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40 東部国境防衛戦 4


「ぺっぺッ!」


 口の中に入った泥を吐き出し、ヴィルヘルミネは後ろを振り返る。愛馬が苦しそうな息遣いをしながら、つぶらな瞳でこちらを見つめていた。見れば首筋に数発の銃弾を受けて、息も絶え絶えと言った様子である。


「……シグルーン?」


 愛馬の名を呟きつつ、赤毛の令嬢は立ち上がった。むろん敵の銃撃は止まず、その中でのことだ。


「ヴィルヘルミネ様! 危険ですッ! 伏せて下さいッ!」


 エルウィンの悲痛な叫びも、今のヴィルヘルミネには届かない。落馬のショックで、音が聞こえなかった。ぐわんぐわんと頭の中で鐘が鳴り響き、視界もぼやけている。たまたま合った焦点の先で、ただただ苦しそうな愛馬が倒れていたのだ。


 ――余は夢を見ている――……のじゃろうな。


 戦乙女ワルキューレの名を冠した白馬を見つめ、赤毛の令嬢はボンヤリとしている。

 

 ――シグルーンはやはり、死ねば天上界へと帰るのじゃろうの。戦乙女ワルキューレなのだから当然じゃし、じゃし。


 北方神話の好きなヴィルヘルミネが名付けた、愛馬だった。白くてとても気品のある牝馬で、令嬢が馬車で移動するときも、必ず伴っている。

 自ら餌をやることもあったし、糞の処理だってした。馬というより友人という意識で接していたヴィルヘルミネにとっては、シグルーンが死に瀕していること自体が、あり得ないことであった。

 

「ブルル……」


 シグルーンが苦し気に吐く息は白く、弱弱しい。白い馬体が、半ば泥に塗れていた。普段の気品が消えて、一気に老いたかのようだ。


「殺して、欲しいのじゃな?」

「ブルル」


 ヴィルヘルミネはじっとシグルーンの瞳を見つめ、仕方が無い――といった風に溜息を吐く。これ以上苦しむ彼女を見続けることが、何より辛いのだ。


「分かった……シグルーン」


 短銃に弾を装填した。


 これから何をされるのか、シグルーンも分かっているかのように目を瞑る。まるで「それでいい」と言っているかのようだ。


「本当に、夢なのじゃろうか?」


 周りの音が、何も聞こえない。静寂の中で、ちらちらと雪が降っている。だというのにシグルーンの荒い息遣いだけが聞こえるような気がして、「苦しい、苦しい」と訴えかけてくるようで……。


 ヴィルヘルミネは唇を引き結び、愛馬を撃った。苦しそうな彼女の姿を見ているのが、何より辛かった。終わりにしてあげたかった。そして、これは夢だと信じようと決めた。


 ――余は、良い事をしたのじゃから。


 ■■■■

 

 暫くすると令嬢の聴覚が正常に仕事を始めたらしく、飛び交う銃弾の音や飛来する砲弾の音が聞こえ始めた。


 ――うるっさいのう……?

 

 現実の令嬢は相変わらず、集中砲火を浴びている。うるさくて当然だった。にも拘らず彼女は一切被弾していないから、ある意味これは奇跡である。

 ヴィルヘルミネはビュンビュンという銃弾が飛び交う音に嫌気が差して、再び前方を向いた。「なんじゃ?」と首を傾げている。


「ぷぇ?」


 無数の銃弾がヴィルヘルミネを掠め、近くにいた近衛兵の腹や太腿、腕を抉っていた。


 ――夢にしては……随分と凄惨じゃの……?


 周囲は敵と味方が入り乱れての混戦状態だ。前方にはプロイシェ軍第三師団長直下の二千が銃を構え、ヴィルヘルミネを狙っている。彼等こそ味方ごと令嬢を攻撃し、仕留めようという悪魔のような部隊なのだった。


「――ッ!?」


 ついにヴィルヘルミネは、銃撃された瞬間をフラッシュバックさせた。お陰で目をギュッと瞑り、神様に命乞いをしている。


 ――うわぁぁぁぁ! 余、死にたくなぁぁぁい!


 そんな時だ、誰かが言い出した。


「――弾が、ヴィルヘルミネ様を避けているッ!」

「この銃撃の中、平然と立っておられるぞッ! 奇跡だッ!」


 言われてみれば、確かに赤毛の令嬢は一発の弾も食らっていない。


「やはりヴィルヘルミネ様は、軍神に愛されておられるのだッ!」


 名も無き兵士の一言が、目を瞑りガタガタと震える赤毛の令嬢を勇気づけた。紅玉の瞳がキラーンと光る。


 ――え。余、敵の弾当たらんの? 軍神に愛されちゃってる? マジかの? いやこれ、マジじゃの!


