえた身など、もはや必要ありませぬ~~~~!」
言うなり自らの首筋へハルバードを走らせようとする、鬼人ロッソウ。これではもはや、奇人である。
「わ、分かったのじゃ! 此度はロッソウに任せるからッ!」
ヴィルヘルミネは目を見開き、ロッソウの問題行動を止めた。おじいちゃんに死なれたら、たまらない。「死なせるくらいなら軍の指揮くらい任せちゃう!」と思っていた。駄々をこねる幼児に、おもちゃを与える心境だった。どこまでもおじいちゃんには甘い、おじいちゃんっ子のヴィルヘルミネなのである。
「本当にござるかぁ~~~?」
目をウルウルさせて白くなった口髭を揺らすロッソウは、ちょっとだけウザい。
「本当じゃ! ロッソウに指揮を任せるのじゃ!」
「ハッハッハ、お任せ下され! 腕が鳴りますわいッ!」
ハルバードごと回したロッソウの腕が、本当にブンブンと鳴っている。
ゾフィーはこんなロッソウに攻撃を仕掛けられる敵こそ哀れだと、少しだけ同情した。彼女は鬼人ロッソウの作戦指揮能力に、一分の疑問すら持っていないからだ。
攻勢時におけるロッソウの破壊力は、恐らくヴァレンシュタインの防御陣すら粉砕するであろう。そういう強さがあるのだと、ゾフィーは知っていたからである。
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