 いや、本当は当たる。普通にヴィルヘルミネだって、いる場所によっては銃弾に当たるのだ。それでも銃弾が彼女を避けているように見えるのは、つまり運が良かっただけのことである。


 強いてこれの理由を挙げるなら、銃の命中精度の問題だ。狙えば狙う程、当時の銃は命中しない。そんな中ヴィルヘルミネは身動きもせず、立っていたのだ。命中させること自体が、至難の業だったのである。

 だがヴィルヘルミネは、自らが神に愛されている――などと勘違いするに至り、笑い始めてしまった。ちょっともう、狂気の沙汰である。


「フハハハ、ファーハハハハハハ!」


 腰に手を当て、涙目ながらも降り注ぐ銃弾の中で大笑するヴィルヘルミネの姿は、どれほどフェルディナント軍に勇気を与えたことであろう。その一方、プロイシェ軍に絶望を与えたことであろうか。


「あ、悪魔だ! あの小娘には、銃弾も砲弾も通用しないッ!」


 プロイシェ軍の誰かが言い出した。


「当然じゃ! 余に歯向かうなど、愚かなことと知れッ!」


 ギンッ――とヴィルヘルミネが睨む。強気な美貌で知られるポンコツ令嬢のこと、戦場にあっては凛々しい限りだ。


「プロイシェの戦士達、これ以上無駄に手向かうなッ! 見ただろう! ヴィルヘルミネ様は神に愛されておられるのだッ! 

 味方ごと攻撃するような指揮官になど従わず、我等と共に来いッ! 今日より以降ダランベルの盟主はプロイシェから、我等フェルディナントに変わるのだッ!」


 エルウィンが敵を斬り伏せながら、苛立たし気に叫ぶ。


 師団長直下ではないプロイシェ軍は、戸惑っている。けれどプロイシェ国王に対する忠義と、第三師団長に対する憎悪が混ざり合った結果は明白で、それは戦意の喪失へと繋がった。彼等は武器を捨て、師団長直属の部隊とヴィルヘルミネの近衛連隊の間を阻むことを止め、一人、また一人と両手を上げていく。


 ヴィルヘルミネと敵本隊との間に一本の道が生まれた。そうして見ると、前方の敵は近衛連隊とさほど数に開きがあるようには思われない。というより全てが騎兵の近衛連隊であれば、一撃して粉砕できる程の数に過ぎなかった。


「今まで、さんざんやってくれたのう……? 撃ちたいだけパンパン、ドンドンと撃ちおって」


 余りにも自分が狙われ過ぎた結果、いい加減に赤毛の令嬢はキレそうだった。というか、キレている。口の両端を吊り上げ、ニィ――と笑うヴィルヘルミネの美貌は凄惨だった。


 ヴィルヘルミネは新たに馬を用意させると、刀剣サーベルを抜き放ってゾフィーを呼んだ。その間も相変わらず銃弾が飛び交っていたが、やはり令嬢に弾は当たらなかった。

 

「ゾフィー、余を狙いおった不愉快にして不埒な敵将を今すぐ、ここへ連れて参れ。生きていようと死んでいようと、一向に構わぬ。シグルーンの仇じゃからの」

「御意ッ!」


 ゾフィーは黄金色の髪を翻し、刀剣サーベルを頭上へ掲げた。彼女の下に一個小隊が集まり、駆け出して行く。

 彼女も決してヴィルヘルミネは敵弾に当たらないと信じ切っていたから、颯爽と攻撃に転じたのである。まったく、ヤバい勘違いであった。


「ジーメンス。卿は鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)と共に、ゾフィーを援護せよ。特殊部隊の力、存分に発揮してみせるのじゃ」


 なお、まだヴィルヘルミネに敵弾は当たらない。なのでいよいよ余裕ぶり始めた赤毛の令嬢は、泰然自若として命令を下している。


 こうなると、もはや安全な場所から戦争を指導をする汚れの政治家と、何ら変わらないヴィルヘルミネだ。しかし現実には剣林弾雨の中に身を置いているから、どこまでも清廉で堂々とした君主に見える。不思議な現象だ。

 しかも「全てお見通し」といった感である為、令嬢の天才性に箔さえ付く始末。どこまでも運の良い、ヴィルヘルミネなのであった。


「御意ッ!」


 ジーメンスが鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)を率い、疾風の如く駆ける。彼は今のヴィルヘルミネの姿を、生涯忘れなかった。銃弾の雨の中、何を恐れるでもなく兵を指揮する令嬢の姿を。


「トリスタン、エルウィン――このまま敵を、揉み潰せ。ゾフィーが戻り次第、次へ行くぞ」

「「御意ッ!」」


 こうしてゾフィーは師団長を、ジーメンスは参謀長を討ち取り、第三師団は壊滅した。


 のちに、「ヴィルヘルミネの騎行」と題され、白馬に跨る令嬢を描いた一枚の絵画が生まれる。それが今日の彼女をモデルにしたものであることは、余りにも有名な事実だ。

 しかしながら現実が「騎行」というより「奇行」であったことを知る者は、誰一人としていないのであった。

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